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ポーカープロとして、世界を旅した2年間を振り返って〜ポーカーのこと、旅のこと、それから生き方に関する極めて個人的な意見〜

はじめに

「ポーカーに取り組むその先に何があるのか」

先日、友人がそういった趣旨のツイートをしているのを見かけた。

真っ当な疑問だし、何かに多くの時間と労力を捧げている人にとっては、ある種普遍的な疑問なのではないだろうか。

僕は専業のポーカープレイヤーとして、2年間ほどポーカーで生計を立てつつ世界各地を回るという生活をしてきた。「自分のこれまでの生活はどのようなものだったのか?」彼のツイートを見て、そう問われている気がした。

2年という活動期間を考えると、僕自身はプロポーカープレイヤーとしてもまだまだひよっこの域を出ていないのは重々承知している。
ただ、活動する中で経験したこと、そこから感じたことや考えたことを、このタイミングで振り返って書き記すことには何かしら意味があるのではないかと思い筆を執った。

内容は僕のバックグラウンド(なぜポーカープレイヤーになったのか)、プロポーカープレイヤー生活の実態、そして活動から学んだことといった感じになる予定だ。ポーカーの上達法、バンクロール管理の方法、旅の行程といった、より具体的な内容についてはここでは触れない。

ポーカープロになることを検討している人、何かに真剣に取り組んでいるものの漠然とした不安感のある人、変わったライフスタイルを覗いてみたい人、読んでくださった方に何かしら参考となる内容となれば幸いだ。

ポーカープロになるまで

「なぜポーカープロになったのか?」
一言で説明するのは難しいので、まずは僕のバックグラウンドを簡単に整理するところから始めようと思う。

生い立ち

「小さい頃からボードゲームが大好きだった」、というわけではない。囲碁も将棋も殆どやったことがなく手を付けたボードゲームらしきものは遊戯王カードくらいだった。
ただ、凝り性と言うか物事に熱中しやすい性格ではあった。
特に中学校の頃は酷いもので、学校の授業中も含め食事・部活動・睡眠以外のほぼ全ての時間をモンスターハンター2ndというゲームに費やしたのを覚えている。外遊びでもゲームでも何でも良いのだが、何かに熱中・没頭している瞬間が至福の時だった。

両親も学校も放任主義だったこともあり、この、気に入ったものを突き詰めていくことを好むという性質は曲げられることなくそのまま大人になった。

そんな性格だったため少し苦労しつつもなんとか大学を卒業し、当時面白いと感じていた暗号通貨業界で働くべく仮想通貨の取引所に就職した。一度は社会人になったのである。ポーカーと出会ったのはその就職の半年ほど前のことだ。

ポーカーとの出会い

ポーカーは友人と遊んだ数あるゲームの1つにすぎなかったのだが、次第にその面白さに取り憑かれた。一時はJapan Open Poker Tourをはじめ国内の何かしらのトーナメントで優勝することを目標に、毎日のようにアミューズメントポーカースポットに通ってはサテライト(トーナメントの予選)に参加していた。

なぜポーカープロになったか

当時働いてた暗号通貨の世界は、変化が激しく刺激的で非常に面白い世界だった。そして趣味で始めたポーカーは相変わらず楽しい。何の不満もない充実した日々が続いていた。

しかし、世の中そううまくはいかない。
NEMという暗号通貨が日本円にして580億円ほど、某取引所から盗まれる事件が発生した。事件前年の年始と比べ、暗号通貨の価格が高騰していた(ビットコインの価格は20倍に)こともあり、世間的にも暗号通貨は持ち上げられていた。しかし、この事件を気にユーザー、メディア、政府、それらの全てが手のひらを返した。結果として、当時存在していた取引所はすべて某庁による検査を受けることになり、僕のいた取引所も例外ではなかった。その検査の有り様は酷く、会社のメンバーの一人はストレスで入院し、一人は一時蒸発してしまった。暴力こそ無かったもののおよそ他者にするべきではない仕打ち、少なくとも僕にはそう思われる仕打ちが2週間ほど続いた。結局僕らの取引所はその検査を通過することができなかった。
そして、就職してわずか半年、僕は自社サービスを閉じる作業に従事することになる。
思わぬ形で社会の洗礼を受けた僕は、精神的に幼かったこともあり、社会というものの有り様に嫌気が差した。また社会人として理不尽に耐えながらあと数十年生きていくということに絶望していた。

