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医者が本気でポーカープロへの転職を考えた話

 2015年1月に友人とポーカーを始めて以来、2020年5月現在に至るまでほぼ毎日のようにポーカーと向き合ってきた。おそらく自分は今後も、死ぬまでポーカーと付き合っていくだろう。この5年ちょっとの間に職を転々としていたが、その中でポーカープロへの転職を本気で検討していた時期があった。今日はそんな話をしようと思う。僕と同じようにポーカーが好きで好きでたまらないサラリーマンポーカープレイヤーと共有したい。


1.ポーカーと出会うまで

 元々ギャンブルが好きで、医学部学生時代はアルバイトをしないかわりに、パチンコ・スロットで稼いでいた。僕がパチンコ・スロットをやっていた頃は、爆裂機のようなものが規制で淘汰されてしまった後の時代で、全盛期を過ぎた後。期待値の時給で2,000円/h稼げればいいという程度だった。

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 パチンコはよく回る期待値プラスの台をフル技術介入で閉店までぶん回し、スロットは設定6という当たり台を探し、掴んだら閉店まで休むことなくぶん回す、というように期待値を稼ぐことだけを考え稼働していた。医学部生だったので大学の出席も厳しく、大学の授業で時間が取れないようなときは地元の友達を代打ちとしてアルバイトで雇っていたりした。(時給千円+インセンティブ)  努力していたこともあり、そこそこパチンコ・スロットで貯金を作ることができた。
 海外カジノも好きで夏休みや春休みを使って時々行っていたが、パチンコ・スロットと違い期待値でプラスにすることが難しいということを知っていた。ブラックジャックはプラスにできうるということも理解していたが、カードカウンティング無効のシャッフルマシーンが導入されていたり、カウンティングはカジノ側が厳しく監視され、見つかったら出禁になるということを知り、カジノでプラスにするのは難しいと思っていた。ただ・・・

カジノの中でも「ポーカー」だけはプラスにできるゲーム

ということを耳にしていた。ギャンブルでプラスにできるという夢のような話に興味を持ったが、当時の僕はポーカーに全く馴染みがなく、難しく、お金持ちしかできないゲームのような印象がありスルーしていた。

2.ポーカーとの出会い

 そんな僕も無事に医学部を卒業でき、医師国家試験に合格し、医師になることができた。医師は社会人になった最初の2年間、初期研修というものが義務化されている。その研修医時代に仲の良かった同期に「一緒にポーカー覚えよう!」と誘われたのが、すべての始まりだった。

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 彼も自分も、前々からポーカーには興味があったものの、覚えようとしてこなかった。数か月後の卒業旅行でラスベガスに行く予定もあったため、当面はそれに向けてポーカーを覚えようということになった。2015年1月のことだった。
 役もルールもわかないような状態。とにかくネットでサーチをして、情報を集めた。僕が最初にポーカーを覚えるのに役に立ったコンテンツ

ポーカー道
・ポーカー世界チャンピョンが教える$7 sit&goという木原さんのYoutube動画(現在は削除されてしまっている)

 ポーカー道でルールを覚えながら、木原さんの動画で実践的な動きを覚えていったような形だった。そんな中Pokerstarsで毎日オンラインポーカーがプレーできることを知る。僕の場合はライブポーカーより先にPokerstarsでオンラインポーカーをプレーするほうが先だった。
 2015年2月には初めて国内のアミューズメントポーカーを経験した。生まれて初めてのライブポーカーだったが、アキバギルドに一人で行った。(本当はアキバギルドに行ったことのある後輩に連れて行ってもらう予定だったが、後輩が緊急オペで行けなくなった) 人気ディーラーの卒業イベントだったらしく、平日の平場なのに100人近くの人が集まっていた。途中でアンティーラウンドになったときに、アンティーを出すのにものすごく戸惑ったのをよく覚えている。
 「アンティーですよ。アンティー出してください。」
オンラインでは自然にアンティーが回収されていたし、そもそもanteを"アンティー"と読む事をしらなかった。「多分あの"アンテ"ってやつのことだろうな」となんとなくは理解はしたのだが、とても新鮮な経験だった。

 そんな流れで2015年3月に卒業旅行でラスベガスに行き、初めて本場のカジノでポーカーデビューを果たした。

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 キャッシュゲームはMGMの$1-$2でvpip15%程度にカッチカチにプレーして、3日間トータルで$300ほど浮かせることができた。その他のホテルの$50~$100前後のdailyトーナメントにも足を運んだが、こちらはすべてノーインザマネー。これらのデイリートーナメントだと優勝しても大した賞金じゃなかったのをよく覚えている。(今考えると、レーキがかなり高かったんだと思う。国内アミューズのトーナメントのレーキがかなり高いのと同様、この価格帯だとレーキを高くせざるを得ないのではないか。)

