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「まちづくりをしよう!」と息巻く前に、自分語りをすることの重要性

昨日、「”フツーの人”のまちづくりの学校 in 長崎2023」のプレセミナーが開催された。昨年度、僕はこの学校を受講しており、今年度からは運営委員として携わることになった。そこで、改めて「自分語り」って大事だな、と感じたので、記事に残すことにした。

ソーシャルワーカーは他者理解に長けているが、自分を語ることは苦手

僕もそうなのだが、なかなか自分を語ることは苦手である。それは、ソーシャルワーカー特有の「まずクライエントの話を聞く」という教科書的な専門性が、邪魔しているのではないかと考えた。

面接を開始すると、まずクライエントのこと(意向・生活・人間関係・環境など)を知ることにフォーカスする。情報収集をしなければ、その後のアセスメントや支援展開ができないからだ。もちろんその前に、自己紹介して信頼関係を構築する必要があるが、信頼関係は、情報収集をしながら構築することも少なくない。

しかし、クライエントの中には「ところでアンタは何者?」「何をしてくれる人なの?」などと、逆質問を受ける時がある。慌てて「地域包括支援センターの〇〇です」などと、所属と名前を言ったりするのだが、クライエントからは、「いやいや肩書きはいいから、何をする人なの?」と、支援者側としては、圧迫面接を受けてるような感覚になってしまう。

実は、僕が地域包括支援センターで働いていたころ、全く同じやり取りをしたことがある。当然だが所属と名前だけではなく、「包括はこんなところで、僕は社会福祉士としてこんなことをする人です」などと、説明するのだが、一向に理解してくれなかった。

理由を考えてみると、明らかに僕に落ち度があったのだ。

画一的な説明に終始していた

クライエントの問いかけに対して、僕は一般的な役割説明に終始していたのだと思う。よって、クライエントの個別性を無視していたことになる。

さらに感情も入っていたのだろう。僕としては親切丁寧に役割を説明しているつもりだし、クライエントの生活改善を本当に考えての訪問であり、支援介入だと信じていた。しかし、クライエントからすると、「どこの誰かわからないヤツに、なんで自分のことをペラペラ話さないといけないんだ?」と思われていた。至極、もっともな話である。

もっと、クライエントの個別性に応じた話し方や説明の仕方が必要だったと、後になって考えた。たとえば、地域の中で孤立しているクライエントであれば、他のクライエントのケースをもとに、支援者として率直に感じたことを自分の言葉で語らせていただくことで、「僕はこう思った」と伝えることは、ある意味人間性を感じられるのではないだろうか。

自分を語らせてもらうためには、相手の話を「訊く」ことが大切

上記のようなクライエントは決して特別なケースではない。社会福祉士になって、病院→老健→包括で働いてきたが、どの分野においても、「私のことを色々聞いてくるけど、一体あなたは何をしてくれる人なの?」と問われる場面はあった。それは、僕の言語化が拙いことが原因の一つだと捉えているが、そもそも相手の話を「聞く」ことに終始し、自分語りをしてこなかったことが大きく影響しているのだと、まちづくりの学校を受講して感じるようになった。

ここで重要なのは、相手の話を単に「聞く」のではなく、「訊く」が大事だということ。「訊く」とは、調べたり、尋ねながら訊くことを表している。要は、自分も語らせていただきながら、相手の話を訊く、ということなのだ。

ここがソーシャルワーカーとしては、苦手な方が多いのではないかと思う。僕は苦手だった。しかし、まちづくりの学校で学んだことの一つは、「自分を語ろう」だった。最初は戸惑い、そして言語化することで、自分が培ってきたものがゴロゴロと音を立てて崩れていきそうで怖かったが、「自分は何者で、何をしたいのか」と問い続け、さらに一生懸命言語化することで、等身大の自分を自己覚知することができるようになったと思う。

それからというもの、ソーシャルワークの場面では、クライエントの話を訊きつつ、感じたことや思ったことは「僕のことも話していいですか?」と前置きして、語らせていただくことが増えた。この行動は思わぬ「吉」を呼び込んでいる。クライエントから「あなたの人柄がわかった」「最初何を考えているのかわからなかったけど、ちゃんと地域のことを考えているのね」などと前向きなフィードバックをいただくようになり、さらにはクライエント自らがナラティブに語る場面にも立ち会うことが多くなった。

これにより感じたことは、ソーシャルワーカーは面接技術(質問の仕方)を学ぶことを必要としているが、そもそも自分を語れる方法も学ぶ必要があるのかもしれないと。ソーシャルワーク実践で躓いている方がいれば、一度、自分を語ることにフォーカスしてみてはと思う。自分をクライエントに知ってもらうことから始めると、案外「困難事例」と呼ばれているものは、ソーシャルワーカー自身が作り出した幻覚なのかもしれないと気づくかもしれない。

「まちづくり」においても同じこと

「自分は何者で、何をしたいのか」という自分語りについては、まちづくりの場面でもリンクする。地域住民に対して、自分のことを伝えなければ、まちづくりの目的や方向性に齟齬が生じ、場合によっては支援者側の押し付けになってしまう。

さらに言えば、「何ができるか」ではなく「何をしたいのか」を伝えることが重要。要は自分を主張することも大切なのだ。自分の思いを自分の言葉で伝えてみて、その後の反応を注意深く観察する。支援者側の正解と地域住民の正解は、決してリンクしない。リンクすると思っているのであれば、それは支援者側の傲慢である。

阿吽の呼吸なんて、僕は存在しないと思っている。相手のことを丁寧に訊いて、自分のことを語らせていただくことで、初めてお互いの意向や思いを理解し始める。これは、夫婦関係でも同じことが言え、僕がフリーランスになるとき、当然妻は同意してくれているものと思っていたが、それは僕の思い込みによる一方通行の阿吽の呼吸だった。まちづくりの現場においても、地域住民の話をよく訊いて(もちろん尋ねながら)、自分のことも語ることで、地域の真のニーズに沿った、まちづくりが動き始めるのではないだろうか。

僕はフリーランスとなり、まちづくりの一端を担いたいと思っている。まずはまちづくりの学校で作成したマイプランの実現を通して、高齢者サロンを取材し、地域ニーズにも着目した記事をWeb上で発信していく。当然、取材前後で、「アンタ何者?」と問われる場面はあるだろう。そのときは、地域が抱えている課題や強みを訊きつつ、地域の実情に沿った「僕はこれをしたい」といった思いを、語らせていただきたいと思っている。

支える側、支えられる側の垣根を超えて、お互いに「人が見える」関係性を構築し、フラットな意見交換ができれることが、まちづくりにおいて一番大切なことなのではないかと考えながら、これからも地域に出向いていきたい。

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