そんな折、クレイジージャーニーという番組で木原直哉さんのポーカープロとしての生活がフィーチャーされた回を見た。ポーカーの腕一本で世界中のカジノを回り、ポーカーをすることで生計を立てているその姿に憧れた。何より、その「収支の責任はすべて自分次第」という職業としての収益構造の純度の高さに強く惹かれた。そして「何かに没頭しながら生きていきたい」という幼い頃からの想いを思い出した。

社会への嫌悪感、社会の中で生きることへの絶望感、自分のスキル一本で食べていくという職業としての純粋性への憧れ、そして何かに没頭して生きていきたいという想い、それらが要因となって、僕はポーカープロとして生きていくことにした。

専業ポーカープレイヤーとしての活動概観

どこから初めたか

ポーカーのことがある程度分かる方に向け、僕のポーカープレイヤーとしてのバックグラウンドも簡単に説明しておこう。
僕はライブキャッシュメインの専業だ。
昨年アメリカに行った際は$5/10をメインに時折$10/20も打ったりしていた。日本に帰国した際にはスキル向上のためにオンラインでプレーしている。昨年の春頃の話だがPokerstarsというサイトの50NL zoomで100,000ハンド弱プレーして2bb弱/100handsくらいの成績だ。実力でいうと、それほど強くもなく、かといって弱すぎることもなくといったところで、ライブキャッシュで生活費を稼いで生きていくことは可能なレベルといって差し支えないだろう。

ところが、専業としての活動を始めた当初のスキルは不十分極まりなかった。当時はPokerStarsの10NLのリングゲームを20,000 handsやって5bb/100handsくらいの成績を出したに過ぎなかった。
実力不足のまま、最初に選んだライブポーカーの地はフィリピンだった。生活費を稼げる$1/2相当のレートのテーブルが立ちつつ、序盤は勝てないことも想定しポーカー以外にかかる生活コストを極力抑えようと考えての決定だった。夜遊びや豪勢な食事を食べたいと思うこともなかったので、フィリピンでの生活コストは家賃・水道・光熱費・食費etc. 全部込みで5万円/月ほどで済んでいた。
渡航に際しては60万円ほど持っていった。初月の収益は-3万円。毎月一定の給与が振り込まれるサラリーマンしか経験していなかった僕にとって、時間と労力を使った結果お金が稼げないどころか減ってしまったという事実にショックを受けたのを覚えている。

大きく負けこむことがなかったこと、フィリピンでの生活コストが低かったことにより早々に破産するという事態には至らず生き残れたが、過去に戻れるとすればオンラインでポーカーをやりこんでスキルを上げてから専業を始めるだろう。

ポーカープレイヤーの日常

僕は2,3ヶ月に一度、拠点となる国を変えていた。年に一回、夏のラスベガスで催されるWorld Series Of Poker(ポーカーの世界的祭典)の期間はアメリカを訪れることにしていたが、それ以外の時期は自由に移動し放浪する生活を送っていた。

ただ、一度拠点を決めたらポーカー漬け・カジノ漬けの日々だ。火曜日が一週間のスタート、カジノに多くの人が訪れる金曜日の夜と土曜日の夜は書き入れ時、月曜日は人が少ないので休日といったスケジュール感だ。

一日単位で言うとポーカーをする時間は、8〜9時間ほどだ。休憩時間も含めるとカジノには10時間超滞在する。
それを月に25日ほど行うため、ポーカーをする時間は月に200時間ほどとなる。これは専業の中では少ないほうで、300時間を軽く超える人もいるらしい。ただ集中力の持続度合や日々の幸福度などを考えると200時間強/月という稼働時間が自分には合っていた。

