雨の旅って、どうして心に残るのだろう?
雨の旅の記憶って、どうして心にずっと残っているのだろう?
自分を晴れ男だと思っている僕でも、旅先で雨に降られた記憶というのは、鮮やかに心に残っている。不思議なことに、晴天の思い出よりも、雨の思い出の方が、記憶にくっきりと刻まれている気がするのだ。
僕はどちらかというと、雨は苦手だ。旅先で雨に降られれば、「あー、ツイてないなー」ってテンションは下がっていく。傘を差しながら街を歩くのは気が進まないし、写真を撮ることも億劫になってしまう。
でもなぜか、雨の旅の記憶は、心に鮮明に刻まれているのだ。それも、ひときわ美しい旅の記憶として。
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韓国・安東
24歳の夏、韓国の安東で見た雨は、僕にとって初めて目にする、異国に降る雨だった。
韓国をバスで縦断する旅の途中、その安東という小さな町に立ち寄り、次の大田という街へ向かうバスを待っていた。夕方、田舎っぽい雰囲気のターミナルには、同じようにバスを待つ韓国の人たちの姿があった。
そのとき、不意に雨が降ってきたのだ。最初は小降りだったが、やがて激しい土砂降りの雨になった。
僕はターミナルの入り口から覗いて、雨の降る光景を眺めた。韓国の街は水はけが悪いのか、車道も歩道もすぐに水で溢れかえった。
あの水浸しになった安東の風景を、僕はまるで昨日のことのように、ありありと思い出すことができる。どこか緊張しながらも、好奇心を持ってそれを眺めていた、初々しい自分の姿とともに。
シンガポール・リトルインディア
東南アジアを旅していると、しばしば夕方のスコールに襲われる。それはシンガポールでも同じだった。
インド系住民が多く暮らすリトルインディアを歩いていると、大粒の雨が突然降ってきた。それはすぐに街全体に降り注ぐ壮絶なスコールとなり、人々はアーケードの中へと駆け込んだ。
僕も彼らとともに、スコールが終わるのを待った。
インド系の彼らは、アーケードの下で、のんびりと雨が止むのを待っていた。ある人は仲間とおしゃべりを楽しみながら、別のある人はぼんやりと街を見つめながら。
彼らにとって、スコールは日常の一部なのだ。おとなしく待っていれば、やがて降り止むことを知っている。
そんな彼らから、東南アジアを旅する知恵を教えてもらった気がした。
たとえスコールに襲われても、のんびり止むのを待っていればいいんだよ。それがどんなに激しい雨だったとしても、いずれ必ず止むんだから、と。
沖縄・渡名喜島
慶良間諸島の北西にぽつんと浮かぶ渡名喜島で、赤瓦屋根の古民家を1軒借りて、1日だけの島民生活を体験したことがある。
沖縄の他の離島と比べると、渡名喜島はとても地味な島だ。石垣とフクギ並木が続く伝統的な集落があるほかは、これといった見所はとくにない。
僕が訪れたのは4月で、集落の散策を終えた頃、空から雨が降ってきた。梅雨入りを予感させるような、生温い雨だった。
仕方なく古民家に戻った僕は、庭に降り注ぐ雨をしばらく眺めてから、畳の上に枕を置いてそのまま横になった。
窓の外から聞こえてくる穏やかな雨音が心地良くて、すぐに眠りの中へと引き込まれていく……。
すでに夢を見ているのかもしれない頭の中で、これが渡名喜島の魅力なんだな、と思った。
何もない島で、何もしない時間を過ごす。そんな旅のスタイルを、渡名喜島は許してくれたのだ。
イタリア・カターニア
夏のシチリア島にも雨が降ることを、僕はその瞬間まで知らなかった。
イタリアとマルタを巡る旅の途中で、シチリア島の港町、カターニアに立ち寄った。街の上にはいつものイタリアの明るい青空が広がり、街中に太陽の光がふんだんに降り注いでいた。
でも気づくと、空は暗い雲で包まれていた。そしてそこから、ぽつぽつと雨の滴が落ちてきた。
それは静かで優しい雨だったけれど、街は次第に濡れていき、石畳の路面は白く輝いていった。
僕はその瞬間、カターニアがまったく別の街に変貌したように感じた。街全体が重みを持ち、風景がくっきりと浮かび上がって見えた。
ただただ驚いた。天候によって、街の様相がこうも大きく変わるということに。
雨が降っていたのは、わずか10分ほどの短い時間だったと思う。でもその少しの雨が、カターニアの街の知られざる一面を僕に見せてくれたのだ。
長野・南木曽
夏のある日、長野県の南木曽にある温泉旅館に泊まった。この地域は夜の星空の美しさで知られていて、その旅館もそれが魅力のひとつだった。
しかし不運なことに、その日は雨だった。美しい星空どころか、たったひとつの星の光さえ、見ることができなかった。
……午前3時頃、ふと僕は目が覚めた。なんとなく眠れなくなって、露天風呂へ行くことにした。
雨が降る深夜の露天風呂には、他の客の姿はなかった。僕は石畳の道を滑らないようにそっと歩いて、湯気が立ち上る露天風呂に浸かった。
真っ暗な果てしない夜空から、細かい雨がシャワーのように降り注いでいた。
その少し前、とても悲しい出来事があったばかりの僕には、静かに降り注ぐひんやりとした雨が、自分の心と呼応しているように感じられた。まるで、自分の代わりに、空が泣いてくれているみたいに。
僕はその雨の冷たさが心地良くて、なかなか露天風呂を出ることができなかった。
もしかしたらその深夜の雨は、満天の星々よりも遥かに素晴らしい、夏の夜空からのプレゼントだったのかもしれない。
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どうして雨の旅の記憶は、心に鮮やかに残るのか?
それはたぶん、雨が降っているとき、旅人の「五感」が刺激されているからではないかと思う。
雨に濡れて輝いていく風景、辺りに響きわたる雨の音、肌に雨粒が当たる感触や水たまりを踏んで飛び散る飛沫、そして芳しい雨の香り……。
「五感」がより鋭くなる雨の旅は、人の心に強い印象を刻むことになる。
だから旅先で雨に降られても、決して落ち込む必要なんてないのだ。「五感」をフルに働かせて、雨の旅を楽しんでしまえばいい。
そんな雨の旅の思い出こそ、ずっと消えることのない記憶として、心に残り続けてくれるはずなのだから。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!