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「留学初日にマックで寝泊まりすることになった話」

2016年9月。習った中国語を信じて北京へ留学することになったが1日目にしてパスポートを失くしてしまう。当日は留学先の寮やホテルにも入れず、警察署に出頭し、ようやく迎え入れてくれた場所は麦当劳(マクドナルド)だった。中国では1にパスポート、2にケータイ、3に電話番号がなければ何もできない国。発展して騒がれている国とは裏腹に身元証明がなければ国内では身動きさえできない。安全な国、日本でぬるま湯に浸かりまくっていた私は、想像できないような失敗談を多数経験させていただいた。

本noteのあらすじ

こんにちは!!今日は創作大賞に応募するため、いつもとは異なる文字数多目の記事です。勿論今回オフトークで語らせていただく数々の留学失敗談があってこそ、今のnoteを発信できると思っております。どうかこの場を借りて、今後留学する人たちへの参考に、また一緒におもしろおかしく笑っていただければ嬉しいです。応援もよろしくお願いいたします!(筆者より)

ありがとうございました!

初めに

改めまして筆者です。このnoteは2021年の春に開設してから早2年、学生時代から社会人の間に学んだこと・経験したことを記事にアウトプットして参りました。特に教育関連に興味がある私は、noteにおいて語学・留学・スキル・キャリアと多義にわたる教育関連の記事を掲載しています。

高校まで受身な教育をとってきた筆者でしたが、大学時代をきっかけにより一層自分好みの教育・勉強方法について研究することが多くなりました。そして結果、自身が「これだ!*」と思う学習方法を導くことができました。

*ちなみに「これだ!」と思う学習方法はInstagramやnoteでも発信中

研究し行動した結果、勿論失敗したことは多岐に渡りますが、それ以上に素晴らしい人との出会いや珍しい経験・目で見ないと知り得ない深遠な知識を身につけることができ、今の仕事にも生かされているので後悔はありません。むしろ、もっともっと勉強や教育について興味関心が湧いています。

今回は、物理的にも文化的にも我々に近い国、中国で起こったカルチャーショック体験をお話しします。というのも先日、中国留学を共にした友人と中国留学への思い出を振り返る機会があったからです。今でこそ笑い話になりますが、当時は物凄く深刻だった話をします。

中国留学に行ったワケ

私が中国への留学を決意した理由は大きく二つあります。一つ目は、欧州でたくさんの中国語話者に出会ったこと。二つ目は、大学時代に一緒に住んでいた友人が留学生活を送ったことに刺激を受けたからです。

当時、私が親しく過ごしていた友人は、大学生活の大半を私と共に過ごし、その後中国へと留学しました。その子は韓国からの留学生で、我々は同じ部屋をシェアしていました。学生時代、お金に余裕があるわけではなかったので、我々は独立した部屋というより、同じ狭いスペースで寝泊まりし、友情を深めていたのです。その後私は交換留学に応募し、イギリスへの留学が決定。一方で友人は中国へ留学のために休学することになりました。これが2015年9月のことでした。そしてその1年後、国費奨学金を利用し中国留学への道に進みます。決め手となったのは、留学先であるイギリスで多くの欧米人が中国語を学んでいる現状を目の当たりにしたからです。

英語ができれば問題ないと思っていた学生時代、現地に住む英語ネイティブたちがこぞって中国語を習得していたことにショックさえ感じたのです。イギリスは国際留学に人気のある目的地であり、特に中国からの留学生の数は年々増加傾向にあります。Statistaからの調査によれば2016年時点で既に9.5万人、今では15万人近くに上ります。

Number of students from China that study in the United Kingdom from academic year 2010/11 to 2020/21by Statista

なのでアジア圏の顔を区別できない英語ネイティブたちは、私たち日本人に対する勧誘にも流暢な中国語を使って話しかけてきたのです。本当に学ぶべき語学は英語ではなくて中国語だったのか・・・?

