真実と、真実みたいな幻想と。

何が、それを分けているのか。

私の人生の振れ幅の大きさには、ちょっとウンザリします。

我が家は子どもが6人。
今、出会う人はその子沢山を「福々しく」思い、幸運にあやかりたいと言います。
実際、好意的に捉えてくださる方がほとんど。
でも、数年前は、子沢山に顔を顰め、蔑む態度をあからさまに取る方が多く。

これを分けたのは、なんだったと思いますか?

近頃、強盗やそれにまつわる殺人やらと、世間は物騒です。
それの主犯格で報道されてる人物と、接点があったとして、騒がれている芸人さん。
その方に、さまざまな意見があるようです。
そのうちのひとつに、彼の発言を受けて、そもそも裏の社会や「あっち側」の選択肢があるのがおかしいってのが、あるみたいです。

私、思うのですが。
彼だけでなく、フツウの子とソッチ側に行く子と。
その前に、セケンに、無意識のジャッジを受けて。
ただ無邪気な時の子ども時代から、可愛がれる子と、顔をしかめられる子と。
同じことをしたり、特に居るだけで、全く両極の評価や反応が、この世にあるのはなぜだと思いますか?
冒頭の話。
好意的と悪意や敵意みたいな評価の分け目。
うちの場合は、懐事情です。
その時の経済状況。
今はまあまあ慎ましくも暮らせます。あの頃は、いろんな出来事や事情に見舞われて、公共料金の滞納や強制退去も経験したほど、困窮していました。
でも、もともとは、フツウの一般市民として生活し、いわゆる中流。
人生、不測の事態や不遇はあるものです。
人生に計画はあれど、予測と一致はあり得ないもの。
たちまち立場や風が変わります。
メンバーは変わらなくとも、ナニカが違うだけで。
そう、わかりやすいのは、お金。経済状況。社会的立ち位置と「セケンの基準に照らしたジャッジ」。

かの芸人さん、いろいろご苦労があったようで。
ワルイコトもしたみたい。
だけど。
今は、傍目から誠実に人生を生きておいでです。
そこら辺は、私わからない。けどさ。
彼が伝えたいのは、どんな人もどんな立場になるかわからない、だから、批判であっちとこっちを分断して無関係にするでなく、子ども達がみんな、どんな子も、そういうことをしなくてもいいようにしたい。って事だと。

裏の社会を自分と無関係に「できた」ヒトは、幸せなんだと思う。
悲惨なトキを過ごす事なく、人が人であるために大切な事を守れたヒトは、奇跡のような事だと思わなくてはいけないんだと思います。
仮に、良くない世界やヨクナイコトをしないのを、置かれる環境や状況や、運命を迎え入れなかったとしても。
このオモテのセケンが、どれほど「普通」に迎えてくれるのか。
蔑まず、邪魔にせず、「自分に得のある」バックボーンをもつ「みんな」と同様に、受け入れてくれるのか。

法に触れるような悪さをする世界に、引き込まれるのは、弱さに他ならない。
けど。
なら、法に触れないやり方で人を傷付けるヒトはどうなの。

犯罪となることや、イケナイコトをした人が、ずっと貶められる世の中なら、きっと、真っ暗闇がどんどん大きく深く。
当事者でしかわからないこと、被害を受けた人の苦しみ。あるいは、個々の人生や、蔓延する価値観や先入観や。
いろいろ見る角度で、様々な問題がある。
けど。
とりあえず、人を傷付けながら生きる場所しかない人を・そういうところに近い場所に生きる子どもたちを、守りたいのは、私もその芸人の彼も、きっと一緒。
それだけが、絶対の真実。

あるのですよ。
びっくりするほど、身近に。学校にも、地域にも。
「善良」とされる場にも。
驚くコトにね。
子には関係のない、親の「スペック」を、無意識の判断材料にしたり、バイアスとなるようなこと。
同じように、コロナ禍の経済苦や失職などで、社会的な足場を失った人たち。
良いとか悪いじゃないんだよね。そういう、偶発的な事情を持つ人を見る目は、イロメガネ。
平穏な人生はたまたまの幸せ。

本当に悲しくなるね。
悪さをした人間でなく、無関係とする、潔白な人生の勘違い。



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