エチオピア_038

エチオピアの山を登る

1月3日スーダンからエチオピアに入国した。予想していた悪路ではなく、比較的楽な入国であった。それでもスーダンのハルツームからここゴンダールまでは3日間。予想より一日早かっただけ。
エチオピアに入ると何もかもが変わった・・・
見慣れた砂漠はなくなり、乾燥しているが山々が連なる美しい景色となった。なぜか日よけの黒いコウモリ傘をさしている人が多く、老人も子どももやせ細っていた。十字架を持った人、黄色い布を纏った司祭をよく見かけるようになる。ムスリムが劇的に減る、などなど変化をあげたらきりがない。

なぜこれほどまでに独特な文化があるのか、それはこの国がアフリカでは希な(ブラックアフリカではこのエチオピアとリベリアのみ)、植民地支配されなかった国だからだと思う。

ここは誇り高き国、かつてのアフリカのリーダー、歴史も深く見所満載。そして、地球を貫くグレートリフトバレーがあり、人類が生まれた場所でもある。

ゴンダールから北のシミエン国立公園へと向かう。目指すは標高アフリカ5番!ラスダシェン山!といきたいとこだったが、8日間かかるのでやめてしまった。
代わりにここで2番目に高いBwahit(4430m)を目指すことにする。馬と馬使いさんが安価だったのでお願いすることにした。それぞれ1日300円だったけれど馬も人も同じ値段というのも感慨深いものである・・・そしてここを歩くに当たって必携なのはスコートと呼ばれる銃をもった警備員であった。ガイドを雇うのは義務ではないのだが、この銃をもった人を雇うのは義務付けられているのだ
なんで山に銃が必要なの?と聞くと
「ここはアフリカの山だから!」と言われた。
なんか納得。

山登り、というよりは、小さい村々の中を行く面白いトレッキングだった。崖の向こうはまるで小さなグランドキャニオンのようだった。人類発祥の地はすぐそこだった。そこかしらに毛むくじゃらのヒヒがいて、サボテンやいろいろな花、剥いてもむいても中から新しい葉っぱが出てくる玉ねぎのような木があり、昼間なのによく月が出ていた。
地球なのに地球でないような景色をいく、ここはそんな場所だった。

われらがスコート、アブラハムはさすがアフリカ人、というような「目」を持っていた。時々遠くを見つめて大声で友人と話し出す、その方向にじーっと目を凝らすと、人がいるのが何とか分かる。ちなみに僕の視力は1.5~2.0。彼はその遠くの人の顔まで識別してしまうのだ。

ある日アブラハムがいつものように遠くを見つめ、怒鳴って怒り出した。双眼鏡を取り出して彼が叫んだほうを見つめると、木を伐採している2人組がいたのだった。ここは国立公園だから園内の木を伐採してはいけないんだと彼は言う。
でもその切った木はどうしているのだろう、僕ら観光客が買っているのかもしれない。この山でキャンプをすると地元の人が薪を売りに来る。彼らはそうして現金収入を得ている。大抵の観光客はその薪を買っていた。でも僕は買わなかった。この何ヶ月もの間、薪にするために生きている木をバシバシお構いなくなぎ倒す現場を腐るほど見てきたからだ。自分の寒さをしのぐためにこの美しい山が荒れてしまうのがいやだった。
いい景色を見たくて、観光客がお金を払ってやってくる。でもその観光客のために、「いい景色」を壊してまで木を切る人々がいる。そして何も考えないでその木を買ってしまう人々がいる。結局環境を壊しているのは観光客ということになる。
シミエン国立公園はユネスコの世界遺産に指定されているが、同時に危機にさらされている世界遺産に登録されているのだ。

大地溝帯、文字通り地球の割れ目が眼下に広がった。登っては下り登っては下る。3200mのサンカダールから3600mのギーチヘ、そして3926mのイメットゴーゴからは遥か彼方まで赤茶けた断崖の絶景が続く。5日目、最後の目的地、4430mのBwahitを目指す。キャンプ場から頂上までは標高差800m。体は山に慣れ、面白いように軽い。アブラハムのスピードにも難なく付いて行けるようになったのがうれしかった。頂上付近で氷を見かけるも、気温は10℃弱くらいだろうか。

頂上からの眺めは特に絶景ではなかった。遠くにエチオピアではこのあたりにしか生息していないというアイベックスを拝むことができた。
帰りはいつものように駆け下りた。

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