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#62 自分の憲法

社会人1年目の日記 62日目

こんばんは。だつをです。

あなたの憲法は?

突然ですが、あなたは自分の中に憲法を持っているだろうか。

憲法というものは絶対的なもので、破ってはいけない。どんな状況であっても、相手が誰であろうと自分の憲法は適応される。

つまり憲法とは自分の中の「ブレない軸」となるものである。

自分の憲法を持たなければ、その人は周りの出来事に振り回され、気分の起伏が激しかったり、誰にでもいい顔をするただの八方美人になってしまう。

自分の憲法を持つことで、自分の価値観や正義感から外れた行動、振る舞いをする人に対しては、はっきりとNOを突きつける勇気を持てるのである。

ブレる中心

それではとりあえず自分の中心、核となる部分を持てばいいのかと考えられるが、どんな中心を持ってもいいということではない。

誰でもみんな自分の人生における中心となるものを抱えていて、それは人生の全てにおいて大きな影響を及ぼしているが、多くの人はその中心を意識せずに過ごしている。

では、人々はどのような中心を持っているのだろうか。

例えば配偶者中心。
全てにおいて、自分の妻(または夫)の機嫌や生活を中心に考える人がいる。この中心を持っている人は、妻に心の安定を求め、妻の機嫌が悪かったり、二人の仲が悪くなるとそのほかのことが手につかなくなる。
つまり、妻に依存している状況である。

例えば、仕事中心。
全てにおいて、自分の仕事に意識を向け、いつでも仕事で頭がいっぱいの人もいる。この中心を持っている人は、仕事以外の物事、人間関係を疎かにし、気分は仕事の良し悪しに左右される。

定年退職した後に家族での居場所もなく、かといって仕事をしていた仲間とは仕事のみでの関係で、退職後に遊ぶ人もいない。そんな寂しい生活を送ってしまうタイプの人間は間違いなく仕事中心だろう。

他にもお金、所有物、娯楽、教会、自己などをそれぞれ中心としたものがあるが、ほとんどの人はこの中の複数の中心を持っており、場合によって中心を変えて生活をしている。

中心をコロコロと変えて生きる人生は、その場の状況に大きく左右されるということだ。だからこれらの中心を持つ人は指針が常にぶれ、アイデンティティや揺るぎない自尊心が生まれないのである。

ブレない中心

それではブレない中心とは何なのか。

それは原則中心である。

原則はどんなものにも影響されず、それを中心に据えている人であれば、人によって態度を変えたりその場しのぎの行動をとることはない。

原則中心の生き方であれば、どんな物事に対しても自分が一番いいと思ったものを主体的に選択し、自分の決断に自信を持つことができる。

その原則とは何か、と聞かれるとそれは個人によるとしか答えようがない。ただ、原則の見つけ方はある。

それは、自分の良心と想像を持ってして、「自分の人生の終わり」を思い描くことである。

終わりを思い描く

自分の葬儀の場面を思い描いて欲しい。
そこには家族や友人、職場の仲間やそのほかの大切な人たちが参列している。

彼らが自分に向ける弔辞がどんな内容であれば嬉しいか。

「あなたはパチンコに精を出していましたね。」
「あなたはお金儲けのことしか考えていませんでしたね。」

などと言われたい人はいないだろう。

多くの人は、自分が周りの人に貢献したことや誇れる功績について覚えて欲しいと思うことだろう。

人によってそれは様々だが、原則はここにある。

この原則から外れず、その思い描いた姿になるためにどういった価値観を持てばいいのか、に従って憲法を制定していくと、それが「ブレない軸」となり、効果的で安定した人生を送ることができる。

例えるなら、原則は自分の行きたい「目的地」であり、価値観は目的地のある場所の「地図」であり、憲法はそこに到達するまでを示す「道順」である。

目的地は誰にでも「ある」ものである。自分と向き合えば必ず見つけられる。それがどのあたりにあるかを認識するのが価値観である。ただ、それが間違っていれば一生「目的地」=「原則」を見つけることはできない。

たとえ原則と対応する価値観を正しく認識できたとしても、そこに到達するための憲法を正しく制定できなければ、原則中心の生き方をすることはできない。

全てにおいて原則を中心とし、そこから広げていき個人の充実を図ることの重要性を理解することが大切なのである。


それでは、また明日。



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