起床、朝食、カジノでポーカーと昼食、帰宅、夕飯、就寝という生活をひたすら繰り返す。
書き起こしてみると、日々の生活は案外地味なものだ。相当なポーカー好きでなければやっていられないものかもしれない。

訪れた国・街

たしかに日常は地味なのだが、仕事上の時間的・場所的な制約が少ないというのは他の職業には中々ない特徴だ。特に旅行が好きな僕にとっては大きなメリットである。これまで訪れた国は7ヶ国、訪れた街は20ほど。韓国(インチョン、ソウル)、フィリピン(マニラ)、スペイン(バルセロナ、マドリード)、東欧のジョージア(バトゥミ、トビリシ、メスティア、ウシュグリ村)、アメリカ(ロサンゼルス、ラスベガス、インディアンウェルズ、グランドキャニオン)、インド(チェンナイ、マハーバリプラム、ポンディシェリ、バンガロール、ハンピ、デリー、ダラムサラ、アムリトサル、ワーガ、ビカネール、ジャイサルメール)。

見知らぬ風土、壮大な風景、美味しい料理に素敵な人々との出会い。どの国、どの街でも大いに刺激を受けたし、それらは素晴らしい経験だった。

その全てをここで書くことはできないので、”ポーカー”という文脈で素晴らしかった場所を一つ挙げたい。
アメリカのラスベガスだ。砂漠のど真ん中に突如現れる眠らない街を訪れれば、そのきらびやかな街並み、絢爛豪華なカジノ群に圧倒されるだろう。そしてポーカープレイヤーであるならば遂に聖地に到着したという事実に胸が高鳴りワクワクすること間違いなしだ。

Las Vegas


Poker room in Aria Casino

また、ラスベガスからはグランドキャニオンも近い。その景色の規模感は圧巻なので時間があればぜひ訪れてみてほしい。


Grand Canyon



様々な場所に行きそこで暮らす。大好きなポーカーを打ち、経験を積んで、また別の土地を訪れる。それはあたかもRPGの世界の中で街から街へと移動していくかのようであり、夢のような日々だった。


ポーカーで生き、旅をする中で気がついたこと

ポーカープレイヤーとしての生活を通じてたくさんの気づきがあった。その中で個人的に印象深く、このような生活をしていたからこそ気づいたであろうことをここで列挙していこうと思う。

よく言われていること

ポーカープロになってみた気がついた理想と現実、そのギャップとして、以下の網掛け部分に引用しているようなことをよく聞く。このあたりのことについては、著名なプロポーカープレイヤーの木原直哉さん、3MillionPokerClubのKuzさん、医師からポーカープロへの転向を考えていたプロポさんといった偉大な先人達が既に記事を書いてくれているので、僕の方から改めて言及することはしない。
諸先輩方の記事のURLを記載しておくので興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

一日10時間以上も微動だにせずポーカーテーブルで稼働することのしんどさ、サイドギャンブルに手を出してお金を失うリスク、自分の虚栄心と戦う必要がある、言語・文化の異なる慣れない海外生活からくるストレス、周囲の人の理解、将来への不安etc.

https://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2020/05/29/154133
https://note.com/propofol/n/n64c9803fa628#RRjM1
https://note.com/pokermania/n/n6360adb6632b


ダウンスイングは思ったよりもメンタルにくる

ダウンスイングとは、正しくプレーをしていても不運によって何回も損失を繰り返し負け込む期間のことだ。ダウンスイングは、ポーカーをプレイしている人ならだれでも遭遇することがあるし、長期で成績を残しているプレイヤーでも短期的には必ずダウンスイングがある。

前回のアメリカ遠征での話だが、僕は$5/10をメインに打ち、日次での最大負け額は$5,000ほどだった。日本円にして55万円ほどを一晩で失くしたわけなので厳しいといえば厳しいのだが、負ける日もあれば勝つ日もあるため一日くらいの大敗ではさして落ち込まない。
メンタル的なしんどさを感じたのは10月中旬から11月初頭かけての約半月ほどのこと。以下のグラフを見てほしい。



