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ドラマ・映画が苦手な人間の考え方


はじめに、この記事では、

①私と同じくドラマや映画への苦手意識をもちながらそれに疑問を持つ人の理解を助け、

②またその苦手意識に共感できない人にも、この変わった考え方を知ってもらう

ことを目的としています。

途中には哲学的な考え方もはさみますが、気楽に読んでいただければと思います。


ドラマや映画は好きですか?


この問いに対して、多くの人は

「ドラマ・映画鑑賞が好き」、または

「好きなドラマ・映画作品がある」

と答えると思います。


その一方で、(タイトルや導入にもありますが笑)私はドラマや映画が苦手です。

ドラマ・映画自体がというより、それらを観るのが苦手です。


もちろん、観たことがないわけではなくて、ドラマはテレビをつけた時に最終話がかかっていたらなんとなく観ることがあるし、誘われて映画を観に行ったこともあります。

しかし、ドラマの新作をチェックしたり、第一話から見続けたりしたことはないし、映画館でも自宅でも一人で映画鑑賞することはまずありません。


ドラマや映画を見る、ということ自体が億劫というか、気が乗らないと感じてしまうのです。


なぜドラマ・映画鑑賞が苦手なのか


なぜドラマや映画を見るのが苦手なのか、自分でも不思議でした。

ドラマや映画を見ない家庭で育ったことは原因の一つかもしれません。

娯楽においてアウトドア派だからかもしれません。

もしかしたら作品の内容に興味が持てない、「どうせありきたりな内容だろう」と舐めてかかっているのかもしれない。


しかし、気になる、見てみたいと思う作品はあるのです。

また、誘われて作品を観たときも、観終わると「面白かった」と感じることがほとんどです。

ではなぜドラマや映画の鑑賞を避けるのか、その根本的な理由となる自分自身の主義を見出しました。


それが、快楽主義です。


快楽主義とはなにか


少し真面目で堅い話になります。

その前に、私は哲学専攻ではありませんし、専門書を読み漁っているわけでもないため、いち素人の意見であるということをご了承ください。


快楽主義とはなにか。

広辞苑(第六版)には、

人生の目的価値の基準を快楽を求め苦痛を避けることにおき、道徳は快楽を実現するための手段とする立場。エピクロスを源流とし、近代では功利主義の基盤となった。快楽説。

とあります。

また、Wikipediaには、

快楽主義(かいらくしゅぎ、英: hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。 (2020/7/29現在)

とあります。


……定義を見てもいまいち掴めない感じがします。

そこでいろいろと調べてみて、世間的に快楽主義が誤解されているように思いました。

快楽主義を一言で表すと、「身体的な快楽を追い求めること」ではなく、「結果として精神的な快楽が得られるように行動すること」という方が近いです。

そのために、精神的な苦痛を避けるような行動をとるのも快楽主義の特徴です。


この考えには当然のように矛盾や理解しづらい点があります。

快楽を追求しようと努力すると、結果として快楽とは逆の方向へ行ってしまいます。

往々にして、努力という行動をとらないほうが精神的な快楽を得られるからです。


私は高校時代テニス部に所属していました。

体験入部したとき、最初は全く相手コートに打球が入らなかった。でもただ打つことが楽しいと感じて入部しました。

しかし私は、いつの間にかテニスの楽しさを探すようになっていました。

部活動の体制に疲れたのもありますが、打つだけでただ楽しかったテニスが、その快楽を目的としてしまったことで楽しさが半減したように感じました。

他にも怪我など様々な要因がありテニス部を途中で退部してしまうのですが、もしずっとテニスを楽しいと感じられていれば、補佐に回る道もありましたし辞めてはいなかったと思います。