決意したのがイギリス留学中でしたが、当時筆者の中国語レベルはHSK1級。留学条件はHSK2級以上が対象だったので、まずはイギリスでHSK*の試験を受けてから留学願書を出すことにしました。

*HSK(Hànyǔ Shuǐpíng Kǎoshì)は、「漢語水平考試」の略で、中国語の能力を測定するための国際的な試験。HSKは中国の教育部が主催し、中国国家汉办(現在の中華人民共和国国家言語委員会)が実施。HSKはいくつかのレベルに分けられており、レベル1からレベル6まで存在。レベル1は最も基本的なレベルで、簡単な日常会話を理解し表現できる能力を測定。一方、レベル6は最も高度なレベルで、複雑な中国語を理解し表現できる能力を測定。

HSKの公式サイトを参考に編集

対して私の友人は、元より中国留学のために休学してその間母国にてHSK5級まで取得してから、北京にある大学で半年勉強することになりました。そして私も友人と同じ大学へ留学することになりました。

留学1日目にしてマックで寝泊まり

「え、寮に入れない!?」

2016年9月の北京。私は北京に上陸して初日、某ファーストフード店にて寝泊まりすることになりました….

本当に困りました。だって初日にしてパスポートが紛失し、そのために寮にも入れず、ホテルにも入れなかったからです。中国ではパスポートが無いと不法滞在者と見なされ、ホテルなどの宿泊施設を断られることがあります。つまりほぼ100%外国人旅行者及び訪問者は常にパスポートを提示して身元証明をする必要があるのです。勿論これは宿泊施設だけでなく、他にも提示するべき場所が存在します。

・空港 :出国手続きや入国審査を通過する際にもパスポートの提示が必要で
・ホテル:ホテルによっては、パスポートのコピーを提出することでも可能だが、基本提示できるような状態が好ましい
・銀行:外貨両替や銀行口座を開設する際に、パスポートの提示が必要
・観光名所: 故宮博物院や天壇などの一部の観光名所では、パスポートの提示が必要。事前に公式サイトなどで確認しておくことをおすすめ
・SIM:中国の電話番号やSIM取得にパスポートの提示が必要

筆者の経験談に基づく

すでに夕方で日も暮れており、大学キャンパスに存在する各棟のオフィスも次々にクローズ準備に入っていました。

(とはいえ入っても入れなくても喜べない….)寮

話が通じない!!

当時、私の中国語レベルはHSK2級でした。中国語がままならない私は最後に警察署へ。当たり前だがやっぱり話が通じない!!!

漢字の理解力、文法、語彙、聴解、読解など、広範囲にわたる中国語の能力を評価することができるHSKにおいて、2級レベルは以下の通りでした。

  • 聴解:簡単な日常生活の会話や短いメッセージを理解できること。

  • 読解:簡単な文章を読み、基本的な情報や内容を理解できること。

  • 表現:簡単な日常生活のシーンで、基本的な表現や会話を行えること。

けれど残念!!北京は普通語(日本で言う標準語)を使うけれども、他地域とは異なるRの発音がキツイ地域で且つ方言もすごい北京語。当時の私では、警察署で働くおじちゃんの訛りが全く分からず断念でした (おまけに何を言っているのかわからないので、怒鳴られているようで怖い…….)。
HSK2級は簡単な日常生活の会話が理解できることを基準にしているのに、何も理解できなかったのです。

SIM無し、家無しということで、大学キャンパスから徒歩10分の場所にあるマクドナルドへ行くことにしました 。

家無し子

注文したコーヒーを片手に、とりあえず睡魔に負けぬよう必死で耐えていました。残念なのは住む家が無いことは勿論、SIMがないことでした。
中国では、SIMや中国の電話番号が無いと決済ができません。店内にあるWi-Fiも中国の携帯番号を入力し、SMSメッセージから流れる認証コードを持ってWi-Fiが開通できます。確かこの時は一緒に留学に来ていた友人を介して代わりに決済したか、または現金で支払いしたかだと思います。ただ2016年時点で、現金を利用する店舗はほぼ少なかったことを覚えています。
つまり、連絡手段が無いことも命取りでした。

マックナイト

初日から1人マクドナルドでコーヒーを片手に震えながら座る女子。日本とは違い、夜中にホームレスのおじちゃん・おばちゃんが続々集結 (え、こんなお店ある!?!?)、少し離れた角席が彼らの拠り所となっているのか、23時以降からはいつの間にか店内が人で集まっていました。
見知らぬ人が集まる中、1人反省会をしていたのを覚えています。
どこでパスポートが紛失したのか?明日の動き方はどうするか?そもそも日本で購入したSIMが何故使えないのか(こちらに関しては今でこそ使えるSIMが日本でも入手できるようになりましたが、当時購入したSIMは何故か中国でブロックされたのです)?そして何故マックに人が集結しているのか….

