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【農家の3Kイメージを覆す生産者たち】19歳の志「日本の農業をよくしたい」に向かって一直線に生きる

農家の3Kイメージ「きつい・汚い・給料低い」を覆す生産者たちを大特集!農業をビジネスとして成立させるための「クリエイティブな」視点に迫りました。彼らのマインドは、一次産業界だけでなく、幅広いビジネスシーンで通じるはずです。

浅井雄一郎さん
浅井農園(三重県)の5代目。
大学卒業後、経営コンサルティング会社や環境ベンチャー企業を経て、
三重県に帰り、家業の株式会社浅井農園を継ぐ。
同県の製油会社・辻製油㈱と三井物産㈱と共同で「うれし野アグリ株式会社」を設立。
植物油を製造する際に排出される工場排熱やバイオマスボイラーから出る蒸気を利用したバイオマスエネルギーを、100パーセント使った大規模トマト農場が注目を集めている。

もんもんとしていた学生時代 19歳で志が決まる

もともと浅井農園は、明治40年の創業以来、サツキツツジ等の植木生産がメインでした。僕が子どもの頃はちょうどバブルの時代で、親父も忙しくてよく手伝いをさせられてました。肉体労働が結構大変だったので子供の頃は「農業はやりたくねぇな」とは思っていました。
大学に入学しても、情熱を注げるものは見つからずに、悶々としてましたね。

-農業に意識が向いたきっかけはあったんでしょうか?

19歳のときですね。
親父にアメリカの種苗会社でのインターンを進められて、3ヶ月間アメリカに行ってきたんですよ。
農業への道を志したのもそのときからです。

-アメリカではどんな発見があったんですか?

一言でいうと「うちの実家は全く違うな」って。

アメリカの農業は非常に合理的な運営がされていました。肥料をまくチームや農薬をまくチームがいて、指示を出す人がいて。それぞれの作業の目的がはっきりしていた。世界中から来たたくさんの人が働いているのを目の当たりにして「農業がビジネスとして成り立っている国があるのか〜!」と刺激をうけましたね。

それからは「世界の農業を知ろう」と思って、長期休みのたびにバックパックで旅をしてました。日本の農業をよい方向に変えたい、と思ってからは一直線でしたね。
東京のコンサル会社やベンチャー企業で働きましたが、19歳の時点で「いずれは三重の実家に戻る」というのが見えていたので、修行のつもりで「いかに自分が力をつけて帰るか」をイメージしながら働いていました。

-東京での修行では、どんな力がつきましたか?

ひとつは、事業開発力かな。何もないところから価値を生み出して、大きく育てていくっていうのは楽しかったです。

もうひとつは、論理的に、数字に裏付けられたアクションをとって、新しい価値を生み出す仕事のやり方。その経験は、今の経営にも繋がっていますね。

トマト嫌いがはじめたトマト栽培

-三重には、いつ帰ってきたんですか?

5年半東京で働いた後、27歳のときです。100年続いた実家の植木事業が大変な時期でした。400件あった生産者が12件にまで減ってたしね。

何か新しい事業をやらなきゃいけないってことで、トマト栽培を始めました。

-なぜトマト栽培を?

実はトマトはあまり好きなかったんですが・・・。

-そうなんですか?

東京から三重に帰るとき、ベンチャー会社にいたときにお世話になった静岡のクライアントが、トマトの生産システムを新規事業として始めるタイミングで。「三重に帰る途中だから寄ってけや」って言われて、3ヶ月くらい転がり込んでいました。

そのときに食べたミニトマトがとても美味しくて。そこから「トマト嫌いな子どもたちでも食べられるトマト」というアイデアが生まれました。

-トマトの売り先はどうやって探したんですか?

植木事業の方で懇意にしていた地元のスーパーの社長さんに、試験栽培中だったトマトをその社長に食べてもらったんですよ。そしたら「こんなに美味しいトマトだったら、うちで買ったるから作りなさい」言ってもらって。
スーパーとかって農家から直接売り込みに来てくれるっていうのはあんまりないみたいで。逆にずっと待っていてくれていたような感じでしたね。

ビジネスとしての農業を支えるのは「誇りをもって働ける環境」

家族3人で始めたトマト栽培ですが、今は正社員が20人くらいになりました。パートさんは130人くらいいます。

-そんなに増えたんですか!

