見出し画像

江蘇省宜興 宜興烈士記念館 宜興党史陳列館レポート①

はじめに
執筆者は中国共産党支持者であり、現在の中国国境及びひとつの中国の支持者であり、台湾島の武力を含めた統一も支持します。
また、この博物館類は、極めて反日、共産党に親和的なないようで構成されており、そういったもにがきらいなかたはみないでください。
最後に本記事を使った反中宣伝を禁止します。写真類などは全て執筆者に権利があります。

宜興にいる間に時間が空いたので、党史と烈士の記念館、陳列館へ行ってきた。真ん中が革命烈士の記念碑で、左が烈士記念館、右が党史陳列館である。2016年に立て替えられたそうでわりと新しくきれいな展示館であった。まずは宜興烈士記念館の方から見学していく。

全景

烈士記念館は1910年代の辛亥革命以降の宜興で革命で活躍した出身者や地元での出来事を展示している。

外見

入館は無料であるが、名前と電話番号などを書く必要がある。

烈士の像

英雄にちゃんと頭を下げてきました。

入り口

1919年の五四運動から始まる。
五四運動以降に宜興の青年たちもマルクス主義を学習するようになり1919年7月に宜興学生会が組織され、学生運動が行われるようになった。北京での抗議活動には、宜興出身の学生も参加していたらしい。

共産党成立以降の展示
五四運動と学生運動の展示

1926年に中国共産党の支部が誕生し、教師の光熱費の問題や、警察が農民に糞を投げつけて侮辱した事件、県長の罷免など三つの政治闘争で勝利を勝ち取ったらしい。

農民運動と学生運動展示

時間は少し跳んで、秋収蜂起の展示。共産党が国民党の白色テロにたいして蜂起した事件である。湖南省などが有名だが、ここでも蜂起が行われたらしい。なお、蜂起は失敗し多大な犠牲が出てしまった模様である。蜂起は11月1日の12時に行われたらしい。当時の組織や実行者、犠牲になった党員の展示がある。残念ながらこの時代からの日中戦争期にかけて写真がなく、名前だけで人物像が真っ黒になっている英雄がいる。残念なことである。心から英雄に敬意を表したい。名前はずっと残っています。

秋収蜂起の展示
大革命と土地革命戦争の展示
農具や刀で蜂起した。黒い人物像は名前しか伝わっていない人物である。
蜂起の様子のマネキン

九一八、日本による満州戦争以降も、国民党軍は共産党打倒を優先しており、紅軍は革命根拠地を捨て長征という流浪を余儀なくされた。宜興出身者もそれに参加しており、その中で宗益寿含む3名が有名らしいが、2人いる宗さんはどちらも長征途中で戦死したらしい。

胸像がある。
功績の展示

また、この地域では抗日の機運も高まっていたそうで、抗日貨幣や宣言書なども展示してあった。

抗日貨幣
この地域の人民を対象とした抗日義勇軍布告

長征途中で抗日戦争も勃発、八一三、第二次上海事変以降、宜興も戦場となった。

日本軍による被害展示

1937年から11月に宜興県城を日本軍が占領する間に、何度も城内を爆撃した、最初の方は統計がとれていないが、翌年3月と4月の爆撃では60軒の家屋が被害に遭い、住民は全員即死したらしい。県内の他の鎮でも19人の死者が出る爆撃があった。1945年10月の抗日戦争勝利までにここでは5000人あまりが死亡し、10万戸の家屋が被害を受けたそう、案外少ないものである。

当時の太刀
中国側義勇軍の拡大
中華民族の危機で、日本は三ヶ月で中国を屈服させるつもりだったと書いてある。

この近くであった大きな戦い、といっても日本降伏後であるが、清竜山というところで日本軍とその傀儡軍が降伏を拒んでいたので新四軍が殲滅したというのが載っている。大砲の模型と総攻撃をしている壁画がある。日本軍人は全員戦死し、傀儡軍は100名ほどが捕虜になったそう。まあ、後の文革とか考えれば、日本軍人が捕虜で日本に帰って、傀儡軍の戦死の方が幸せだったかもしれないと思った。彼らはどうなったのだろうか。

