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ひとり旅って、自分の素の気持ちが見えてくる瞬間がある

ひとり旅って、普段はあまり気づけないような、自分の素の気持ちがふっと見えてくる瞬間がある。

カザフスタンの旅で、タラズという街からシムケントという街まで、鉄道に乗ったときだった。

チケットに記されてある4人寝台の部屋へ行くと、僕の他に誰も乗っていない。

シムケントまで大きな駅には停まらないらしいから、3時間あまりの間、僕はこの部屋でひとりで過ごすことになりそうだった。

列車での人との交流を楽しみにしていた旅人なら、ちょっとがっかりするものなのかもしれない。

でも、僕が素直に感じたのは、こんな気持ちだった。

たったひとりで列車の旅を楽しめるなんて、すごく幸せだな、と。

そして、その気持ちに気づいたとき、あらためて思わないわけにはいかなかった。

やっぱり僕は、人との出会いを求める旅人ではなく、ひとりでただ過ごすことを好む旅人なんだろうな、と。

それはシムケントからアルマトイへ戻り、旅の最後の日、山の中腹にある屋外スケートリンクへ行ったときのことだった。

標高1700m近い高所にあるというスケートリンクに着くと、もう4月も近いというのに、道路には真っ白な雪が積もっている。

視界があまりきかないくらいに霧が立ち込め、気温も氷点下と感じるほどに冷え切っている。

さらに運の悪いことに、スケートリンクは冬季の営業を終えていて、入ることもできない。

僕がやることもなく、雪の中に佇む誰だか知らない人の銅像を見上げていたとき、不意に声を掛けられた。

振り向くと、そこには若いカップルがいて、流暢な英語で言った。

「写真を撮りましょうか……?」

銅像と一緒に撮ってもらっても仕方なかったけれど、せっかくの厚意だったので、お願いすることにした。

彼の方が、アングルを上手く調整しながら、スマホで僕の写真を撮ってくれた。

ふと見ると、2人が首から提げているカメラは、ともに富士フイルムの機種だ。

たまたま僕も富士フイルムのカメラを持っていたことから、思いがけず話が弾んだ。

……といっても、僕の英語は拙いものなので、ときに翻訳アプリに頼りながらだったけれど。

聞くと、彼らはカザフ人で、アルマトイで暮らしているカップルらしい。

写真を撮るのが趣味で、休日は2人でカメラ片手に過ごすのが好きなのだという。

そう言うと、かなり新しいと思われる機種を手にした彼は、そのカメラでも僕を撮ってくれると、写真をスマホに送ってくれたりもした。

僕がカザフスタンで辿った旅のルートを話しているうちに、彼らに親近感を抱き始めている自分を感じた。

もしかすると、彼らの顔立ちがとても日本人に似ていた、ということもあったからかもしれない。

カザフスタンを旅している間、カザフ人と日本人の顔の印象が似ていることは感じていたけれど、彼らもまた、まるで日本人のカップルのように見えて仕方なかったのだ。

白い霧の中で話しているうちに、彼が質問してきた。

「そのうち日本へ旅行に行ってみたいと思ってるんだけど、予算は1人2000ドルくらいあれば足りるのかな?」

「どんな旅をするかにもよるけれど……」

「JRパスを使って10日間くらい、東京、京都、大阪辺りを中心に、旅してみたいんだ」

少し考えてから、僕は答えた。

「航空券を含まないなら、1人2000ドルあれば十分に足りると思うよ。日本は物価も比較的安いから、それだけあれば、美味しい日本の料理もいろいろ食べられるはずだよ」

それを聞いた彼らは、ちょっと意外そうな、でもホッとしたような表情を浮かべて、微笑んでいた。

そのとき、ふと思うことがあった。

もしよかったら、日本へ来たときに、どこかで会おうか……?

そう言ってみようかと、少し迷ったのだ。

海外で仲良くなった人と、日本で再会する。

旅人の間でも、そんな話はたまに聞くし、僕もいつかそういう出会いに恵まれるといいな、と思っていた。

もしかしたら、今がそのときなのかもしれない、と感じたのだ。

このカザフスタンの雪山で出会った彼らと、もしも日本でまた会うことができたなら、それはなんだか素敵なことのような気がする……。

あるいは、僕の何か言いたげな様子に、彼らも気づいていたかもしれない。

でも、迷った末に、僕は結局、それを言うことはできなかった。

「ありがとう。さようなら」

やがて彼らが口にすると、僕も言った。

「こちらこそ、ありがとう。さようなら」

バスに乗って街へ戻るらしい彼らと別れた僕は、スケートリンクよりさらに高所にあるという展望台へ行ってみることにした。

シャーベット状になった雪がそのまま凍り、かなり滑りやすくなっている坂道を恐る恐る上りながら、ひとり考えていた。

どうして、あの一言を彼らに言うことができなかったんだろう、と。

もちろん、なんとなく勇気が出なかった、ということもある。

でも、たぶん、本当の理由は違うのだ。

正直に言えば、そこまでの深い交流を、僕の心が求めていなかっただけなんだと思う。

シムケント行きの列車に乗って、誰もいない部屋に幸せを感じたとき、自分は人との出会いを求める旅人ではないんだな、と気づいた。

だけど、それは少し違ったのかもしれない。

きっと、ときに人との出会いを求めることはあっても、深い交流ではなく、ささやかな交流を好むタイプの旅人なのだ。

短い会話を楽しんで、そのまま手を振って別れていくだけのような、ほんの小さな交流を……。

坂道を上り、想像してたよりもはるかに長い階段を登り、さすがに疲れ果てた頃、ようやく展望台に着いた。

しかし、これは想像してたとおり、まるで北海道の摩周湖のような一面霧の世界で、すぐそこにあるはずの木々すら見えなかった。

アルマトイの人々にとっては人気の行楽スポットらしく、そんな天候の中でも、楽しそうに写真を撮っている人が多い。

しばらくぼんやり過ごしてから、展望台をあとにして、階段を降り始めると、不意に周囲の霧が晴れてきた。

頭上に青空も広がってきたので、途中の見晴台へ登ってみて、思わず息を呑んだ。

青空の下、目の前に、水墨画のように美しい雪山が広がっていたからだ。

自分が今まで、こんな雄大な風景の中にいたことすら知らなかった。

感激しながら写真を撮っていると、すぐにまた霧が立ち込めてきて、静かに雪山は消えていった。

でも、幻想的な一瞬の光景は、カザフスタンの旅の神様がくれた、最後のプレゼントのような気がした。

そして、再び訪れた霧の世界で、ふと思った。

あのカップルが、もしも日本を訪れてくれるなら、それが良い旅になるといいな、と。

会うことはないだろうけれど、そう心から願うことだけは、自分にもできる。

それが素の気持ちなら、もうそれでいいのだ……。

長い階段を下り、坂道を滑りそうになりながら下って、スケートリンクまで戻ってきた。

もちろん、あのカップルはいなかったけれど、僕の気持ちに、後悔はなかった。

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