初めの約1週間ほどは順調に勝っているように見えるがその道程は険しいものだった。毎日テーブルに着いて最初の1,2時間で、100bbすなわち$1,000(10万円ほど)を失うことから一日が始まる。一日単位で区切ることは何の意味のないことなのだが、短時間で10万円強を失うことから始まる一日が1週間ほど繰り返されると「今日もまたか…」と気持ちが後ろ向きになってくる。そして不運が重なる。トップフルハウスを持っている時に相手が4カードを持っていたり、ターンで250bb入れきった時に限って3アウツ引かれたり(勝率94%の確率で50万円のポットを取れる状態からの敗北)、セットオーバーセットを食らったり。毎日が負けからのスタート、そして毎日不運と出くわすと人間の理性的な思考は歪んでくる。
「序盤の不運がなければもっと勝っていたのに」「なんとかこのハンドで取り返したい」等々、本来考えるべきでないことが頭をよぎる。勝ちが積み上がるものの精神的にはすり減っていった。
そんな展開を経てグラフ中央でぐっと勝った日を迎えた。遂につらい時期から脱出したかと思いきや、そこから怒涛の連敗が続き一瞬のうちに$11,000ほど失った。70時間くらい苦しい思いをしながら30数万円を稼いだと思った矢先、40時間ほどで120万円くらい飛んでいった。

ポーカーというゲームの分散の大きさを考えると、ままある事象だと理解することはできる。また運のようなコントロールできないことを嘆いても意味がないし、大きなミスもしていないので問題はない。そのように、理性で、落ち込みそうになる感情をコントロールしようとするがどうも上手くいかない。
大好きだったはずのポーカーを打つ気にならない、そんな精神状況にまで陥ってしまった。(ちなみにその横で僕よりもさらにハイレートで打っていた友人は3日で400万くらい負けていた)

ポーカーとは分散の大きなゲームなのだ。頭では理解していたが肌感覚では理解していなかった。この記事を読んだところで、体感しない限りはピンと来ないとは思うのだが、全く想定しないよりはましだと思うのでここに言及しておく。専業ポーカープレイヤーを志す方は頭に入れておいた方がよい事実だ。

テーブル上のスキルと、ポーカーで稼ぐスキルが完全に一致するわけではない

ポーカーは、スポーツのリーグ戦のようにスキル別に打てるレートが分かれている訳ではない。上のレートに行けば行くほど強いプレイヤーは増えていくのは間違いないのだが、特定のレートのテーブルに座るのに必要なのはその場で要求される最低持ち込み金額をクリアすることのみである。従って高いレートにもそれほど上手くないプレイヤーがやってくる。
当たり前の話だが、強いプレイヤー同士で戦うより、上手くない大金を持ったプレイヤーをカモにしたほうが稼げる。そのため、ポーカーで生計を立てることを考えると強いプレイヤーが少なく弱いプレイヤーが多いテーブルで打つことが大事になってくる。
これは僕の憧れていたポーカープレイヤー像と少しずれていた。上に行けば行くほど強いプレイヤーしかおらずしのぎを削っているイメージだったからだ。
テーブル上で良いプレーをするよりも、テーブル選びが稼ぎに直結する。強いプレイヤーと戦うことを避け、お金をばらまいてくれそうな弱いプレイヤーと同卓することを狙う。
他のプレイヤーが、下手なプレイヤーがいなくなった瞬間にプレーを止めてテーブルが割れることがある。そういった瞬間は少し寂しさを覚える。

好きなことを仕事にすることの弊害

「遊び」をどう定義づけるかは諸説あると思うが、その特徴としてよく挙げられるのが、自発的な行為でありそれ自体が目的である行為というものだ。収支、そして今後の生活のことを考えながらポーカーをしてしまっている自分に気がついた時、元々「遊び」として純粋に楽しんでいたポーカーが遊びで無くなっていく、そんな感覚を抱いた。
お金を稼ぐためポーカーをしているという事実が、純粋にゲームを楽しむという気持ちを汚していく、没入感を侵食していく感覚があった。