人は心配になるとその場に留まることをせず、何か行動を起こして打開策を考えるようになります。無人島に漂流した人と一緒。なんとか自分のコンフォートゾーンを探してサバイバルを始めます。今となっては危険なのですが、2時間おきに10分かけて学校に行き門の前でウロウロしていました。

夜が明ける

こうしてついにマックで朝を迎えることになりました。昨日の1人反省会を踏まえて真っ先に向かったのが大学のオフィスでした。オフィスで学生証を発行したのがパスポートを使った最後だったことを思い出したからです。
案の定、パスポートが戻ってきました。職員が学生証を発行する過程で私のパスポートを持ち去りそのまま返却を忘れていたみたいでした。
この時の学びは、必ず全て返却してもらっているか、そしていつも片時も離さずにパスポートを手元に置いておくことでした。
ちなみにパスポートがないか必死でやり取りした際、職員からは「ああ、これね」みたいな感じでパスポートが返却されました(笑)

無事寮に入居手続きが済みましたが、一方で一緒に留学してきた友人はオンラインで予約した寮が二重ブッキングされており寮に入れず。結局キャンパスから近いホテルでこの後過ごすことになりました (そんなことある?)。

中国ダイエットの秘訣

話にも文化にもついていけなかった当時の私は、半年でマイナス15キロのダイエットに成功しました… (絶対マネしないで!!)

古ぼけたモーテル

寮に入れなかった友人に誘われ、私も時々ホテルに寝泊まりすることになりました。今思うと本当にホテルと言えたのでしょうか…?当時滞在したホテルは薄暗く古臭く。そんな空間にいると自然と空腹が収まりました(少し失礼?)学校以外では言葉も通じないので食べる気にもなれず、暫くの間は毎日1食。これが一番最初のダイエット方法でした。

毎日同じご飯を食す

中国に来て2週間は毎日同じご飯を食べました。別に他のご飯が不味かったわけでは無いです。繰り返しますが理由はただ一つ、話が全く通じなかったからです(言葉って本当に大切だと痛感しました…..)。
中国に上陸する前は教材ベースで勉強していたので、全くアウトプットの時間がありませんでした。自分で発音練習もしていましたが、まさかタクシーのおじちゃんやスーパーのおばちゃんに全く伝わらないとは思わなかったのでがっかりしました。応用が効かない中国語を今まで覚えていたなんて。

以下は使いまわしていた私の重要単語です。
黑椒牛肉饭(hēi jiāo niú ròu fàn):黒胡椒牛肉ご飯 (当時250円くらいの食堂メシ。日本人の口にもあって美味しい。食堂で毎日頼んでいた)
不要袋子(bú yào dài zi):袋入りません(スーパーで使える魔法の言葉。レジのおばちゃんが毎回聞いてくるのが、買い物金額とレジ袋)

※ 餃子や他の食べ物も食べてみたかったのですが、種類や焼き加減、量も聞いてくることがあり、常に激混みな大学食堂で、当時の中国語レベルでおばちゃんの声を聞き取るのも難しく断念しました

食堂の黑椒牛肉饭 (美味しそうですよね)

スーパーマーケットの異臭

今でこそ盒马(Hé Mǎ)*などのオーガニックでクリーンなスーパーマーケットやフードデリバリーが存在しますが、当時大学付近にあるのはローカルなスーパーが主流でした。

盒马はスーパーマーケットとレストランを組み合わせたような業態で、新鮮な食品を中心に商品を取り扱っている。また、オンラインで注文を行い、家まで配送するサービスも提供。

当時、中国のスーパーマーケットでは、ドリアンを核とした凡ゆる生臭い匂いが漂っており、私にとってそれはもう耐えれない異臭でした。購買欲が生まれる訳がない友人と私は、最低限の食料品しか購入しませんでした。

