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⑦2001年ユーラシアの旅 (陸路一周): ヨーロッパ野宿編2 トラブル

欧州ではいくつかトラブルがあった。
まず荷物関連。

夜行列車内で荷物を開けられそうになった。人のいないコンパートメントで寝ていると、私の相棒、The North Faceのバックパックの南京錠を開けようとしている男がいるではないか。起きて気づいたので「何しとんねんコラァ!」と言うと、「Fire, fire」とライターを探しているかのようなふりをして出て行った(車内禁煙である)。

他にもオーストリアあたりで、日中の列車で一人がけの椅子で爆睡していたところ、はっと起きたら肩掛けサブバッグの紐が、ナイフか何かでほぼ全部切られていた。ぎりぎり切り終わる前に起きてセーフ。

これまでの経験から、周りに「人がいない」場所は一番危ないと思う。他の客がいないドミトリーとかも、従業員の男が無理矢理入ってこようとしたりして危ない(トルコの話)。

夜行列車には乗りまくったけれど、座席コンパートメントで満員だと人の足を蹴っ飛ばして折り重なるように寝る羽目になるので、人がいないと嬉しい反面、誰も見ていない場所は犯罪を起こしやすいようだ


また欧州上陸後のかなり初期の時点で、カメラをなくした。当時流行っていた小さいフィルム(Blu-RayディスクやMDくらい多分今はもう絶滅した)のカメラだったのだが、スイスでハイジの家に行き、気持ち悪い人形を撮ったのを最後にその後消息を絶った。盗難か紛失かは不明であるが、警察に届けはした。

仕方がないのでインスタントカメラ(「撮りっきり」のあれ)を2つ購入し、その後は全編それだけで乗り切ることになったので、写真はほとんど残っていない。ケチってたくさん写真を残さなかったのが悔いである。

ケチって失敗したケースはその後もたくさんあるので、大人になった今では悔いが残らない選択を心がけたいと思っている。


初めての一人海外で、トラブルばかりで毎日泣いていたような気がするが、一番テンパったのは、日中の観光のため預けていたバックパックが駅のロッカーに吸い込まれて出てこなくなり、別途有料のチケットを購入していたケルンーワルシャワ間の夜行電車を逃した時であった。

ドイツのケルン駅には最新鋭と思われた、ベルトコンベアに吸い込まれる(?)見たことのない自動ロッカーがあり、ドアのついたよくある普通のロッカーではなかった。

こんなものがあるんだなと感心して、荷物を預けて夕方観光から戻ってくると、故障していて荷物が一切出せなくなっていた。その日のうちに直る見込みもないという。わずかなお金でワルシャワ行きの切符をすでに買っていた私は完全にパニックだった

しかし泣きまくってDB(ドイツ国鉄)職員に訴えたところ、なんと3つ星★★★!のホテルを用意してくれて、チケットも日にちを変更してもらった。今から考えればDBの落ち度なので当然と言えば当然なのだが、当時はDBはなんて寛大なのだと感動した。

後年、ケルンには2か月だけ住んだけれど、このホテルがどこだったかはもう分からなかった。

この三つ星ホテルは、間違いなくこの旅全編で一番よかった宿である。
他にもスペインやイタリアで地域で一番安そうなペンションタイプの安宿に泊まったが、もちろん別によくはなかった(映画とかでみる、ネコ足のバスタブを初めて使ったときはテンションが上がったけれど)。

その他は大きな駅のベンチで一晩寝ていることが多かった。が、そのつもりで大失敗したのがスイスであった。


To be continued...



野宿出身、未だにおよそ野良ですが、まだサバイブしてます。