仕事・職業としてのポーカーにはお金を稼ぐという側面がある。お金を稼ぐためにポーカーをするという考えが脳裏をよぎるのは自然なことだ。しかしその事実が、ポーカーに対するモチベーションを大きく削いだ時期が僕にはあった。
「毎日何かに没頭した状態」、心理学者ミハイ・チクセントミハイのいうところの「フロー状態」が続くことを望み、職業としてのポーカープレイヤーを選んだ僕にとって、お金を意識し目の前のポーカーに集中できない状況に陥ったというのは小さくないショックだったのだ。

純粋な遊びとしてポーカーを楽しみきりたいと思うのであれば、本業にするのではなく真剣に取り組める趣味という距離感を保つのもありのではないかと思う。

普通が特殊であり、特殊が普通であることを知る

それまで当たり前だと思っていたことが全く当たり前のことではない。旅をしているとそう気付かされる場面がある。

ある時、僕はインドを旅していた。時刻は昼過ぎ、チェンナイ(インド南東の都市)の宿に着いた時、とにかくお腹が空いていた。宿の隣にレストランが入っていたので早速昼食を取ることにした。レストランに入ってみると客は僕一人だった。
インドでは何を頼んでもだいたいカレーの味だ。昨晩はダル(豆)カレーを食べたので、昼食はチキンカレーとチャパティ(ナンの薄いバージョンのような料理)を頼んだ。

10分経った。カレーを出すという作業は、鍋にあるカレーをよそって、チャパティを温めるだけなので、そろそろのはずだ。店主に進捗を尋ねる。
「ごめん、今作っているところ。」
店主はそう事をした。どうやら、まだのようだ。

もう10分ほど経った。再び尋ねる。
「ごめんオーダーが通ってなかった、もうしばらく待ってくれ」
周りを見ると先程よりは混んできていた。そんなこともあるかと思いさらに待つことにした。

さらに10分経過した。また忘れられているのではないかと思いオーダーが通っているか店主に確認してみると、
「ごめんチキンが無かった、ダルカレーならすぐに出せる」
と驚きの回答が返ってきた。「それなら最初から言ってよ」と言うと、
「ソーリー、ガバメントプロブレム、サー」と謝られた。
チキンがないことが、政府・自治体とどのような関係があるのかはよく分からなかったが、僕はお腹が空いていたのでダルカレーを食べることにした。

「注文した通りの料理が来る」といった日本では当たり前であることは案外当たり前のことではない。言い訳もおよそ聞いたことのないものだった。

このような自分の常識が通じない経験は、少し旅行をするだけでも得うるものだろう。しかし、そこから更に、その地に住めば、現地の常識を常識として受け入れて暮らすようになる。スペインでは遊びのサッカーでも真剣にプレーし削り合う。ラスベガスに行けばそのへんで普通に大麻を吸っている人がいる。インドでは右車線も左車線も気にしない。そのような驚きの事実が自分にとっても普通のことになる。

異国の地で一定期間生活し異文化・多文化触れ続ければ、それらは特殊なものではなく、その地の文脈に置いては普通のことであると認識できる。また自分の考え方・価値観が決して絶対的なものではない、ある種の思い込みであることを知ることができる。

Bikaner in India



僕はインドに3ヶ月ほど住んでいたことがあるが、「インドに行けば人生観が変わる」といった類の言説は過言であると思うし、価値観が一変するということもないと思う。

しかし、異国で暮らしそこでの生活を日常とすることで、自身の価値観の相対化することができた。普通さも特殊さも文脈に大きく依存する。そのことに気がつくことができた。
新たな価値観との出会い、そして既存の価値観の相対化は、僕の知的好奇心を大きく刺激した。旅を続けてよかった、そしてまた旅に出たいと思う理由の一つである。

自分は自分のことを想像以上に分かっていない

何が得意で何が苦手か、何が好きで何が嫌いか、何に幸福を感じ何に不幸を感じるのか。
自分という存在と最も向き合ってきた人間は自分自身であるはずなのに、自分のことを案外分かっていなかった。