これは私の例ですが、楽しかったものが苦痛に変わる、努力により楽しさを得づらくなるというのは多くの人が体験していることだと思います。

そして私の場合は、楽しかったものに苦痛を感じた瞬間、その行動をやめてしまうことが多くあります。

それは私が快楽主義者であり、快楽に忠実な行動をとるのが最善で、また同時に苦痛は避けるべきだと考えているからです。


言ってしまえば、快楽主義というのはエゴです。

噛み砕いて言えば、

「自分の快楽のために行動したい」

「自分が苦痛と感じることはしたくない」

という思想がそこにあるわけです。

そしてそれは時に消極的な行動を促します。


快楽主義とドラマ・映画の関係


では、ドラマ・映画を観るのが苦手であることにどう快楽主義がかかわっているのか。

まず、作品を観る過程に精神的な苦痛が伴う場合があることを理解する必要があります。


ドラマや映画を観終えると、

「面白かった」「楽しかった」「感動した」「学びを得た」

など、快楽に分類されるようなプラスの感情・感想を持つことが多いです。

ドラマや映画が好きな人にも、それを求めて作品を鑑賞している方は多いと思います。


しかし、それらの作品の多くはストーリーの過程で負の感情を生むイベントを経ます。

たとえば、ラブストーリーでいう恋人との別れやすれ違い。

ヒューマンドラマでいう逆境やいじめ。

アクション映画でいう仲間との死別など。


もちろん、これらのストーリー展開を否定しているわけではありません。

起承転結の転がないと作品は面白くなりません。

一切の挫折なしに平穏に暮らす日々は、作品には成り得ません。

しかし私の場合は、そのストーリー展開、いわば「作品の中盤」に苦痛を覚えてしまうのです。


快楽主義と共感性


これには快楽主義だけでなく、「共感性」もかかわってきます。

私は、作品の登場人物が負の感情をもつと、深い感情移入によって観ている自分が辛くなってしまいます。

なぜ感情移入して苦痛を感じてしまうまでに共感性が高いのか、これは自分でもわかりません。


わかったのは、快楽主義と共感力の高さが合体すると、映画やドラマを観る意欲が削がれてしまうということです。

鑑賞した後にプラスの感情が得られるとしても、ストーリーの過程で共感によってマイナスの感情をうけ、苦痛となるくらいなら見たくない。

その深層心理が私からドラマや映画を遠ざけていると気づいたのです。


考えすぎですよね(笑) 

共感力が下がるだけでも生きやすくなると我ながら思うくらいです。


小説は苦手じゃないの?


起承転結のストーリーがある点で小説にも苦手意識があるのではないか。

そう思う方がいるかもしれません。

ここまではドラマや映画について書いてきましたが、小説についてはドラマや映画とはまた別で複雑な思いがあります。


私は、幼少期には大量の小説を読んでいました。

趣味は読書で、夏休み期間は外遊びもしつつ家では小説を計30冊読破するというような小学生でした。

しかし、中学生以降は忙しさから読書をする時間や心の余裕がなくなり、滅多に本を読まなくなってしまいました。


大学生になって、久々に本を読もうと思い小説を買いました。そこでページをめくり始めてすぐに、小説が苦手となりつつある自分に気が付きました。

明らかに読むスピードが遅くなり、本を手に取って読み始めてもすぐにやめてしまう。

驚きました。あんなに読書が好きだったのに。

最初は、

「久しぶりの読書だしリハビリすればすらすら読めるようになるよね」

と考えていました。しかし、そもそも本を手に取らない日が続きます。

本を読まない間に、私の快楽主義や共感性は成長し、

「好き」を「苦手」に変えるに至っていました。


認めたくないことですが、元は好きだった小説を、ドラマや映画と同様に苦痛ととらえている自分が確かにいました。


本当は観たいし読みたい


今まで挙げたドラマや映画・小説。

私はそれらが嫌いなのではなく、そのストーリーを酸いも甘いも全て自分の中に取り込むということが苦手なのです。

本当はドラマや映画を観たいし、小説を読みたい。

それによって得られる快楽、プラスの効果を知っているからです。

それらの作品は、エネルギーをくれることもあれば、学びや教訓となることもあります。

作品自体が会話のタネになり、友達と盛り上がることもあるでしょう。


でもそれらを観始めるために、私の場合はひどくエネルギーがいります。

観たいけど気が進まない。

苦痛を連想してしまう。

辛い思いをしたくない。

ではどうすれば私のような人間はその苦手を緩和できるのでしょうか。


苦手の「打開策」


正直、完全に苦手を「克服する」というのは難しいと考えています。

何より大人になればなるほど、考え方や感受性が定まってきているからです。

でも、その苦手を緩和したり、苦手を乗り越えて作品を受け入れることは不可能ではありません。

自分のために、そして、もしかしたらいるかもしれない同士のためにも、いくつか打開策を挙げたいと思います。


1.時間と心の余裕を確保する

 ストーリーの中での苦痛を受け入れられるだけの自由時間とフラットな心を持つ。

 受容するための器を用意できれば、以前よりはストーリーを飲み込む準備ができる。


2.友達や恋人を誘って観る

 ドラマや映画の場合、観たい作品は気心の知れた人を誘って一緒に観るのが早い。

 そうと決まれば、急に観るのをやめるというUターンもないし、作品を共有する時間自体を楽しめる。


3.読書する環境を作る

 小説の場合、落ち着いたコーヒーショップや図書館に行って読んでみる。

 それらは読書に最適な場所にデザインされているし、読書をする人がちょうど溶け込む場所でもある。

 小説が似合う、むしろ読まざるを得ない環境では、すぐには本を閉じにくい。


これらの方策は私が実行していることでもあります。もしも同士がいらっしゃったら、これらを参考にしてもらえれば私も書いてよかったと思えます。


最後に


ここまで拙い文章を読んでいただいてありがとうございました。

少しでも誰かの自己理解に役立ったり、こんな考え方の人がいるんだと知るきっかけになれば嬉しいです。

また、もし同じ考え方や悩みを持つ方がいたら是非コメントしてください。

この考え方を話して共感してもらえたことが一度もないので喜びます笑


ちなみに、ここまで読んでいただいたら察しが付くかもしれませんが、私は終始モヤモヤし不穏な空気が漂う作品が苦手です。

もっと言うと、ハッピーエンドでないと知った作品は見ません笑

今度の記事では、こんな私でも観て(読んで)よかったと思う映画や小説を共有しようかなと思います。





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