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Font Vella

タイトル「フォント・ベーリャ」

 1990年の春、生まれたばかりの長女を連れて、ヨーロッパに向かった。一年間、家族で旅をしようというもので、2輪のグランプリとF1を見て回ろうという作戦だった。

 僕は20才のころにレースの世界に入った。その後、選手としてレースに全力を注ぐことになる。しかし、20代後半は資金が足りず、活動を休止。アルバイトをしながら悶々とした日々を過ごすことになるのだが、その頃、先輩の紹介で角川書店の「ウイリー」というバイク雑誌に創刊号から関わることになるのだ。

 「ウイリー」では、テスター兼ライター兼編集者としてなんでもやったが、雑誌の企画でチームを結成し、再び、レースに参加した。鈴鹿8時間耐久レースにも、大塚製薬の「カロリーメート」をスポンサーに、3年連続で出場した。雑誌チームが8耐に参戦するというのは、初めてではないが、かなり珍しいことだった。

 「ウイリー」時代の3年間は、バイク漬けの日々だった。一年365日のうち、360日はバイクに乗った。サーキットでレースに参加するのは勿論、箱根や伊豆に行ってバイクメーカーが発売するニューモデルに乗って撮影をする。そして、インプレッション記事を書く。当時、「ウイリー」は総合バイク誌として、かなりの部数を売ったと思う。しかし、「ザテレビジョン」や「東京ウォーカー」といった大発行部数の情報誌を手がける角川だけに、目標とする数字も大きく、87年3月に創刊した「ウイリー」は、89年11月に休刊となった。

 その翌年の1月に長女は生まれた。そのときに「これまで自分が関わってきたモータースポーツの本場をじっくり見ておきたい。ヨーロッパに行くのなら、失業したいましかないなあ」と思い、娘が生まれて3ヶ月目、首がやっとすわったかなあという4月にヨーロッパへと旅立ったのだ。

 ミルクは日本から持って行った。ミルクを作るために行く先々で水を買った。電気ポットでお湯を沸かすと、お湯の表面に石灰(カルキ)が浮かぶ。evianやVittelなど、日本で有名なフランスの水は、びっくりするほど白くなる。ミルクを作るのに、なかなかいい水がないなあと思っていたときに、スペインのFont Vella(フォント・ベーリャ)という水を知った。

 ほとんどカルキが出なかった。それをスペイン人にいうと、「そうだろう、これはいい水だ」と太鼓判を押す。もう一本、フランスのVolvicもフォント・ベーリャ同様に、カルキが少ない水だった。その後、ミルクは現地調達でいいと言われた。なぜなら、軟水といわれる日本の水に合わせて成分が決められている日本製のミルクを、ミネラルなどが多い硬水のヨーロッパの水で作ると栄養過多になるんだと言われたからだ。それが問題かと言われたら何も問題はないが、わざわざ日本から持ってくる必要はないんじゃないかという、それだけのことだった。でも、やっぱり心配なので日本製を飲ませていたけども。

 日本では、水道の蛇口をひねれば、そのまま飲めるし、その水で洗濯器を回し風呂も沸かす。それがあたりまえだと思っていた。日本は水に恵まれている数少ない国のひとつだということを、海外に出るようになって知ることになるのだ。

 一年だけと思って始めたヨーロッパの旅は、その後、運がいいことに仕事になり、スペインには年に何度も訪れることになる。いまでも、スペインでフォント・ベーリャを手にすると、初めてヨーロッパを旅したころを思い出し、懐かしい気持ちになる。そして、フォント・ベーリャで育った娘が中学生のころだっただろうか。「私が生まれたとき、パパは失業していたんでしょ」と言ったときには、驚くのを通り越して大笑いしてしまった。

 その娘もすでに結婚して子育てする母親になった。時が経つのは、本当に速い。過ぎてしまえば、なんでもそうだが、あっという間である。

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