100人を超えるチームを動かす責任を感じます。
パートさんも含め、従業員一人ひとりが、誇りに思えるような会社にしてきたいとずっと思っています。

うちの従業員は9割女性なんですよ。なんでうちの会社で働いていただけているのかっていうと、やっぱり「仕事の環境」だと思っています。例えば、うちはシフトが11種類ありまして。幼稚園のお子さんがいるお母さんが、子供を9時に送って2時に迎えにいく間だけ働けるシフトもあります。今年は本社を建て替えるんですが、会社内に企業内託児所を作る予定です。オフィス内装はグーグルみたいに思いっきりオシャレにしたろって思ってます。

みんながいきいき仕事できる環境を作るのが僕の仕事ですね。
一人ひとりがいい仕事ができればいい会社になるし。いい会社が増えれば社会はよくなる

作業員になるのか、研究者になるのか

-「ビジネスとしての農業」をやっていくうえで、大事にしていることは何ですか?

うちの人材育成には三本柱があります。

1つめはまず、「現場」を知ること。トマトを一人前に作れること。

2つめは「ビジネス」。
「農作業がしたい」とか「自然が好きだから働きたい」っていう人も結構いますが、生産だけで農業経営をやっていけるわけじゃないので、ビジネスマンとしても一人前にならなきゃいけない。

3つめが「サイエンス」。我々の事業領域は自然科学であり、常に現場で起こる変化に対して仮説を持って取り組まなければなりません。そういう意味でもすべての技術系社員が研究テーマを持って業務に取り組む、「常に現場を科学する研究開発型の農業カンパニーを目指す」と掲げています。

-研究開発型の農業とは?

何もないところから価値を生み出す、ゼロからイチを生み出していける農業ですね
例えば、世界で初めてトマトの自動収穫ロボットを開発しています。常に挑戦者というポジションで、世界初・日本初というところにはこだわっていきたいなって思っています。

もうひとつ、日々の仕事って単調な仕事が多いですけれども、常に季節って変化してくじゃないですか。二度と同じ条件の日って来ないんですよね。だから日々の農作業をただの作業と考えるのか。研究者のように仮説をもって植物と向き合うのかで全然違う。

植物は素直ですよね。自分が手をかけた分だけ、植物はどんどんよくなるし、トマトはおいしくなる。努力が目に見えて結果になって、会社の収益に結びつけていくのは、非常にシンプルでおもしろいなって思いますね。

課題が多いからこそビジネスチャンスになる

-浅井さん自身が「農業をやっていてよかった」って思うことはありますか?

バックパッカー時代から「世界をまたにかけて仕事したいな」っていうのが漠然とありましたが、それが実現しています。おもしろい種がないか探しにいったり、新しいハウスなどの取引先を探しにいろんな国に行っています。農業を通じて世界中行き来しながらビジネスができるのは非常におもしろいなって思います。

あとは、自分が農業界のプレイヤーとして農水省とか経済産業省とか国の政策を作る委員会の委員にも選んでもらったりしています。19歳ときに思い描いていた「日本の農業を少しでも良くするために役立ちたい」っていう思いが少しずつ形になってきています。

農業ってお荷物産業みたいによく言われますけど逆だと思います。
日本の農業をアツく強くすることで、日本が強くなることに繋がっていくと思います。

-これからの日本の農業はどうなっていくと思いますか?

ちょうど今が日本の農業の構造が大きく変わるタイミングなんですよね。

-農業の構造が変わる?

農業者の人口構造がガラっと変わりますから。農業者の平均年齢が約70歳。
これから年配の農業者がリタイアされていく中で、若いというだけでも地域から期待される存在になります。

そのタイミングで農業ビジネスに関われるっていうのはすごく幸運なことだと思ってます。課題が多いからこそ、ビジネスチャンスもあるんですよね。



農家の3Kイメージを覆す生産者たちシリーズ



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