ちょっとの心遣いに助けられた、13時間の飛行機の旅
国内線も国際線も、飛行機に乗ったら、窓側の席に座るのが好きだ。
単純に、窓の下に広がる、離着陸時の風景や流れゆく景色を見るのが心地良いからだ。
ただ、長距離の国際線に乗るときだけは、少し迷ってしまう。
なぜなら、窓側の席に座ると、機内のトイレに行きづらくなってしまうからだ。
通路側の席なら、誰を気にすることもなく、自由にトイレへ行くことができる。
もちろん窓側の席だって、通路側に座っている人に声を掛ければトイレへ行けるけれど、その人が映画を観ていたり本を読んでいたり、ましてや熟睡していたりすれば、とてもじゃないけど気軽には声を掛けづらい。
これまでの旅でも、長距離線で窓側の席に座った結果、通路側の人になかなか声を掛けられず、ついに着陸するまで1度もトイレへ行けなかった……という苦い思いをしたことが何度かあった。
今回はどうしようか ……と迷ったのは、この春、南アフリカから日本へと帰るフライトだった。
ケープタウン国際空港から、乗り継ぎ地であるシンガポールのチャンギ国際空港まで、13時間あまりのフライトである。
常識的に考えれば、13時間もトイレを我慢するのはかなり大変だから、今回ばかりは通路側の席を選ぶべきなのかもしれない。
でも……と思った。
つまらないことだけれど、朝のケープタウンを飛び立つときの風景や、夜明け前のシンガポールに降り立つときの景色を、僕は見てみたかった。
たぶん、飛行機の窓から絶景を眺めることで、南アフリカの旅の終わりを実感したかったのだ。
それに、もしも運良く通路側に誰も座らなければ、窓側の席でも、とくに問題ないことになる。
どうか通路側に、誰も座ることがありませんように……。
そう願いながら、僕はスマホに表示された座席選択画面で、窓側の席を選んだ。
その日、ケープタウンの空港から出国して、シンガポール行きの飛行機に乗り込むと、僕はさっそくがっかりした。
僕の座るべき窓側の席へ向かうと、真ん中と通路側の2席には、すでに2人の中年女性が座っていたからだ。
「すみません。そこの席へ座るのですが……」
拙い英語で声を掛けると、2人は笑顔ですぐに席を立ってくれたが、すでに僕の中にはなんだか申し訳ない気持ちが芽生えている。
窓側の席に座り、2人の女性も真ん中と通路側の席に座ると、僕は思った。
正直、僕の甘い考えでは、通路側の席に誰かが座ることはあっても、真ん中の席にも誰かが座ることはないと思っていた。
ところが、通路側ばかりか、真ん中にも乗客が座ることになり、トイレには相当行きづらい状況になってしまった。
搭乗前にトイレは済ませてきたけれど、これから13時間あまりも、ずっと着陸まで我慢できるとは思えない。
もしもトイレに行きたくなったら、どうしようか……。
そんな心配を抱きながら、飛行機はケープタウンを飛び立った。
窓からの眺めは、期待していたほど大したものではなく、これなら通路側を選んでもよかったかな、と思ってしまうくらいだった。
飛行機は、一旦ヨハネスブルグの空港に降り立ち、新たな乗客を乗せると、すぐにまた大空へ飛び立っていく。
やがて水平飛行に移ると、機内食と飲み物が運ばれてきた。
僕はフライトマップの画面を見つめながら、真ん中と通路側の2人の女性はそれぞれに映画を観ながら、機内食を食べていた。
食事が終わり、トレーやカップが片付けられたとき、思いがけないことが起きた。
僕の隣、真ん中の席に座った女性が、不意に声を掛けてきたのだ。
「トイレに行かなくても大丈夫ですか?」
どう答えていいか僕が迷っていると、通路側の席に座った女性も口を開いた。
「私たちもトイレに行くので、一緒に行きませんか?」
思わぬ心遣いに、僕は驚いた。
いままで何度も窓側の席に座ってきたけれど、こんなふうに声を掛けられたのは、ほとんどない経験だったからだ。
まだトイレに行くには少し早かったけど、2人の温かい言葉に甘えて、一緒に行かせてもらうことにした。
僕がトイレを済ませて、再び席へ戻ると、2人の女性は席に座ることなく、立ちながら僕を待ってくれていた。
