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なぜ私がベースを始めたのか

明日、11月11日は何の日ですかー?
ポッキー&プリッツの…

いえいえ、ベースの日ですね!!!!(圧)

11 11で弦が4本あるから
11/11はベースの日です。

私が大学でベースを始めてから約1年半。
まだまだ新米のベーシストですが
なぜ私がベースを始めたのか書いていきます。

以前にも似たような記事を書いているので
もしよければこちらもどうぞ。

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せっかくなので小学生までさかのぼっておく。

小学生の私は、国語に算数、理科や社会
音楽や書道、図工などなど
体育以外のことは何でもそつなくこなす
いわゆる優等生キャラってやつ。

リコーダーは簡単に吹けるから
クラスで演奏発表するときは
アコーディオンや打楽器など
少し難しめのものを演奏していた。

そして中学校に上がり、部活を決めることに。

文化部で、そこそこ活動して、楽しそうなやつ。
私が目をつけたのは合唱部。
しかし、数年前に廃部になったばかりだった。

残りの選択肢は
あまり頻繁に活動していない料理部や美術部か
毎日休みなく活動する吹奏楽部。

当時の私は
そこそこ活動してるところが良いなと
思っていたので
意を決して吹奏楽部に入ることにした。

まあリコーダーも吹けるしなんとかなるでしょ
とか思っていた気がする。

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というわけで吹奏楽部に入った私。
楽器は、第4希望のクラリネットになった。

吹奏楽部に入る人の多くは
親が元々吹奏楽部だったパターンが多い。
しかし、私の場合
両親は全く吹奏楽部と縁も無いし
私自身もリコーダーが上手いからくらいにしか
吹奏楽へのモチベーションはなかった。

多少の吹奏楽の知見がある人と
全く知識ゼロの人とではやはり違う。
吹奏楽への意識の高さの違いで
この先つらいことがたくさん待っているわけだが
中1の私はのほほんと毎日部活に励んだ。

吹奏楽の世界では、毎年 秋に
アンサンブルコンテストが開催され、
3〜8人までの少人数で演奏する。

中1の秋、なぜか私はクラリネット五重奏として
コンテストに出ることになった。
2年1人、1年4人という初心者ばかりだ。

ちなみに私の担当は3rd Cl。
(Es Cl, 1st Cl, 2nd Cl, 3rd Cl, Bs Clの5パート)
左に書いてあるパートほど高い音域を担当する。
私はほとんど低い音の伴奏だ。

経験者もたくさん集うコンテストに
初心者たちが参戦するわけなので
文字通り、休み無しの猛特訓が続いた。

平日の朝と夕方はもちろん
土日も朝から晩まで毎日練習した。

このアンサンブルコンテストでは
参加団体の半数にだけ賞がもらえる。

私たちの結果は、銅賞だった。
初心者が4人もいるのに、
全参加団体の半分より上の成績だったのだから
かなりの上出来だ。

毎日厳しく指導していた顧問が
素晴らしいとたくさん褒めてくださった。

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中1のときにはもうひとつ思い出がある。

クラリネットの仲間の楽器に
バスクラリネットというものがある。

楽器の仕組みはクラリネットと同じだが
楽器が大きい分、より低い音が出る。
8割以上は伴奏を吹いている。

私は数ヶ月だけこの楽器を担当していた。

この楽器で中1の定期演奏会に参加したが
とにかく先輩がたくさん褒めてくださった。
「しっかり音が出ていてすごい!」
「安定した音で頼りになる」などなど。

私はバスクラリネットが上手いんだと知った。

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そして、中2のときもアンサンブルコンテストに
クラリネット四重奏で参加した。

私の担当はやはり3rd Cl。
(1st Cl, 2nd Cl, 3rd Cl, Bs Clの4パート)

この年は、去年の練習と打って変わり
自分たちで試行錯誤して練習し
演奏に磨きをかけていった。

こちらの結果は銀賞。
去年よりも良い成績を残すことができた。

クラリネットは基本的に
メロディを吹くことが多い楽器だが
アンサンブルを何度もやったことで
このときに伴奏のスキルを
たくさん身につけることができた。

のちに、同じクラリネットパートの同級生から
私の吹くクラリネットの低音が
とても良い音で好きだったと言われた。
私の演奏なんてひどいものだと思っていたので
まさかそう思われていたとは知らなかった。
ほんとうに嬉しい限りだ。

そして私は高校に進学。
特に何も考えないまま
引き続き吹奏楽部に入ることに。

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高校生になって私は
バンド好きな親友を見つけることになる。

彼女とは4月から意気投合し
たくさんのバンドを教えてもらった。

色々なバンドを知り、何度も曲を聴き
ライブを見に行ったりするうちに
いつの間にかバンドオタクになっていた。

このときから軽音楽に興味を持つようになり
自分もなにか演奏したいと思うようになった。


一方、吹奏楽部の方はというと
同級生の演奏レベルの高さに圧倒されていた。

私はアンサンブル地区大会で満足していたが
周りには、県大会、西関東大会、
全国大会に出るような人もいた。

正直、私には全くついていけない次元だ。
みんなの目指す理想の音楽というものが
私にはさっぱり分からなかった。

地域のイベントに参加したり
定期演奏会を開催したりはなんとか
私も楽しくついていけたが
コンクールなんてもんはレベルが違いすぎた。

顧問や外部講師、演奏の上手い同級生が
私の演奏に指摘やアドバイスをしてくれたが
私には何が何だか分からない。
正解が何か全く分からない。

この文章を書いてる今も
当時のことを思い出して涙が出てくる。
下手な私のせいで周りに迷惑をかけてばかりで。

私には吹奏楽の才能は無いと気付いたし
大学まで吹奏楽を続けることは無理だと悟った。

すでに軽音楽に興味を持っていた私は
早く吹奏楽を辞めてバンドをやりたかった。

でも、吹奏楽を途中でやめることは
あとで絶対に後悔するとも思っていたから
高校3年間だけは吹奏楽をやりきろうと決めた。
大学で思いっきりバンドをやろうと決めた。

特に高3の夏はいちばんしんどかった。
吹奏楽が嫌になって過呼吸が起きたりもした。

でも、なんとか乗り切った。
高校3年間、吹奏楽をやりきった。
思い残すことなく部活を引退できた。

そこから受験勉強に思い切りシフトして
なんとか大学に無事進学した。

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大学生になって念願のバンドができるわけだが
私は何の楽器をやるかすでに決めていた。

中・高通じてクラリネットを吹いてきて
私にはメロディを吹く才能はなかった。
指を自由自在に動かすのも苦手だった。

でも、アンサンブルで伴奏スキルを磨き上げた。
バスクラリネットでの演奏を褒められた。
楽譜を読むのも得意だったし
音感やリズム感も6年間でバッチリ鍛え上げた。

私にはベースしかないなと思った。


大学生になったばかりの4月、
高校のときにお世話になった楽器屋で
自分のベースを買いに行った。

大学ではバンドサークルに入ろうと決めていた。
9月頃までサークルの活動は何も無かったから
半年近く、ひとりでずっとベースを弾いていた。

高校で吹奏楽部に入りながら
何年もずっとベースをやることを待ち望んだ。
今、ベースを弾いてバンドができていることが
私にとってはこれ以上ない幸せだ。

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というわけで、
かなり強い意志と誇りを持って
ベースをやってますよって話。

ベース最高。バンド最高。

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