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雨の旅って、どうして心に残るのだろう?

雨の旅の記憶って、どうして心にずっと残っているのだろう?

自分を晴れ男だと思っている僕でも、旅先で雨に降られた記憶というのは、鮮やかに心に残っている。不思議なことに、晴天の思い出よりも、雨の思い出の方が、記憶にくっきりと刻まれている気がするのだ。

僕はどちらかというと、雨は苦手だ。旅先で雨に降られれば、「あー、ツイてないなー」ってテンションは下がっていく。傘を差しながら街を歩くのは気が進まないし、写真を撮ることも億劫になってしまう。

でもなぜか、雨の旅の記憶は、心に鮮明に刻まれているのだ。それも、ひときわ美しい旅の記憶として。

* * *

韓国・安東

24歳の夏、韓国の安東で見た雨は、僕にとって初めて目にする、異国に降る雨だった。

韓国をバスで縦断する旅の途中、その安東という小さな町に立ち寄り、次の大田という街へ向かうバスを待っていた。夕方、田舎っぽい雰囲気のターミナルには、同じようにバスを待つ韓国の人たちの姿があった。

そのとき、不意に雨が降ってきたのだ。最初は小降りだったが、やがて激しい土砂降りの雨になった。

僕はターミナルの入り口から覗いて、雨の降る光景を眺めた。韓国の街は水はけが悪いのか、車道も歩道もすぐに水で溢れかえった。

あの水浸しになった安東の風景を、僕はまるで昨日のことのように、ありありと思い出すことができる。どこか緊張しながらも、好奇心を持ってそれを眺めていた、初々しい自分の姿とともに。

シンガポール・リトルインディア

東南アジアを旅していると、しばしば夕方のスコールに襲われる。それはシンガポールでも同じだった。

インド系住民が多く暮らすリトルインディアを歩いていると、大粒の雨が突然降ってきた。それはすぐに街全体に降り注ぐ壮絶なスコールとなり、人々はアーケードの中へと駆け込んだ。

僕も彼らとともに、スコールが終わるのを待った。

インド系の彼らは、アーケードの下で、のんびりと雨が止むのを待っていた。ある人は仲間とおしゃべりを楽しみながら、別のある人はぼんやりと街を見つめながら。

彼らにとって、スコールは日常の一部なのだ。おとなしく待っていれば、やがて降り止むことを知っている。

そんな彼らから、東南アジアを旅する知恵を教えてもらった気がした。

たとえスコールに襲われても、のんびり止むのを待っていればいいんだよ。それがどんなに激しい雨だったとしても、いずれ必ず止むんだから、と。

沖縄・渡名喜島

慶良間諸島の北西にぽつんと浮かぶ渡名喜島で、赤瓦屋根の古民家を1軒借りて、1日だけの島民生活を体験したことがある。

沖縄の他の離島と比べると、渡名喜島はとても地味な島だ。石垣とフクギ並木が続く伝統的な集落があるほかは、これといった見所はとくにない。

僕が訪れたのは4月で、集落の散策を終えた頃、空から雨が降ってきた。梅雨入りを予感させるような、生温い雨だった。

仕方なく古民家に戻った僕は、庭に降り注ぐ雨をしばらく眺めてから、畳の上に枕を置いてそのまま横になった。

窓の外から聞こえてくる穏やかな雨音が心地良くて、すぐに眠りの中へと引き込まれていく……。

すでに夢を見ているのかもしれない頭の中で、これが渡名喜島の魅力なんだな、と思った。

何もない島で、何もしない時間を過ごす。そんな旅のスタイルを、渡名喜島は許してくれたのだ。

イタリア・カターニア

夏のシチリア島にも雨が降ることを、僕はその瞬間まで知らなかった。

イタリアとマルタを巡る旅の途中で、シチリア島の港町、カターニアに立ち寄った。街の上にはいつものイタリアの明るい青空が広がり、街中に太陽の光がふんだんに降り注いでいた。

でも気づくと、空は暗い雲で包まれていた。そしてそこから、ぽつぽつと雨の滴が落ちてきた。

それは静かで優しい雨だったけれど、街は次第に濡れていき、石畳の路面は白く輝いていった。

僕はその瞬間、カターニアがまったく別の街に変貌したように感じた。街全体が重みを持ち、風景がくっきりと浮かび上がって見えた。

ただただ驚いた。天候によって、街の様相がこうも大きく変わるということに。

雨が降っていたのは、わずか10分ほどの短い時間だったと思う。でもその少しの雨が、カターニアの街の知られざる一面を僕に見せてくれたのだ。

長野・南木曽

夏のある日、長野県の南木曽にある温泉旅館に泊まった。この地域は夜の星空の美しさで知られていて、その旅館もそれが魅力のひとつだった。

しかし不運なことに、その日は雨だった。美しい星空どころか、たったひとつの星の光さえ、見ることができなかった。

……午前3時頃、ふと僕は目が覚めた。なんとなく眠れなくなって、露天風呂へ行くことにした。

雨が降る深夜の露天風呂には、他の客の姿はなかった。僕は石畳の道を滑らないようにそっと歩いて、湯気が立ち上る露天風呂に浸かった。

真っ暗な果てしない夜空から、細かい雨がシャワーのように降り注いでいた。

その少し前、とても悲しい出来事があったばかりの僕には、静かに降り注ぐひんやりとした雨が、自分の心と呼応しているように感じられた。まるで、自分の代わりに、空が泣いてくれているみたいに。

僕はその雨の冷たさが心地良くて、なかなか露天風呂を出ることができなかった。

もしかしたらその深夜の雨は、満天の星々よりも遥かに素晴らしい、夏の夜空からのプレゼントだったのかもしれない。

* * *

どうして雨の旅の記憶は、心に鮮やかに残るのか?

それはたぶん、雨が降っているとき、旅人の「五感」が刺激されているからではないかと思う。

雨に濡れて輝いていく風景、辺りに響きわたる雨の音、肌に雨粒が当たる感触や水たまりを踏んで飛び散る飛沫、そして芳しい雨の香り……。

「五感」がより鋭くなる雨の旅は、人の心に強い印象を刻むことになる。

だから旅先で雨に降られても、決して落ち込む必要なんてないのだ。「五感」をフルに働かせて、雨の旅を楽しんでしまえばいい。

そんな雨の旅の思い出こそ、ずっと消えることのない記憶として、心に残り続けてくれるはずなのだから。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!