文章を書いてひと夏を終えて

フリーライターという、なんだかまだちょっと照れ臭いこのカタカナが自分の手持ちカードに加わって、早数ヶ月。まだ両手で足りるくらいの数だし、あっという間にインターネットの波に飲まれてしまうだろうけど、自分の書いた文章が荒波の中に放たれたことは紛れもない事実だ。新しいフィールドへと踏み出した今年の夏のことは、2020年の特殊さを除いたとしても当分の間忘れられないだろう。

小学校の頃から、作文の類を苦に感じたことはそういえばなかった。新しい漢字を教わる日はいつもわくわくしていたし、何年生で習った漢字はどれなのかという余計なことまで覚えていた始末。チームに分かれて、黒板に1筆ずつお題の漢字を書いていく「書き順リレー」も好きだった。4年生までは小さな学校へ通っていたので先生との距離も近かったし、おかげで授業に飽き飽きしていたような記憶もない。

外遊びも好きだったけど、本を読むこともたぶん同じくらい好きだった。ゾロリ、わかったさんこまったさん、パスワードシリーズといった王道もひと通り読破したし、図鑑とか辞書みたいな分厚いやつも大歓迎だった。10歳のクリスマスには、それこそちょっと硬めの枕みたいなハリポタ第1巻が枕元に置かれていたのをよく覚えている。魔法使いの世界への脳内旅行から帰ってこれなくなった私を現実へと引き戻すのは、決まって母からの物理攻撃と夜ごはんの匂いだった。

読書といえば、幼稚園くらいの頃は、絵本を読み聞かせてくれる母の声が好きで、それを真似して妹に読んであげたこともあった…気がする。いや姉の都合いい記憶改竄かもしれないけど。でも母の声が心地よかったのはたしかだ。成人してからも、ごくたまーーーに誰かに何かを読んで聞かせる場面に出くわしたことがあるけど、そういう時は母の読み聞かせの声が自然と思い出された。ちなみに、妹は活字どころか漫画すらほぼ読まない。母に言わせれば、私にも妹にも同じように絵本を読み聞かせていたし、家の中には何かしらの本が常にあったはずなのだが、お手本のようにうちの姉妹はキレーに好みが分かれた。「国語辞典って眺めているだけでも楽しいよね」なんて言った日には間違いなくドン引きされる。いやもう既に引かれてたかも。

ここで、じゃあ「文章を書く」ことに対してはどうして苦手意識が無いんだろう、という疑問が浮かぶ。ノートとペンを持ち歩くようになったのは大学時代から始まった習慣だけど、それ以前からもずっと、私は「書き留める」ことでなにかを自分の中に落とし込むタイプではあったと思う。インプットがあればアウトプットにもそれなりに影響はあるのかもしれないが、本の虫は全員例外なく字書き、という訳ではない気がする。強いて言えば習字教室に通っていたくらいかなと墨汁の匂いが一瞬鼻を掠めたが、「文字を書く」と「文章を書く」はまた違う。どこかで無意識に習得した特殊スキルなのだろうか。うーん、出どころはよくわからないけれど、これまで経験したなにかがどこかとつながってこうして自分の血肉になったんだろう。今日のところは、お得意の楽観的思考で幕を閉じることにする。

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