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#11 網走~斜里 雨のはじまり

 4日目の朝は、ミスティな雨で始まった。わかってはいても、やはり雨は嫌なものだ。他のテントの人はおろか鳥も皆、外に出るのが億劫なのか、霧雨のサロマ湖畔でぼく以外に動くものはいない。少し待てば天気が回復するならぼくもゆっくりするが、予報ではその見込みはなかった。それで早々と撤収に取り掛かりはするが、動きは鈍い。昨夜に洗った調理や焚火の道具などは乾いておらず、ほかに雨で濡れたテントの道具など、拭かなければならないものが多い。せっかく拭いたものがまた雨で濡れないようにと、狭いタープの下で場所のやりくりをする。布巾が汚れるたび、水道までを何度も往復する。1時間半ほど経って、ようやく出発の準備が整う。レインウェアを履いているとはいえ、濡れたバイクのシートに跨るとお尻がヒヤッと感じる。

 昨日走って来たR238を再び南東へ進み、網走湖の途中から国道は片道2車線に広がる。市内に近づいているのだろうが、交通量はまばらで静かだ。
 今回の旅では、ゴミの処理に困る。埼玉ではそんなことはなかったはずだが、北海道では、コロナの影響でゴミ箱の利用を中止させて頂いております、という旨の張り紙があって、多くのコンビニやガソリンスタンド、キャンプ場ではゴミを捨てられない。家庭ゴミを持ち込むのはよくないが、しかしその店で買って飲んだコーヒーの缶さえも捨てられないのには、本当に困る。連日、昨夜のゴミもバイクに積んで走ることになる。
 朝食の野菜ジュースを飲もうと、網走市内のコンビニに入る。うっかり、マスクをし忘れていたことに気付いたのは、レジでの会計のときだった。店のオーナーと思われるやや年配のレジ係がぼくを見、会計の手を止め、脇の棚からそっとマスクを一枚差し出してくれた。それがぼくへの優しさなのか、迷惑をかけないでくれよという注意だったのか、マスク越しの相手の顔からはわからなかったが、感謝を伝えて店を出た。飲み終えた野菜ジュースのパックは、昨夜のゴミと一緒に袋にまとめて、またバイクの後部座席にくくりつけた。

 旅の計画は、初日の積丹半島方面だけを決めて、その後は道北、道央、道東のいづれかを、天気をみながら決めようと考えていた。雨雲との壮大な鬼ごっこのつもりで、2日目は北へ、3日目はオホーツク海側へ出て南下し、4日目の今朝である。しかし今日以降は、どうやら道南以外のどこへ行っても雨から逃れられそうにない。今回の旅では、道東は必ず巡りたいと思っていたが、残りの日程を考えると今日、明日、明後日しかない。九州では台風が近づき、いずれ北上する見込みらしい。日程が後半になるほど雨は激しくなりそうである。それならば今日だなと、知床を目指す。

 オホーツク海を左に見ながら空いた国道を快走するが、どんよりした色の空、か細い草が長く伸びた浜に荒い白波が打ち寄せ、その浜には納屋か人家がポツリ、ポツリとだけある風景は、観ていて寂しい。『お前にできるか、ここでの暮らしが?』と、北の厳しさを見せつけられているようでもあり、能天気な気分ではいられない。
 左側に続いた浜はやがて低い丘陵になり、そこをJR釧網本線の線路が国道に並行して続き、右側には湿原が広がるようになる。休憩がてら、国道に沿うJR原生花園駅の駐車場に寄る。すぐ隣には、この湿原だか草原だかを観光するインフォメーションセンターがあり、トレッキングの準備する人がいる。小さな駅のホームでは、鉄道ファンらしい数人が、カメラを持ちながらおしゃべりしている。厳しかった景色は、重い曇天ではあるが、湿原の草花や人の存在によって、瑞々しさと柔らかさを得る。

 湿原を過ぎると国道は少し内陸へ入り、道の左右には穀倉地帯が広がるようになる。重かった雲は軽くなり、斜里(しゃり)町で給油し終えたころには、空にはわずかながら晴れ間が見え始めていた。

 国道は斜里の平野をまっすぐ一直線に貫き、やがて知床半島のある北東へ向きを変えるべくカーブする。そのカーブを行かずに、そのまま直進方向を見ると、一直線に長く続く滑り台のような上り坂になっていて、その光景に目を奪われた。

 何かを期待してその坂を上がってみると、坂の途中に数人のライダーがおり、こちらに向かってカメラを構えたりしている。舗装されている坂の最上部までいくと、他にも観光客らしい車がいた。地図では見逃していたが、そこは『天に続く道』という観光スポットだった。
 上がってきた坂を見下ろすと、まさに長い滑り台のようで、そのまま一直線に彼方まで道が続く。見下ろしているはずなのに、その先を追って目線を少し上にやると、本当に天に向かっていかのような気分になってくる。空には晴れ間が見えはじめ、それが恍惚とした雰囲気を創っている。付近では、カップルが写真を撮ったり、息子が父親の様子を動画で撮ったりしており、穏やかで平和な時間が流れている。

 上がってきた『天まで続く道』を下るときは、滑り台のようなスリルや恍惚感があるわけではなく、何の変哲も感じない真っ直ぐな下り坂だった。ただ、晴れ間が広がってきたことは嬉しく、知床に期待が膨らむ。乾いた路面にスピードが乗る。

 途中にあるオシンコシンの滝は、国道からすぐに観ることができる手軽な観光スポットでもあるが、過去に一度寄ったことがあるし、なんというか、そういう観光をしたいための旅でもない。少しスピードを落としてチラッとだけ滝を観て、すぐに先を急だ。

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