あなたを保つもの

週に1回ぐらいの更新が性にあっているのか、
なにか書きたいと思うのをまとめるのに時間がかかるから
今はこれくらい。

タイトルはこれからミュージシャンらしく
好きな曲のタイトルにしよう。なるべく紐づけして。

僕は驚くほど普通の人生を20代前半まで送ってきたと思う。
3兄弟の末っ子。
6歳、5歳と歳の離れた兄と姉を見て育ち,怒られないのは得意で
生きてきた。
人をどうやって怒らせないよう、怒られないようにするかを
考えた結果笑わせることに注力してお笑い芸人を志していた時もある。

当時意味はわからなかったが親戚によくゴマすりが上手やなと
言われていた。
裕福でもないがかといって貧乏でもなく。
好きなものを買ってもらえる時もあれば、無理な時もあり。
そんな絶妙なバランスで育ててくれた両親にはもちろん感謝しかない。

ゆたかさってなんだろうっていう問いに対して
丁度この頃全く身動き出来ない日々が来て
結果そこに繋がるような事を日々考え続けていると思う。
答えもでないし確証もないけど今日は書きたくなった。

タイトルにもあるけど、”あなたを保つもの”

それってゆたかさ、俗にいう幸せとかになるんだろうか?

最近ネットでは文章の揚げ足取りがあるもんで
いちいち補足しなきゃいけないんですが
ゆたかさ=幸せ というつもりではないです。

それもわかるように書くのが大前提みたいな言い分も
わからなくもないがわからん。

大抵文句言ってるのは僕の周りだと考えるのを諦めた人間が
とても多いから。

最近友人がこんな文章を上げた。

自分の考えや価値観が世間一般に該当しないことは薄々気付いてはいるんだけど、だからと言ってその世間一般が正であるかどうかは別だと思うんだ自分は。こうやって理解できないことを受け入れたくないからって異端扱いをされことが多々あるけどその度に魔女狩りに合ってる気分になる。

よく僕自身もなる。

これに対するよく言われるのも被害妄想なり被害者意識なりどうこう
派生していくんだが無視させていただいて。

こんな気分貴方はなったことございませんか?

この話がゆたかさにつながるかは書いている自分でも未だ
わからないんだけど
どこかで切っても切れないことだと僕は思う。

最近ネットがとてもわずわらしい。
余計な情報はいれなきゃいいじゃない。
見なければいいじゃないというのもごもっともだ。
見なければ知ることもなかったけど
知れることもなかった。
知って嘆くのは自己責任。至極真っ当な意見だ。

今、アメリカではデモが起きて、そのデモの本質がわからず
デモに参加する人も数多くいる。
お祭り感覚で銃を持つやつらもいるでしょうに。

それが今日本で勉強してない奴は政治やらなんやらに
口出すなみたいな空気にもなる。

今日もどこかで戦争を求める気持ちと
平和を望む声が戦ってるんでしょう。

なぜみんな声を荒げるんだろう。
いや、怒らないと舐められているんだ国民はってのは
わかる。
荒げるタイミングとか、時と場合というか。

なんかこう野生やんって思う事が最近とても多い。

怒っている人を見ると疲れる。
こんな僕はもう戦えん人間になったんだろうかとも悩む。

人前で自殺したりそれを写真に撮ってネットにアップロード
している人を肯定するつもりは毛頭もないけど
もともと公開処刑などは時代、国によっては
娯楽の一部であった時もある。

それは今の日本でどうなのって話や!みたいなのは横に置いといて。

自己正義の名のもとに
他人に振るう暴力は快楽である。

こんな感じの言葉もあるくらい人間ってのは
自分が何かに守られている立場から攻撃するのがたまらないのが本質。

あっ全員がそうじゃないってのは横に置いといて。



この記事内で結構横に置いてるから、一旦それ全部ゴミ箱に捨てますね。



本題に戻ろう。
豊かさってもう引き算の中にあるんちゃうかなって
最近思う。
思うだけで結局求めてしまっている自分は捨てないで
棚の上に飾っとくわ。

豊かさは色んなものにイコールになってる。
お金とか教育とか知識とか資源がわかりやすいかもしれん。
目に見えん、言葉で表現できないところも出くるね。

けど全部足し算なのよ。

個人の教育論なんですが
教育は与えるものでなく奪うものやと思ってる。

何かに対して子に叱ったとする。

子は叱られる経験をした。
しかし叱られない経験もできなかった。
叱らなかったとししたら
叱られることで得る感情とかを感じる経験も出来なかった。

どちらかを奪うことしか出来ないと考えています。
経験を与えるというより経験を奪う事の方が圧倒的に多い。

大人になった時求められるものは
結局の所子供が持つ感性やアプローチだったりする。
それを大人の感性でちゃんと扱えるようになるためには
どれだけ幼少期に奪わずにいれるのかと日々息子相手に
試行錯誤する。

世の中の豊かさってのは誰かに与える、与えてもらうことばっか
考えるのではなくて
今あるものをどれだけ奪わず、残すかというのが
豊かさに繋がるのではないか。

というより今自分たちがもっている豊かさに気づかずして
これ以上の豊かさがあるわけないんですよ。

文章だけでは詭弁だろうという人も多いでしょうに。
そんなのは全部ゴミ箱行の一旦横に失礼。

己の醜さに気づくこと、
己の欲深さに気づくこと、
己の恐ろしさに気づくこと、
それらを含めて世の中の目を背けたくなるような事実を
五感で感じなければいけないと思う。

それらはゆたかさではないのだろうか?

日本という世界から見てもとても素敵で守られているで
あろう国からこの内容を語られてもという
人間は是非あなたを保つもの、己のゆたかさに目を向けてほしい。

僕は驚くほど普通の人生を20代前半まで送ってきたと思う。
今は普通の人生とは恐らく外れているだろう人生を送っている。
色んな人に触れ、世界をみて、気が触れそうになったりしているが
少なくとも僕の周りの人たちよりゆたかな人生を送っている。


かしこ

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