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ずっと心に残る贈り物

「あなたがどれだけくやしいか、わたし、わかるよ」。

そう言って彼女が泣き始めたものだから、わたしは慌ててしまった。
あとからあとから涙がこぼれてくる様子に、とても美しいものを見たような気がして、なんと返していいのか、しばらく言葉が出てこなかった。

長く勤めた職場を辞めると決めた日、同じ部署にいた彼女を食事に誘った。
残業続きで仕事は楽ではなかったけれど、教育は、少しでも明るい未来につながると信じていたから頑張ってこれた。

けれど、代表者が変わり、組織の中の体制が変わり、それまでのいろいろな方針が変わるのを見ているうちに、そこで自分ができることはもう終わったような気分になることが増えた。

同じころ、身内が病気になった。家族として、病人の体調を何よりも優先させなければならなくなったわたしは、それまでのように残業や休日出勤をするわけにはいかなくなった。事情を知らない人には、それを仕事に取り組む姿勢の変化として、やんわり忠告されたこともある。

職員の代わりはいても家族の代わりはいないと思っていたわたしは、家族の病気について勉強したり、通院の介助や主治医との話し合い、治療方針の決定などもひとりでしなくてはならず、仕事上の責任とのあいだで板挟みになり、そのうち自分も体調を崩すようになった。

もう、職場で期待されている役割を果たせそうにない。上司には、今は家族と自分の健康を取り戻すことに専念したい、と退職を申し出た。同僚の彼女には、そのあと、辞めることを伝えたのだった。

わたしより少し年下の彼女は、新しいプロジェクトの担当だった。前任者はいないから、手探りで知らない道を歩くような仕事を、持ち前の明るさと一所懸命さでこなしていた。

困ったこともたくさんあったし、失敗もしたはずだけれど、応援する人が次第に増え、数年後には基幹プロジェクトのひとつに育った。プロジェクトの意義に賛同というよりは、彼女の個人的な応援団も多かったと思う。

わたしも、彼女の一所懸命さにほだされて仕事を手伝っていたところがあり、単なる同僚というよりも、同じ地平を見ている仲間だと感じるようになっていた。

だから、先に自分が辞めてしまうことを言うのは、とても申し訳なくて、つらかった。その日も、「もっと一緒に頑張れなくて、ごめんね」とひとこと伝えたくて、呼び出したはずだった。

レストランの席で、人目も気にせずぽろぽろと涙をこぼす彼女を見ていると、こんなに純粋にひとを思いやって泣いたことがどれだけあったろうと、自分がはずかしくなった。また、こうしてみなまで言わずとも心のうちを汲んでくれる仲間がいたからこそ、今まで続けてこれたのだとも思った。

ありがとう。人生の一時期を、あなたと過ごせて本当によかった。悔いがないとはいえない終わり方を、あなたが慰めて、送り出してくれた。
気持ちのこもったことばは、形式的にもらう花束なんかよりも、ずっと心に残る贈り物だったよ。


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