大砲の模型と壁画
説明
当時の知識人や愛国資本家などと新四軍が統一戦線を作り前線に支援を送ったらしい。
壁画
当時の党組織の幹部たち
地域の党員表、増減が激しく、全くいない地区もある。
敵後方に浸透すべくやってきた新四軍の指揮官たち、陳毅と粟裕は開国元帥と大将で有名である。

当時の写真や賞状

証書など

勲章や証記
解放後に功績を讃えておくられたもの。

当時の司令部の建物などの展示

司令部などの説明

粟裕将軍率いる軍は1945年1月に南下を開始、3倍の国民党軍などに対して3~6月の3回の戦いに勝利して打ち破り宜興を回復した。日本降伏後に国民党政府とアメリカ政府は八路軍や新四軍への日本軍や傀儡軍の降伏を認めなかったために新四軍はさらに攻勢を行った。

機関銃などのレプリカと将軍の説明
砲弾の着弾後の形の英雄記念碑
はやししんぺいではない、新四軍の女性英雄である。

抗日戦争が終わり、解放戦争の時期にはいる

1945ー1949年までである

国共内戦の時期、新四軍主力は北上撤退し、残置兵力は分散して隠れていた中で村人の密告により国民党に包囲されて戦死した8人の英雄たちの展示。

半分は写真がない。
戦死した大隊長。
銃と記念式典の写真
拳銃
分散して隠れ闘争を堅持する

宜興の解放は1949年4月の24日で第三野戦軍三個師団が、25日までにかけて宜興城に入城し、遊撃戦部隊司令部と合流した。宜興全域が解放された。

新聞記事と写真


南京攻略に参加した人の渡江戦役記念章と解放軍の布告
隠れた前線の指導者と英雄
英雄に展示と遺品

社会主義革命と建設時期展示

1949年から78年までと期間が長い

朝鮮の自由と民主主義勢力とアメリカ帝国主義者との戦いに宜興の人も関わった、下は映画にもなった上甘嶺の戦闘で犠牲となった王さん

当時の写真と共に展示
習近平語録
宜興出身の空軍パイロットも参戦し戦死した。

朝鮮の自由と民主主義を守るために、宜興の青年たちも志願軍に参加した。総数は3665人でうち戦闘に参加したものは1645人、負傷者157人、犠牲者は102人。朝鮮から遠くはなれたところにもアメリカ帝国主義の侵略による影響が残っているのである。

志願軍写真
抗美援朝の銅像
全景

勲章類など

解放勲章のはずだが略綬が違う
記章類
友好系メダル?
労働者模範と記念メダル
功臣メダル
記念章一覧
毛沢東バッジと記念バッジ

平和な時期の兵役中になくなった英雄の展示

軍人の犠牲証明書
功を立てて表彰された証明書、毛沢東語録と同じような装丁
わりと事故などでなくなってる
勲章たぶん最近もらい直したものだと思う
遺品
烈士証明書
遺品と説明と一つづつあった

改革解放時期の展示

1978ねんから1978年から2017年、最近までの展示である

対越自衛反撃戦、中越戦争である。

劉さんと邸さん
勲章、証明書と当時の写真や手紙の活字文字起こし
参戦褒章と二等功褒章
最近の功績証明書類
昔の功績証明書
新中国成立後以降の宜興の烈士一覧
液晶パネルに名前を写真と功績の説明が出てくる
解放戦争時の烈士一覧
抗日戦争と土地革命戦争の烈士一覧、案外少ない

最近の烈士

犯罪者を捕まえるときに殺されたり、災害救助中に殉職したりが主である
研究所副所長にも関わらず2001年に実験中に殉職した張さん、何の実験だったのであろうか?


英雄を称える文章
共和国はあなたを忘れない、記念式典の写真
ここを含めて複数ある慰霊碑等の写真
英雄を称える言葉をタッチパネルでいれることが出きる

大きなモニターでは記録映像の上に英雄を称えるコメントが乗る、さっきも液晶で入力できる。今時な展示である。

長くなったので烈士記念館だけでとりあえず切って明日パート2として党史陳列館のほう上げます。
総合的な感想も次のほうに上げます。
では今日はここまで。次回までよろしくお願いします🙇‍♂️⤵️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?