 はじめて海外でポーカーをした感想としては、思っていた以上に動くお金は小さく、堅くプレーしていれば十分プラスにできるゲームと感じた。これからもどんどん勉強して強くなっていきたいと思った。

3.国内のポーカースポット

 日本に帰ってからもポーカーの熱が冷めることはなかった。ほぼ毎日オンラインでプレーしていたし、国内のポーカースポットにもよく足を運ぶようになった。職場が新宿だったので、東京 de Pokerというアミューズメントにほぼ毎日通っていた。(当時の東京 de Pokerは新宿・渋谷・六本木と曜日によって開催場所が違っていた) 2015年4月のポイントランキングに入賞し、4月の最終日にポイントランキングを戦った東京 de Poker(以下 デポ)の常連と飲みに行った。生まれてはじめてポーカープレイヤーとのコミュニティーができた瞬間だった。医師の世界は狭く、他業種との関わりは少ないとされる中、デポの人たちといるのはとても楽しかった。ポーカー界の重鎮、しまださんと知り合えたのもデポのおかげだった。
 2015年7月には国内最大の大会であるジャパンオープンに初めて参加する。

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 とても緊張して臨み、刺激的な経験をすることができた。頑張ってプレーしていたがDay1の最後でAA<QQで敗退。悔しい思いをする。この時のメインイベント優勝はくりあつさんだった。

4.初めての海外ポーカー大会

 2015年8月、夏休みを利用してフィリピンのマニラで行われたAPPT Manilaに参加した。生まれてはじめての海外ポーカー大会だった。トーナメントの参加費もメインイベントは10万円にもなり、高額バイインにとても興奮していたのをよく覚えている。幸運なことにこの大会でかなり上振れた。初めて参加したトーナメントである2dayイベントである6maxではファイナルテーブルまで残り、メインイベントではセミファイナルまで残った。

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 最近では日本人の優勝も決して珍しくないが、当時は海外遠征しているプレイヤーも少なく、インマネしただけでそこそこに目立つことができた。6maxでday2のFTに進出した時はデポのFacebookにこんな写真がアップされていて泣きそうになった。

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 日本に帰ってからもさらにポーカーにのめり込んでいった。仕事から帰宅→オンラインMTT→仕事→オンライン→・・・の繰り返し。土日にアミューズで大きめのプライズマッチがあれば、アミューズにも行っていた。仕事もかなり忙しかったが、充実した日々だった。仕事で休みができればすべて海外遠征に使った。
 2015年の秋にマカオで行われたAsia Championship of Poker (ACOP) に参加し、そこで木原さんと同卓する。ポーカーを始めたばかりの頃にYoutubeで見ていた憧れの存在だったのでとても緊張した。BTNのオープンに僕がBBを守って、フロップでチェックフォールドをするという普通のプレーをした後に
「オンラインプレイヤーっぽい打ち筋ですね」
と木原さんに言われたのを覚えている。(これは褒め言葉だろうと思い、ちょっと嬉しかった経験だった)

 その後も海外トーナメントに行くたびにとても楽しい思いをすることができた。そうこうしているうちに、ポーカーをやりたいだけやる生活をしてみても良いんじゃないかと、考えるようになっていく・・・

5.仕事を辞める

 ポーカーを知った翌年の2016年の夏、職場を辞めた。低賃金で毎日朝6時から夜10時まで毎日働かされ、土日も満足に休めない日々に嫌気がさした。とにかくブラックすぎる・・・「自由に生きたい」という思いから退職を決意した。

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 後先を何も考えていなかったわけではなく、アルバイトで生活していくための最低限の資格が取れたこともあった。医師は普通に勤務医として働くよりもアルバイトの方が時給が高いという、よくわからない現象が起きている。キャリアアップを考えていないのであれば、アルバイトで働いた方が時給効率が良いのだ。当時の自分は医師としてのキャリアアップよりも、とにかくブラック労働から抜け出し、自由な生活をしたいという思いがあった。今思うとこの判断は正しく、辞めてよかったと思う。年収は倍以上、自由な時間も倍以上になった。