初めての購入品

  1. ペットボトルの水:水道水は当然ながら飲むのはNG。必ずペットボトルの水を購入しましょう。勿論ケトルに入れる水もペットボトルの水でお湯沸かししていました。

  2. トイレットペーパー:ホテルについていなかったので購入(びっくり!あとはホテルでも流せないトイレが存在するので日本から流せるポケットティッシュを持ち運ぶことおすすめします)

  3. 洗濯洗剤:シャワーのみのホテルでしたが、そこで手洗いをしていました

  4. バケツ:洗濯物を洗う用のバケツ。とてもお世話になりました

  5. バスタオル:ホテルのタオルが臭かったので購入 (もしやバスタオルで部屋を拭いているのか?)。これも日本から持ってくることをお勧めします

海鮮チゲで食中毒

2週間後ついに牛肉飯から卒業し、友人と海鮮チゲを食べることにしました。全ての大学で共通かどうかはわかりませんが、私が通った北京の留学先では、1階の食堂とは別に2階奥へ進むとVIP用の食堂がありました。
2階は少し値段が張りますが、シャンデリアのランプに且つ静かで綺麗な空間で食べることができる空間があったので「VIP食堂」と呼んでいました。キャンパスにシャンデリアがある空間を見つけた時は感動しました。
お金がモノを言う中国、これは後から多く意識するようになりました。

いつものように食堂でランチを済ませ、友人のホテルへ戻った私。しばらくすると突然目の前が見えなくなるほど目がくらみました。そして次に酷い腹痛と吐き気が押し寄せ、ホテルに到着した途端、しんどさのあまり意識が朦朧としたのです。友人にお願いしてもらい大量のポカリをスーパーマーケットで購入しましたが、その後続いて友人も同じ症状に襲われました。

ランチから様子がおかしくなった私たちは間違いなく海鮮チゲの貝に当たったのではないかと予想できました。あれから中国で貝を食べることは無いですが、学校の食堂で食あたりになるとは思わず痛い思い出です…

会話がままならないのに病気なんて!!幸いにも次の日は週末だったので、2日間は2人でずっとホテルのベッドで寝込んでいました。ポカリしか飲めなかったので、あの時は非常にきつかったですが、とはいえ学習を止めるわけにも行きませんでした。仕方なく週明けは授業に参加し、キャンパス内にある病院に行くことにしました。

病院治療と怪しい漢方

今でこそ人並みくらいは理解できる中国語ですが、当時は病院に行くのも必死でした。唯一救いだったのは、中国語教材に載っていた「病院での会話編」。これを基に必死で伝えた気がしますが、採血されて最後「問題なし!」という結果となり苦い漢方を一式渡されました(本当なぜ?笑)

寿命が縮まる話

道路を逆走

中国では人口が多いからなのか、または土地が広いからなのか、日本と違って道路が何車線も存在します。今でこそ具体的本数は覚えていませんが、体感としては計6〜8本車道が連なっていたイメージ。
そんな大通りを横切ったり、または横に沿って歩いて行くと少しヒヤヒヤするのです。中国からきて数日、中国アプリを頼って道を歩いているとしばらくして、大変なことに気づきました。歩道を逆走していたのです…
ザーザーぶりの雨の中、道は少し上り坂になり、みるみるうちに歩道を歩く幅がなくなりました。徒歩で高速道路のような車道に入っていました。アプリを頼りに歩いていた私は時すでに遅し、ふと顔を上げると爆速で走る車やバイクを対面に歩かざるを得なかったのです。

視界が悪い北京!

季節やタイミングにもよるかとは思うものの、普段もスモッグや天候で視界が悪い北京。その日は土砂降りの雨だったのでますます視界も悪くなっていました。対面から走行してくるバイクは歩いてくる私を注視しながら通り過ぎ、私は後戻りすることも不安なまま、ただずっと真っ直ぐ歩くしかありませんでした。 (今考えるだけでも末恐ろしいです..)