例えば僕は、貢献欲(他者の役に立ちたい誰かの力になりたいという欲求と定義しよう)が自分の内に存在しているとは考えてこなかった。自分が楽しければそれでいいというスタンスで生きてきた。
しかし、ポーカーを続けるにつれ、この考えは変化した。ポーカーというのはゼロサム・ゲーム、すなわち富の総量が一定でそれを奪い合うゲームである。構造上誰かの勝ちの一方には必ず誰かの負けが存在しているのである。レーキ(場代)を考慮すればマイナスサム・ゲームですらあるといえよう。
飲食店であれば、お客さんは空腹を満たし幸福感を得て、お店側はお金を得る。両者にメリットがあるが、ポーカーという世界で生計を立てるには一方的に他者を搾取する必要があり、何を生み出すでもない。
そんなゲームを続けていると自分は一体何をやっているんだろうという気になることがある。何でも良いから何かしら役に立つことをしたい、そんな風に感じるのだ。

また、ポーカーでお金を稼ぐことに罪悪感すら覚える場面があるというのも新しい気付きだった。ある日、ロサンゼルスのコマースというカジノでポーカーをしていると、初老の男性とテーブルを囲うことになった。その男性はこちらのことを煽り散らかすマナーの悪いプレイヤーだった。ただ、元から弱そうな上に大麻か何かをやっているのだろう、明らかに判断能力が欠如しているように見受けられ、良いカモが来たと内心ほくそ笑みながらプレーしていた。
チップを吐き出してはチップを買い足し、時々大きなポットを獲得して大喜びして煽り散らかす。しばらくするとまたチップを吐き出す。思った通りのカモだった。
合計$5,000くらい吐き出した頃だろうか、彼は「すぐに戻る」と言い残し離席した。ATMに行ってきたのだろう、少しすると彼は膨らんだ財布を抱えながら戻ってきた。
チップを買い足し、ゲームを再開するが相変わらずの放出具合だった。せっかく買い足したチップもみるみるなくなっていく。それまでは$100札でチップを購入していたのだが、尽きてしまったのかポケットの中から$20,$10などで細切れのお札をかき集めて買い足し始めた。そして遂にはそれらさえも使い切った。彼は再びATMへ向かおうとした。そんな時、彼の財布から最後に出てきたのはしわくちゃになった羊皮紙だった。男性はそれを黙読した。そして一息ついて静かにカジノを去っていった。

あれはなんだったのだろうか?医者からギャンブルをやめるようにとの指示書だったのか、「お父さん、散財はしないようにね」という父を想う娘からの手紙だったのか。

その時、僕は罪悪感を覚えていた。止めてくれるセコンドがいない状態で立ち上がり続けるボクサーをボコボコに殴り続けているかのような感覚に襲われた。テーブルに上がる覚悟を持って上がった相手ならたとえ初心者だろうがなんだろうが全力で戦うべきだと思っているし、テーブルに着いた以上、正常な判断能力を保てないのだとしたらそのプレイヤーが悪いと考えていた。しかしそうではないのではないのかもしれないと思う瞬間だった。

それなりに自分と向き合って来たと考えていたが、未だによく分からない存在だと思う今日このごろである。

想定外のことやどうしようもないことがけっこう起きる

先程のダウンスイングの話もそうだが、生きていると自分ではコントロールできない類のものと遭遇することがままある。

僕は新卒一年目で某庁と正面切って戦うことになるとは思っていなかったし、僕の力でその結果をコントロールするのは難しかった。またスペインにて「チーノ(スペイン語で中国人)コロナ!」とテーブル上で嘲笑され傷つくことになるとも思っていなかったし、パンデミックのせいでしばらくライブキャッシュができなくなり収入源がゼロになるとも思っていなかった。
東欧のジョージアという国に入国した直後、コロナウイルスの急激な拡大のせいで出国できなくなることもあった。知り合いもおらず英語も通じない場所で一ヶ月ほどロックダウンに遭い、結局ジョージアには半年以上住んでいた。先日、アメリカから帰国したら親しくしていたポーカー仲間が急逝していた。もう会うことはできない。

