コルホーズの中国行 三日目(前編)
楽しかった、南京ももう三日目、いよいよ今日が終われば北京に向けて出発です。
はい、ではですね、三日目にしてコルホーズのやらかしを見てみましょうか
はい、これがコルホーズが二泊した部屋ですねぇ
はい一人旅なのになぜかベットが二つもあるんですよぉ
なんかねぇ、やたらと高いなぁ宿代がとはおもっていたんですよ。
でもねぇ、こんな部屋をとってるなんてねぇ。
まあ、バカなことをやりました。
チェックアウトの後に友人と朝食へ、南京の特色の朝食を食べに行きました。
初日の夕食の南京大牌档の目の前の店で鴨血粉絲湯と小籠包で朝食。
ちょ、朝食にしては多くないかなぁw
おいしかったです。ちゃんと全部食べましたよ。
この店の付近は今、すごい工事中でした。
友人いわくここは元々人民解放軍が自力更正の元で持っていた商店街だったが、今は人民解放軍の現代化により南京市政府の管轄に移ったために改築を始めたそう。
タクシーに乗って移動中、車窓から城壁が見えた。
雨花台、ここは南京等周辺の国民党に虐殺された共産党員の顕彰施設である。
革命烈士紀念館前の左右のレリーフ、弾圧から全国民の解放までかかれている。
太陽がマルクスなのは笑った。
記念碑などの説明、1984年に建設開始で、88年に対外解放
鄧小平の題「雨花台烈士記念館」
習近平の御言葉
言葉を献じてきました。左側が私で右側友人。
偉大で正しく光栄な中国共産党万歳❗
と書いてきました。
信仰の力
左右の石碑には犠牲者の名前が刻まれています。
蒋介石が、革命に背信して共産党員を虐殺したことが歴史の真実としてしっかり告発されている。
彼は共産党員だけではなく、労働者や農民も虐殺し、日本軍の侵攻を招き入れ、南京大虐殺の一助とし、中国人民を途上もない苦難に突き落とした悪の独裁者であった。
当時の中国共産党会議の序列、毛沢東がまだ補欠中央委員で、鄧小平が書記である。
当時の牢獄の再現
とにかく、紙資料量がすごい。
重要人物は小学校の成績表から集めてある。
こんな優秀な人材を無能な国民党は虐殺したのである。
共産主義青年団の平均20歳、最年少で16歳までの若者が虐殺された。
これはその慰霊碑である。たくさんの花が手向けられていた。
革命に犠牲者がでないことはなく、人民のために死ぬこと、共産党員が革命の為に死ぬことは光栄である。
犠牲者が処刑前にいった言葉である。
私は共青団員、惜しいことに私は共産党員ではない、しかし私は私は共産党員のように死ぬ。
犠牲者の獄中での言葉である。
孫文の書
日本軍侵攻してきて、蒋介石とその軍は尻尾を巻いて逃げたが、共産党員だけが人民のために勇敢に戦った。
幹部履歴鑑定書
犠牲者の遺品をかたどったモニュメント
雨花台革命烈士紀念碑
に向かう。
よく整備さえており、植木も道もとてもきれいである。
人民解放軍と中国女性の追悼の像
中華人民解放軍国歌
満州語、チベット語、イスラム語、英語、漢字で歌詞がかかれている。中国の民族がよくわかるものである。ウイグルやチベットなど蒼でも紅でも中国である。
インターナショナルの歌詞、言語は上記の通り。
「信仰」の文字が花で作られている。
雨花台革命烈士紀念碑、鄧小平の題である。
しっかりと頭を下げてきました。
いつものスローガンが花で作られてました。
不忘初心
牢记使命
このあと、昼食を食べにむかいます、その途中、行きなり案内をしてくれている人が、横道にはいりだしたんですよね。
ええ、この道をいくの?
キャリーバックを持ってくれる優しい中国民兵、さすが为人民服务である。
どこにいくのかというと、
こんな道を通って
国民党のトーチカである。残念ながら入り口と銃眼は潰されていた。内部の劣化を押さえるためらしい。
烈士の群像。
中国は英雄をしっかりと顕彰する。中華民国という国擬きのようにミャンマーや香港に置き去りにして、私も日本人だったなどという
妄言
を言ったりしないのである。
日本における中華民国の信者、名誉中華民国人は、しっかりと国民党の虐殺を直視するべきである。あの国擬きのファシスト、無能な蒋介石の虐殺を肯定し、歴史の真実を直視しないでおため後かしをいい、大陸の正当な政府を理不尽に罵倒するものはただのバカであり、邪悪な人間である。中華民国好きはそういったことをせず、民主主義と自称して圧政を行い香港で暴動を引き起こし、中国の統一を阻害するのであり、彼らに全く一部の理も民主主義も存在しないなおかつTwitterで邪悪な妄言を発言し、本土の政府のみならず大陸の人民までを不当に、差別しているのは心が腐っているのである。全く恐ろしいことである。偏見と差別心を極大まで肥大化させた恥ずかしい人間の仕打ちである。
往時のトーチカ
全体地図
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?