やっと中間地点まで到達し、上り坂が平坦から下り坂になりました。登りでも下でも怖さは変わらないのですが、とりあえずゴールに辿り着くまで安心してはいけないことを強く念じ、前へ前進しました。

歩道とは言えない、30cmほどの隙間を慎重に歩き続け20分、ようやく歩道が見えてきました。こうして無事に学校へ戻ることができたのです。雨で爪先までずぶ濡れった私でしたが、生存できたことに安堵しました。

その後アプリを確かめると、どうやら道が上の高速道路と下の一般道路に分かれていて、アプリは高速道路用の道を指していたことがわかりました。

爆速タクシー

中国で寿命が縮まる思いを何度も経験しましたがタクシーもその一つです。前の予定が伸びてしまい、次の予定に遅れそうになった時の話です。友人とタクシー運転手さんに「何としてでも早く目的地に向かって欲しい!」ことを伝えると運転手のオジチャンが「任せとけい!」といったノリで時間に間に合わせてくれました。

そうです。中国語を少し理解できるようになると面白いのが、それまで「怒っているのかな?」と思っていた概念がガラリと変わります。彼らは実は良い意味でおせっかいで親切な人が多いです。

今回運転手のオジチャンも時間に間に合わせるように急いで車を走らせてくれました。とはいえ体感時速150kmで走行しているのかと言うくらい、荒くて爆速なタクシー。予定に間に合う・間に合わないと考える以前に、次の予定までに存命しているかどうかの方が心配でした(笑)

左や右に曲がるたびに手すりに捕まってられないほど遠心力に引っ張られて身体中が車内にぶつかるぶつかる。友人もいたので思わず笑ってしまいました。オジチャン、早くとは言ったけど暴走しすぎなのよ….

部屋のシェアメイト

大学の寮はいくつか種類が存在し、勿論お金がないと部屋はシェアになります。私も持ち金が少なかったため、同じタイミングで留学したスリランカ出身の子とシェアすることになりました。

部屋の間取りは、ドアを開けるとすぐ目の前に細いクローゼットと机が壁につくように設置されており、その奥には左右にベッドがありました。そしてスリランカ出身の子は、英語もそこまで流暢でなければ中国語も出来ず、お互い共通言語がないまま身振り手振りでコミュニケーションしていました。

拙いコミュニケーションながら聞き取った話では、彼女は出稼ぎ目的で中国に滞在するとのことでした。お金が無いながらも、中国語を話せることに需要があると感じて来たとのことです。また、彼女の母国よりも中国で働く方が賃金が高いような話もしてくれました 。

一か八かみたいな瀬戸際のところで、留学に来ているのだなあと感心した一方、毎日夕方過ぎまで寝ているその子が少し心配だったのは内緒です。

真夜中のシャワー室

大学の部屋には基本的にお風呂もなければシャワーもなく、他寮生との共有です。特に私が住んでいた寮ではシャワー室がなかったので、わざわざ寮の外を5分歩いてシャワー室に向かう必要がありました。

北京の冬、そして夜のシャワー室までの道は相当暗く、寒さで顔が痛かったのを覚えています。寒いのにシャワー室は風が間を通り抜け余計に寒く、服を脱いでシャワーから出る温水を待つまでの時間が過酷でした。

中国を100倍楽しむ術

最後に笑って良い思い出になった理由は、やはり友人や現地の人との繋がりやサポート、そして必死に勉強した中国語をとりあえず使っていくことができたからだと思っています。これは中国以外の国で留学しても、今後何か新しいことを挑戦する時にも当てはまることだと考えていますが、成長を存分に楽しむ方法を学びました。

1. 毎日新しい人と知り合いになる:友達の友達はトモダチに

中国には「关系」という言葉がありますが、1人仲良くなると芋づる形式でその子の友達や家族を紹介してもらい、仲良くしてもらえる事が多いのです。

私も寮の向かい側の部屋に住む修士課程の中国人女子と仲良くなる事ができました。きっかけは、私がお向かいの部屋のドアをノックし挨拶した事がきっかけです。日本人だとわかるとすぐに、日本語を勉強している修士学生を紹介してもらい、結果当日には同じフロアに住む全女子寮生と会話することができました。

同じフロアの寮生と仲良くなることで、勉強方法やインストールすべき中国のアプリ、そして時には淘宝(中国のネットショップ)を使って、電気カイロやモコモコのパジャマを頂いたこともあります。中国関わらず、留学するときはぜひ自分から声をかけていくこと、また相手に誘われたら必ず参加することもお勧めします。初めて出会う人と交流していくのが良いです。そこから輪が広がります。