ポーカープロを始めたことが原因という訳ではないことも多いが、生きていると想定外だったり、個人ではどうしようもないと思われることがままあるのだと実感する。そういったコントロール不可なことから距離を取るためポーカープレイヤーになったつもりだったが、理不尽なことはどこにいても突如として襲ってくる。そんなことを思い知らされたここ数年だった。

生きる上で活かせそうなより一般的な教訓

僕は、「ポーカーというゲームで生きていく」という取り組む対象のことも、世の中の動向も、自分のことさえもよく分かっていなかった。自分が普通だと思っていることも文脈次第で別の意味を持つようだったし、どうしようもないことはどこにいても訪れるようだ。

ここまで挙げてきた気付きは、ある種上記のような形に抽象化できるのではないかと思っている。

では、そんな、カオスな状況の中でどのように意思決定をしていけばよいのだろうか?という疑問が頭に浮かんだ。

明確な答えがあるような類の問ではないが、これまでの経験から、「自分にとってより良い決断をするための指針のようなものを持つことは可能なのではないか」という仮説が立ったので、ここにまとめてみようと思う。

心身ともに健康でいること

健康はあらゆる活動の基盤だ。
元々、起業家の多いスタートアップ業界にいたこともあり猛烈に働きすぎて体調を崩してしまう人を何人か見てきた。自分もそのきらいがあることを自覚しているので、健康にはある程度注意を払ってきたが、特に強く意識する出来事があった。ジョージアでロックダウンに遭ったことである。知り合いがいないどころか英語を話せる人もいない環境での引きこもり生活が一ヶ月半経過した頃、僕は何をする気力も湧かない状態に陥った。布団から出る気にすらならない期間が数週間続いた。生まれてはじめてのことだった。
このままでは見知らぬ土地で野垂れ死ぬと思ったので、ひとまず食事・運動・睡眠の3つを整えることにした。健康的な食生活、夜は23時に寝て朝は7時に起床、週2回の頻度での運動、そうすることで精神的にも身体的にも体調は少しずつ良くなっていった。

健康が崩れるとあらゆる活動の生産性が落ちる。そして何より幸福度が大幅に低下する。ジョージアでのロックダウンはどんなに厳しい環境下でも可能な限り健康であるよう努めようと考えるようになったきっかけとなった。

ちなみに、僕はなかやまきんに君の生活習慣を参考にしている。いつものカオスな芸とは異なり、きちんと論文にあたったり自分の身体で実験した結果を伝えてくれるので信頼を置いている。何より健康管理初心者への優しい姿勢が好ましい。


自分を幸せにしてくれるものを理解し、それを満たす。

自分を幸福にしてくれるものは一体なんだろうか?
お金を稼ぐことか、他者への貢献感か。多くの人々と賑やかに過ごす時間か、一人で物思いに耽る時間か。皆でワイワイポーカーをすることか、世界最強のプレイヤーを目指すことか。

大半の人が幸福になりたいと願っているであろうが、どのような要素によって自身の幸福感が満たされるのかを明確に認識している人は少ない気がする。かくいう僕もその一人だった。

自身の幸福の構成要素が明確になれば様々な決断を下す大きな手助けとなるはずだ。逆に言えばそれをせずして生きることは大いに時間と労力を浪費する原因となる。

ポーカーは魔性のゲームだ。その面白さは、とてつもない時間と労力、そしてお金を吸い取る可能性を秘めている。
現在のポーカー界隈は嘘と虚栄が多い世界でもある。自分にとって何が大切なのかを見失うと、雑音に流され、後悔することになりうるだろう。