「どうもありがとう」
お礼を言うと、そんなのいいのよ、というふうに2人は笑みを浮かべた。
3人でそれぞれの席に座った後で、あるいは、と僕は思った。
もしかすると、中途半端なタイミングで僕に声を掛けられるよりも、先にトイレに行かせてあげた方が私たちにとっても気楽だから、という思いもあったのかもしれない。
でも、たとえそうだったとしても、やっぱり嬉しかった。
なぜなら、このときトイレに行けたおかげで、飛行機が夜のインド洋上空を飛んでいる間、1度もトイレに行きたいという気分にならなかったからだ。
旅の疲れもあった僕は、自分でも意外なくらい、ぐっすりと眠ることができた。
たまに少し目を覚ますと、真ん中の女性は映画を観て、通路側の女性は熟睡していることが多かった。
やがて起きると、シンガポールに到着する前の機内食の時間だった。
僕はまだ眠い目をこすりながら、同じく眠そうな2人の女性とともに、機内食を食べた。
食べ終わり、オレンジジュースを飲んでいると、ふっとトイレに行きたい自分に気づいた。
ヨハネスブルグを離陸後に1度済ませているとはいえ、それから8時間あまりが経っていた。
でも、そこまで切羽詰まった状況ではない。
もうすぐシンガポールに到着するし、飛行機を降りてからトイレへ行けばいいだろう……。
そう思ったときだった。
「そろそろトイレへ行きますか?」
真ん中の席に座った女性が、また声を掛けてきてくれたのだ。
「いまのうちに行っておいた方がいいわよ」
そう言う通路側の女性も、やはりトイレに行くらしく、すでに立っている。
僕はじんわり胸が熱くなった。
その心遣いが、自分たちのためではなく、僕のためを思っての純粋な親切であることに、ようやく気づけたからだ。
もちろん、最初に声を掛けてきてくれたのは、寝ているときに僕に起こされたくない、という思いもほんの少しあったのかもしれない。
でも、あとはもうシンガポールへ着陸するだけのいま、そんな理由で僕に声を掛けるはずがなかった。
ただ素直に、自由にトイレへ行くことのできない僕の気持ちを思って、声を掛けてくれていたのだ。
2人とともにトイレへ行った僕は、席に戻ると、再びお礼を言った。
「どうもありがとう」
すると、真ん中の女性が聞いてきた。
「この後はどこまで行くの?」
「日本の東京まで」
僕が言うと、2人は感嘆の声を上げて、そして楽しそうに笑った。
やがて飛行機は着陸態勢に入り、窓の向こうに、シンガポールの夜景が見えてきた。
その煌めきを見つめながら、僕は思っていた。
この2人の女性のおかげで、僕は13時間もの間、1度も困ることなく、安心して過ごすことができたんだな、と。
2人にとっては、ほんのちょっとの心遣いだったのかもしれない。
でも僕にとっては、13時間の長いフライトを、苦しい旅ではなく、心からの幸せな旅に変えてくれる、溢れるくらいにいっぱいの心遣いだった……。
飛行機がシンガポールの空港に着陸し、やがて降機の列が動き始めたとき、僕は2人の女性に声を掛けた。
「本当にありがとう。おかげで助かりました」
2人は嬉しそうな笑顔になると、声を合わせるようにして言った。
「どういたしまして」
そして、去っていく2人の後ろ姿を見つめながら、こんなことも思った。
あの2人に会うことはもうないのかもしれないけれど、あの2人からもらったこの親切だけは、ずっと忘れたくないな、と。
この文章を書き終えたいま、もうひとつだけ、思っていることを書いておきたい。
それは、僕もまた、親切を受けるだけの旅人ではなく、親切を与えられる旅人になりたい、ということだ。
飛行機で窓側の席に座れば、通路側の人にはなかなか声を掛けられない僕にとって、通路側の席に座っても、窓側の人にはやはり声を掛けづらいかもしれない。
でも、他のどんな場所でも、どんな状況でもいい。
僕もひとりの旅人として、どこかの誰かに、ほんの少しの心遣いができるようになりたい、と思う。
ときに親切を受け、ときに親切を与える、旅人になっていく……。
そんな旅人になれたら、その旅もきっと、もっと素敵なものになっていきそうな気がするのだ。