寮に住む院生たとからもらった数々の品

参加したイベント:語学交流ボランティア(大学内外)、サークル(書道)、大学内の小トリップ、エッセイコンクール(入選してネタが増えました)

2. 自分をアップデートする: Web3.0ならぬ自分3.0

「自分3.0」とは「自分ができる領域を広げていく」という、私が作った造語です。時代が3.0に移るように、自分自身もアップデートをする必要があると思っています。そのためには、コンフォートゾーンと言われる快適な状況から抜け出して、今しんどくでも耐える必要があります。

例えばよく聞く留学あるあるは、言葉や文化の違いからホームシックになってしまい今いる環境から抜け出したいと思うこと。私も友人もそうでした。

でもそれだといつまで経っても何も変わりません。成長するには自分が今いる快適な環境を諦める必要があると思ってます。留学って自分次第だと思っていて、しんどいと思う時は部屋に篭っていたって、母国に帰ることもできるのです。ただそれは言い換えると、コンフォートゾーンに戻ろうとしている自分自身との戦いに負けたことともいえないのかと。

友人と私は、最初の1ヶ月をとことん勉強に費やしました。語学の授業は午前で終わるので、食堂で30分ランチを取った後は図書館で永遠と勉強をしたのです。中国の図書館はものすごい熱気が凄くて、誰もが時間を忘れて静かに勉強をしていたのでペンで文字を書く音くらいしか聞こえませんでした。

とことん勉強に費やした理由は会話が成り立たなかったからです。当時取得していたHSK2級レベルなんて、そこまで語彙力もそんなに高くないので意味もわからなければ通じない。簡単な言葉を並べて辿々しく話した結果、現地の中国人に「?」の顔をされて会話が終わってしまっていました。

留学開始から、暫く勉強は中国で配布された教材を使いました。教材の中身は簡単な会話形式のテキストでしたが、会話文をまるで自分と誰かが会話しているような状況を頭の中で描きながら覚えました。今でもパッと言えるのが【我希望能说一口流利的汉语,跟中国人交朋友】(流暢な中国語が話せるようになって中国人の友達を作りたい)早くネイティブと話したいという切実な思いが強かったのでしょう、、、勿論このように1つ文を覚えていると、どこでも使えるのでおすすめです。

 @study_insta
シャンデリアのあるVIP食堂
(12.00pm〜12.00amの半日をここで過ごしていました)

3.経験に投資を惜しまない:時に旅にもでる

机に向かった勉強だけでは時に補えない勉強方法もあります。それは経験です。留学中に後悔する1番は色んな場所に行かなかったことです。中国には、今まで北京の他に上海・蘇州・重慶・貴州・天津に行きました。がまだ足りない!!中国のハワイと言われる三亚、古い文化が残る西安等も行けば良かったと後悔しています。外に出ることは中国を深く知る良い機会なので圧倒的に楽しむことができると信じています。

どこかの村・・・

波瀾万丈な中国生活第1弾は2016年9月から始まり1年で終了しました。そして2019年9月にご縁がありまた中国生活を送ることとなります。中国に戻る縁があったのは、なんやかんやでハプニングやカルチャーショック的なことも受け入れて、それも中国留学なんだと自分で納得させることができたことや、それも踏まえて中国を楽しむことができたからと考えています(それだけで戻ってくることはないかも知れませんが、とはいえ1つ経験があると将来に繋がる気がしています) 間違えても良いから「できること」からやってみよう精神で、成長を楽しむクセをつけることが大切なんだなと思いました。


まだまだ話の続きがあるのですが、キリがないので一旦ここまで。面白ければコメントなど下さい。続編考えます!

  • 隣のハイスペな子

  • 貴州で撃沈の巻

  • キャンパス内は市場

  • お風呂を設置した話

  • 血だらけの友達…

  • ボロいビルが一番良かったりする話

  • 50円ショップ

  • 現金使えません

  • これぞオープントイレ

  • 豪華タクシーが迎えに来た

  • 潰れそうな遊園地

  • 誰かが私のベッドで寝てる..①

  • 誰かが私のベッドで寝てる..②

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門 #エッセイ部門


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