もう一つポイントとなるのは、適宜考え直すことである。
現状気がついていない幸福の構成要素があったりするからだ。先程言及したことだが自分のことは自分では意外と分かっていない。
例えば、他者への貢献欲があることに気がついた僕は『Modern Poker Theory』を翻訳し、『現代ポーカー理論』として出版してみた。
ジョージアに幽閉され時間だけはあったので翻訳をした。
こんな専門書のような本を欲しいと思っている人はいるのだろうか?
当時は、「これが誰かの役に立つのか」という疑念があったが、昨秋ラスベガスに行った際に何人かの日本人の方が感謝の言葉を伝えてくれた。本当に嬉しく満たされた気分だった。

自分の幸福を満たすものは何か?
ポーカーをしながらも、たまにはそういった問と向き合いながら意思決定をしていこうと思う。

最後にストア派の哲学者セネカの言葉を引用しよう。

ある人が、港を出たとたんに、激しい嵐に襲われたとしよう。彼は、あちらへこちらへと流されていった。そして、荒れ狂う風が四方八方から吹きつけ、同じところをくるくる引き回された。さて、どうだろう。あなたは、その人が長く航海していたとみなすだろうか。否、その人は長く航海していたのではない。たんに長く振り回されていただけなのだ。

セネカ『生の短さについて』


コントロールできないことは気にしない、コントロールできることにのみ注力する

コントロールできないことは気にしない、そしてコントロールできることにのみ注力する。これはポーカーを通じて学んだ一番大きな教訓かもしれない。

例えばダウンスイングと出くわした時。
なぜ運が悪いのか、今日もまた負けるのではないか、そんなことを考えるのは本当に意味がない。ポーカーをプレイする中で訪れるダウンスイングそれ自体は避けることができないものだ。
コントロールできないことに意識を持っていかれることは、何の意味もないどころか適切な決断を下す上での阻害要因にすらなる。
僕らはコントロールできることにのみ注力すべきだ。
ダウンスイングに寄与する不運はどうしようもないが、テーブル上で一つ一つの決断を丁寧に行い最善をつくすことはできる。テーブル外でも日々上達するために学習を続けることができる。分散に耐えうる充分なバンクロールを用意することもできる。
ダウンスイングとはそのように付き合っていくべきだ。

プリフロップでスリーベットするのかしないのか、大学を卒業するのかしないのか、専業ポーカープレイヤーになるのかならないのか。ポーカーに限らず生きるということは決断の連続だ。
その上、決断の結果には自分のコントロールできないことが絡み大きな影響を与える。それでもなおコントロールできないことは気にせずに、その時点で持っている情報に従って、可能な限り最善の決断を下すことだけが、自分の決断をより良いものにすることができる。

むすび

最近、"The World Is Your Oyster"というフレーズを知った。
シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor)』に出てくる一節から派生した慣用句で、OysterはPearl Oyster、牡蠣ではなく真珠貝のことである。直訳すると「世界はあなたの真珠貝だ」、意訳すると「世界はあなたに開かれており、困難も伴うがその先には素敵な出会いがある」といった意味になる。

僕は「ポーカーに取り組むその先に何があるのか」という冒頭の問に対して、万人に通じるたしかな答えを持ち合わせてはいない。それはポーカーを趣味としていた頃もそうだったし、2年間の旅を終えた今もそうだ。

しかし専業ポーカープレイヤーとしての2年間のその先には、僕にとって大きな価値のあるものが待っていた。それは何もここに書き記したことばかりではない。心揺さぶる風景、親友と世界を回るという体験、各地で出会った素敵な人々との思い出。ここには書ききれなかった数多のことも含め僕にとっては真珠のようなものである。事前に予想していたものもあったが、予想外の出会いもたくさんあった。


Poker players from Argentina and Japan in Madrid


Ushguli village in Georgia


仮に、その先に何が待っているのか分からなくても、自分を幸福にしてくれる大切なものを忘れなければ、対象との距離感を見誤ることは減るだろう。そして、適切な距離感でポーカーに取り組んだその先には、きっとそれぞれにとって価値ある何かと出会えるのではないだろうか。
次に出会うことになる真珠はどのようなものだろうか。コロナ禍で大変なことも多いが、明るい未来に思いを馳せながら日々を過ごしていくことにしようと思う。


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