 自由な時間が増え、これまで我慢していた海外にも行きやすくなったことから、このままポーカー専業になってみるのはどうか?と考えるようになった。

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 医者アルバイトの時給の相場は大体時給1万円。自分の場合は少し割が良く、9時から17時までて日給12万円ほどのところをいくつか紹介してもらえていたので時給換算だと1.5万円ほどになった。これだけの金額をポーカーで安定的に稼ぐとなると、トップクラスの実力は必要で、コスパの観点からだとこのままアルバイトをしている方が良くなってしまう。(実際はバイト代の半分は税金で持っていかれるので、手取り時給で言うとこの半分ぐらいで6~8千円程度になる) 

 本当にやりたいことで食っていきたい!ポーカーで食っていきたい!という気持ちが強い一方、コスパの高さから医者バイトはやめられないという状況である。数か月アルバイトをしてお金を貯めて、数か月海外へ・・・というような生活が理想的だが、アルバイトとはいえ医者の仕事なので、ある程度定期で入らないとなかなか割の良い仕事にはありつけなかったり、スキルが下がってしまったりと色々と問題はある。

 そんな中、なんとか休みを捻出し、専業とはどんなものか体験してみるべく、3週間マニラに、2週間マカオに滞在してみて、ひたすらキャッシュゲームを打ち続ける生活をしてみたのだった。

6.専業体験

 専業を考える上で、実際に体験してみることも大切だと思い、専業になったつもりで、キャッシュゲームを打ち続ける生活をしてみた。マカオで2週間程度HKD 25/50のレート、マニラでは3週間ほどPHP100/200のレート(立っていないときはPHP50/100)を打った。ともに大体$2/$5程度のレートになるが物価の高いマカオでは最低レートで、物価の安いマニラでは最高レートといったところ。大体100時間弱程度ずつ稼働した。大き目なイベントが開催されている期間ということもあり、フィールドはヌルく、そこそこの上振れもあって、まあまあの稼ぎになった。

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 ただこの経験を経て、自分が専業ポーカープレイヤーとして生活していくことは不可能だと感じるようになった。なによりも一日10時間以上も微動だにせずポーカーテーブルで稼働することのしんどさ。ティルトしようならばチップをバラまきかねないため、そのメンタルコントロメールも大変。この先も勝ち続けられるとは限らない中、生活がかかっているというプレッシャー、下振れに負けないメンタル・・・何よりも海外での生活はかなりストレスが大きい。日本のように清潔で、ご飯も安くておいしいといった、恵まれた環境が海外にはどこにもないことにも気づく。言葉の壁も大きい。マカオでは英語が通じないこともしばしばある。

大好きなポーカーなのに
「専業」として打つと楽しくなくなってしまうのではないか・・・

 そんな疑問が自分の中で湧き上がっていた。専業生活体験をして感じた経験は、海外のカジノで過ごす華やかな印象とは全く違ったものだった。そして今まで自分がポーカーを楽しくプレーできていたのは、ポーカーとの適切な距離感を保てていたから、ということを知る。滅多に行けない海外だからこそ楽しい、楽しみにしていた大会だから楽しいのだ。それが日常になってしまうと、それは楽しいものではなくなってしまうのだ。

 それから国内で医師としてアルバイトをし、まとまった休みをつくっては海外の大きい大会に行くという生活をしばらく続けていた。この間、信じられないぐらいに下振れを食らい、トーナメントでは27連続ノーマネー、かなりの金銭的ダメージだったことをよく覚えている。オンライントーナメントをやっていると、これぐらいのことは頻繁に起きるし別に珍しいことでも無いが、バイイン額が大きく試行回数もこなせないライブトーナメントでこれをくらうと、とても痛い。

7.今後のポーカーとの向き合い方

 ポーカーは一生続けていくつもりでいるし、今でも愛して止まないゲームだ。最近でもポーカーをプレーしているし、実力向上のための勉強も続けている。その大好きなポーカーとの付き合い方を色々と試した結果、自分にとっての最適な距離がある程度見えてきたように思う。
 ラスベガスで年に1回行われているWSOPなど大きい大会には毎年参加したいと思っている。ポーカーのスキルをしっかりと向上させつつ、年に数回の海外遠征の機会をしっかりとキープできるような小回りの利く働き方を目指すというのがその後の自分の目標となった。ここ数年はそのような未来の目標に向かって、自分の働き方を試行錯誤している。

一度きりの人生、やりたいことをやって
悔いなく死にたい

この記事が、僕同じようにポーカーが好きで好きでたまらない方々の参考になれば嬉しい。

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