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行かなきゃ損する!清水寺の千日詣り(2020.8.9)【歴史の扉#2】

歴史の扉へようこそ!こんにちは。旅人です。

京都の清水寺といえば、皆さんご存じの超有名寺院ですよね。修学旅行で京都へ行く場合は絶対に欠かせない観光名所にもなっています。

その清水寺で、この1週間(2020.8.9~8.16)限定で千日詣りという行事が行われると知り、行ってきましたので、その体験談と千日詣りについてまとめていきたいと思います!

コロナ禍で京都まで行けないという方も多いと思うので、この記事を読んで京都まで足を運んだ気分になってもらえれば幸いです。

0.開創の歴史


元は法相宗・興福寺の末寺でしたが、戦後北法相宗を立宗し、独立。奈良の南都に対し、北の京都にあるため、「北」法相宗と名乗ったそうです。

1.仁王門と西門

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清水寺を訪れる全ての人が訪れる仁王門と西門。やはり絵になりますね~。

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狛犬は通常「阿吽」といって、片方が口を開け、もう片方が口を閉じるスタイルが多いのですが、清水寺の狛犬は両方とも口を開けています!

それにしても口の開け方が豪快ですね(笑)

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西門も忘れてはいけません。

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参詣道から少し外れるので見逃す方も多いのですが、この門から振り返ると...

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西門ごしに京都の町を一望できます!参詣の際はお忘れなく。

2.坂上田村麻呂と風鈴

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8月の京都。この日も朝からめちゃくちゃ暑かったです。

そんな参詣客を涼しくもてなしてくれたのが、風鈴の音です。

上記ツイート動画を再生してもらえると、風鈴の音が楽しめます。

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説明書きにもあるとおり、この風鈴は岩手の南部鉄器の風鈴で、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)ゆかりの田村堂の前に設置されています。

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坂上田村麻呂は平安初期の武士で、日本初の征夷大将軍。蝦夷(えみし。東北地方の朝廷に服属していなかった民族)討伐の大将となります。

彼は歴戦の末、なんとか蝦夷の首領である阿弖流為(アテルイ)と同胞の母禮(モレ)を下します。

その武勇と人物を惜しみ、坂上田村麻呂は政府に助命嘆願するもかなわず、処刑されました。

その史実にちなんで岩手の南部風鈴が設置されているんですね。ちなみに顕彰碑も出口付近に設置されています。

3.本堂と千日詣り

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本堂の舞台はまだ工事中。完全な姿を見るにはもう少し時間がかかりそうですね。

千日詣りは、「一日の参詣が千日分の功徳に相当する」とされています。本堂の内々陣まで特別に拝観できる貴重な機会です!

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御本尊:十一面千手観世音菩薩。公式HPより引用(引用元URLは最後に掲載)。

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過去の千日詣りの様子。公式HPより引用(引用元URLは最後に掲載)。

4.阿弥陀堂・奥の院

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阿弥陀堂は、浄土宗開祖の法然(ほうねん)上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所。本尊は阿弥陀如来です。

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奥の院は音羽の瀧の上に建ち、本堂同様の懸造りです。

5.音羽の瀧

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本堂より見下ろした音羽の瀧。

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音羽の瀧は清水寺開創の起源となった瀧で、寺名の由来にもなっています。

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本来ならご利益のある瀧の水を柄杓ですくって飲めるのですが、2020年8月現在はコロナ対策で中止となっています。

6.地主神社

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清水寺境内でひときわ目を引くのが縁結びの神社:地主神社です。

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パリピな雰囲気の大国主命(おおくにぬしのみこと)と因幡の白兎がお出迎え。

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御祭神は大国主命とその父母神:素戔嗚命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、さらに奇稲田姫命の父母神:足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなずちのみこと)です。

大国主命は出雲大社の神様ですね。縁結びの神として有名です。

出雲の神話を簡単にまとめるとこんな感じです。

それにしても、奇稲田姫命の父母神まで祀る神社は珍しいですね!

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目を閉じて反対側の石までたどり着けたら恋が叶う「恋占いの石」も。

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室町時代の「清水寺参詣曼荼羅」にはすでに登場する、かなり歴史のある石です。コロナ禍で人が少ない中なら、達成できるかも?

7.境内隠れフォトスポット

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帰り際ににこんな看板が。ここを登ると...

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本堂や三重塔など諸堂が一枚の写真に収まります!ぜひ、帰りに寄ってみてください。

8.舌切茶屋の由来

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出口付近に「舌切茶屋」と「忠僕茶屋」という茶屋があります。その名前の由来となるエピソードが(参考文献は最後に掲載)。

時は幕末。井伊直弼(いいなおすけ)により安政の大獄が行われます。清水寺塔頭の成就院の住職:月照(げっしょう)上人は幕府に捕らえられそうになり、盟友の西郷隆盛を頼り、薩摩藩へ逃げようとします。

しかし、幕府と敵対することを恐れた薩摩藩は月照の入藩を認めません。西郷と月照はともに入水自殺を図るも、西郷のみ助かり、月照は亡くなりました。

この時、月照の友人で成就院の執事:近藤正慎(こんどうしょうしん)は幕府に拷問され、月照の行方を聞かれるも白状せず、舌を噛み切って自害しました。これが「舌切」の由来だったんですね。

9.御朱印

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西国三十三所の御朱印。本堂にて拝受。

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西国三十三所・御詠歌の御朱印。

ちなみに「西国三十三所って何?」という方は下記noteをご一読ください。


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奥の院の御朱印。こちらも本堂にて。

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阿弥陀堂の御朱印。こちらは阿弥陀堂に隣接する納経所でいただけます。

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最後に不動明王の御朱印。こちらは音羽の瀧付近の納経所にて。

10.感想

いかがでしたか。清水寺に参詣して個人的に感じたことを簡単にまとめるつもりでしたが、流石に歴史ある大寺院だけあって、結構長くなってしまいました。

創建の歴史などはまだ記載していませんが、期間限定の千日詣りについていち早くお知らせしたかったので筆を執った次第です。(追記:冒頭に歴史をまとめたツイートを引用しました!)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!清水寺へ行く機会がある方は、是非参詣前にもう一度この記事を読み直してみてください(笑)

【写真引用元】音羽山 清水寺 公式HP

【参考文献】


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