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感動よりも


だいたい30年くらい生きた時点で気づいたことがある。
人間が「感動」するための感性は10代からせいぜい20代前半までの経験をもとに構築されて、そこから先はさほど変わらないということだ。

音楽は10代の頃に聞いていたミュージシャンのものばかりを聞き続けるし、好きな映画のベストを挙げろと言われても、10代の頃に出会ったものしか思い浮かばない。

10代の頃はどんな本を前にしても「この本には自分の人生を一変させるようなことが書いてあるかもしれない」と思っていた。映画にも音楽にも、自分の価値観が覆されるような経験を期待していた。
そして時々はその期待通りに、自分の価値観を揺さぶり人生を変えるような作品に出会う事ができた。

しかし今や、かつて貪るように本を読み漁った少年が、本屋で本の表紙ばかりを眺めて「ふーん、だいたいこんな事が書いてあるんだろうなあ」と思って手に取らない。そうやって体力をセーブするオッサンになった。

10代の頃のように芸術やエンタメと向き合うのには体力が要る。いい歳をして、小説や映画の主人公にどっぷりと共感して一喜一憂したり、音楽のテンションに合わせて自分の気持ちを乱高下させているばかりでは、仕事や家庭どころではなくなる。

青春とは、体力と時間のことだと思う。
体力と時間のあるものだけが、自分の実存をかけて、抽象的な世界に向き合える。

しかし、時間も体力もない、もうそれほど多くの可能性を持たないオッサンになることで得られる、新しい感受性がある。

それは「分かるわ〜」である。

小説を読んで「うわー、こういうヤバいやついるよな〜」と思ったり、映画をみて「あー、俺にもこういうことあったわ〜」と思ったり、歳をとると、感動よりも共感が勝るようになっていく。

そしてそれは、案外悪いことでもないように思う。人の気持ちがわかるようになるということは、それだけ多くの人と、具体的な経験や価値観を共有できる可能性が広がるということだ。

若い頃には、抽象的だからこそ崇高な表現と思えていた文学や映画も、歳をとってから見返すと、卑近だが親しげな世界として見えてくる。

大きな感動ではないかもしれないけど、それが愉快に思えてくるときが、人生のある時期にやってくる。

もしただいま大恋愛の最中だったら、本など読むことをおすすめしない。特に恋愛小説など、間違っても読んじゃいけない…あなたが現に夢中でうちこんでいる恋愛の生なましい体験に比べたら、色あせてしまうからにちがいないからだ。

また恋愛中の恋人に、本の話など仕掛けてはいけない。たとえば遊園地に行って黙って恋人とジェット・コースターに乗って遊ぶことに比べたら、ずっと不毛なお喋りにすぎないからだ。

だがおなじ本を読むことでも、おなじ本の話でもいいからやってみたほうがいい。もしも恋愛が峠を越えたと思えたり、これは失敗だと思えたりしたときには。

本には恋愛の終りや失恋の辛さを、もとに返す力はないが、あなたの恋愛の終りや失恋をもう一度、あなたが体験したよりもっと巨きく、もっと深く体験させてくれる力があるからだ。

吉本隆明『読書の方法〜なにを、どう読むか〜』



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