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#8 サロベツ原野 ライダー憧れの地

 3日目の朝。周りのキャンパーがテントを撤収する音で起きる。少し頭がポーっとする。昨夜は、1本分ビールが多かったかな。まだ5時半だが、今日も暑くなりそうな予感の明るさである。歯磨きのために炊事場へ向かうと、何人かの早い者はすでに荷造りを終え、間もなく出発しようとしていた。

 隣のテントの兄さんも起きだしたようだ。昨夜は、互いに名前を訊いたりはしなかったが、たまたま持っていたからと、兄さんの方から名刺を差し出してくれた。名刺の肩書は、酒造りにおける重要なポジションだった。ぼくも日本酒に関わっている身として、仕事の縁に結び付くような話しでもすればよかったのかもしれないが、この旅では意図した仕事の話はよそうと、改めて思った。互いに道中の無事を祈り、ぼくが先に出発した。

 今日も、しばらくはオロロンラインを北へ向かう。遠別(とおべつ)を過ぎ、道の駅 てしおで一息つく。そこへスポーツタイプの2台のバイクがあとから入って来た。見覚えのある2台で、昨日、どこかのコンビニで会ったカワサキとスズキに乗る夫婦2人組であった。ちょっとした会話をしたのち、挨拶をして、ぼくが先に発つ。ずっと海に沿って走ってきたR232は、天塩からは少し内陸へ向かうため、ここからは道道106号に移り、再び海側を稚内方面へ走る。しばらく進み、天塩川を渡ると、いよいよ風景はだだっ広い原野になってくる。

 ツーリングするライダーの多くが憧れる、北海道。昨日までのオロロンラインも、人工物がなく果てしない直線であったが、サロベツ原野をいくこの道も、果てしない。草が生えるばかりの原野の中を、ガードレールや電柱もなく、ただ一本のアスファルトだけが、見通せないほど延々と続く。天気がよければ西に利尻富士を眺めることもでき、多くのライダーが憧れる、北海道のハイライトの一つだ。
 原始的な姿をした野であるから原野なのだが、そのサロベツ原野の一部に、風力発電の巨大な風車20数基が一列に連なる様は、地球規模のエネルギーを受止めようとするダイナミックな想像を掻き立てる。だだっ広い原野に巨大な構造物、それもまたいい。以前、稚内から南下するために走ったときは早朝の雨で、そのときは孤独と厳しさを感じたものだったが、今は、完全に感情が解き放たれた。

 わぁ―――――――っ! ヘルメットのシールドを開けて思いっきり叫ぶ。なにか具体的なことは考えられず、感情を精緻な言葉に表すこともできない。なんでもいいから大声で叫ぶ以外に、出てこなかった。ただただ、何かが内から外へ開放されるのである。ここは原野だ、言語や思考は捨てて、原始的で感情的で在ればいい。そういう気分だった。

 サロベツ原野を少し行くと、土砂を運ぶダンプがときどき往来する。工事や運輸に携わる彼らの仕事を尊重するとして、しかしありのままの原っぱが広がるこの道に、ダンプはちょっと映ってほしくない。ダンプが見えなくなるまで路肩に止まって待っていると、向こうから他のバイクが来たり、後ろから追い越したりしていく。ライダーはみな、手を振って挨拶してくれる。

 北海道では、ライダー同士がすれ違うときに手を挙げたり振ったりして、互いに挨拶を交わす。おはよう、こんちは、やあ、いってらっしゃい、お疲れっす、じゃあね、気を付けて。そんな意味合いを含む。単に会釈的に手を挙げることもある。暗黙のルールやマナーというよりは、北海道に来ると皆、自然とそうなる。
 サロベツ原野を、稚内へは向かわずに道道444号へ折れて内陸へ向かい、R40から小高い丘へ向かう細い道を進むと、宮の台展望台がある。一人いた先客と入れ違いで、今はぼく一人、展望台は貸切りである。眼下には森、その先にサロベツ原野が広がり、その向こうに海、さらに向こうには、霞みながらも利尻富士が観える。静けさのなかに蝉の声だけがし、濃い緑の森に吸収されていく。暑さのせいだろうか、森からは生命のエネルギーが放出されているような気がしてくる。

 日本海側を走ってサロベツ原野を目に焼き付けたら、今日はここからオホーツク海側、東へ向かう。地図におススメとあるサロベツリフレッシュロードは、牧草地帯を抜ける広域農道のような道だ。車幅はやや狭く、心地よい程度のRのカーブがどきどき現れる。道の両側は牧草地帯が続き、ときどきある牧場の入口付近には、トラクターか酪農関係のトラックが落とした泥の痕が残っている。人が動いた気配はその泥の痕だけで、他に一般車は皆無である。道には名前が付いているが、標識などは見当たらず、いつまで走っても予定の道にぶつからない。
 やがて、同じような車幅の道に交差する。沼川とか豊幌とか、地図では見当たらなかった地名が標識に出てくる。完全に道を間違えたようだ。東を目指して来たつもりだが、うねうねとカーブしながら走ってきたせいで、本当に東に進んでいたのか、怪しい。気持ちよく道なりを飛ばしてきたが、思い起こせば、途中に岐路があったような気もする。それでもGoogleマップには頼らず、太陽をあてにして方角を定める。ガソリンの心配さえなければ、こういう迷いもまた楽しみである。

 どうやら北へ向かってしまっていたらしく、ずいぶんな遠回りをしてようやく、道道84号へ出る。景色は牧草地帯から森に変わる。北海道の森は、植林された杉や檜でなく、広葉樹がたくさんあるのがいい。これこそが自然の風景だ。                   高速で走れるカーブ、心地よくアップダウンする高低差。ちょこちょことブレーキを使う機会があり、多少の緊張感を持ちながら走り続けられる。ここも、一般車は皆無だ。日本海側のサロベツ原野からオホーツク海側のクッチャロ湖までの間、旅をするバイクなどたったの一度もすれ違わず、一般車も数える程度だった。

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