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World's Smallest Violin〜とあるポーカープレイヤーの敗戦記〜

はじめに

“And worse I may be yet: the worst is not, so long as we can say 'This is the worst.'”
「いや、この先、まだまだ落ちるかもしれん。これがどん底だなどと言えるあいだは、まだ、本当のどん底に落ち切ってはいないのだ。」

William Shakespeare, King Lear / シェイクスピア, リア王 (光文社古典新訳文庫)


以前にダウンスイング(※プレイヤーが不運によって損失を繰り返す期間のこと)の乗り越え方という趣旨の記事を書いた。今から10ヶ月ほど前、ロサンゼルスのカジノでポーカーをしていた時のことだ。酷い不運に見舞われている友人を連れ立っていたこともあり、自分の経験を何か伝えられればと思い書きおこした記憶がある。

今、その記事を自ら読み返している。なるほど言っていることはもっともだ。しかし、僕の心を支配しているのは、「なんでもいいから勝たせてくれませんか…?」という思いである。
日本を出てから4ヶ月半、もうすぐ帰国だ。専業ポーカープレイヤーとしての生活を始めてから3年になるが、僕はいま最大のダウンスイングの中にある。

この記事は、とあるポーカープレイヤーがボロ負けして帰ってきた敗戦の記録であり、その振り返りである。

道のり

今回は久々の長旅だった。2023年が始まってからずっと国外にいて、その期間は4ヶ月半にも及ぶ。訪れた街は15ヶ所を超えた。

以下にその道のりをざっくりと書き記してみよう。

旅の始まり

最初の目的地はマニラだった。到着して一週間、₱200/400と₱500/1000で300bbほど(≒40万円)失った。遠征の初期は負けることが多い。たまたまそういう巡り合わせなのか、各フィールドにアジャストするまでに時間がかかっているのか。よくわからないが、毎度のことなのでもはや気落ちすることはない。むしろ気分は良い。なぜなら、マニラの後にオーストラリアへ向かうことになっていたからである。これまで訪れたことのない場所に赴く時というのはいつでも興奮するものだ。新たな土地で、どんな経験ができるのか。そうワクワクしながらシドニーへと向かった。

人生で一番で負けた日

シドニーに着いたのは昨年末のことだった。空港を出ると照りつける太陽が、カジノ付近では輝く海が出迎えてくれた。マニラで負けた記憶はどこか遠くへ行ってしまった。



初めてカジノでポーカーをしたのは、シドニーに着いた翌日のことだった。年末だったためか観光客が多くウェイティングリストには長い列ができていた(18時時点で$2/5/10が2卓、51人待ち)。テーブルは良いし自身のプレーも良い。昼過ぎ頃から打ち始めて夕方にはマニラでの負け分を全て回収していた。

22時を過ぎた頃、大物が2人、僕の座っていたテーブルに着いた。1人は高そうな時計を身につけ大金をテーブルに積む見るからにリッチな紳士、そして、もう1人はチップがなくなると「バカラ行ってくるわ!」と離席し勝つと戻ってくるバカラ好きの陽気な親父だった。ゲームは激しくなり多額のチップがテーブル上を行き交う。

僕の打っていた$5/10は$5/10/20になり、気がつけば$5/10/20/50へと変貌していた。$5,000(AUD)(≒50万円弱)が1ハンドで容易に消し飛ぶレートである。帰宅することも考えたが、あまりに美味しいテーブルだったこと、そしてなにより高い集中力を保てていたことからプレーを継続することにした。人生最高レートへの挑戦は、緊張3割、興奮7割、集中するのにちょうどよい精神状態だった。

そんな中、BNでA♥K♥が配られた。$125にレイズ(賭金の釣り上げ)すると、SB(僕の真左のポジション)に座るプレイヤーがコール(賭金に乗る)、その隣の$10,000持ちのお金持ちもコール。するとストラドルをしていたプレイヤーが$2,000のオールイン(チップ全掛け)をしてきた。$5,000を持っていた僕もオールイン、SBのプレイヤーはフォールドした。すると、間にいたお金持ちは少し間をおいてから「ギャンボーギャンボー」と言いながらコール、勝負に乗ってきた。ボードは22358、フラッシュ目はない。ハンドを開くと、ストラドルのプレイヤーがATs、お金持ちのハンドは66だった。僕は$5,000を失い、そのお金持ちが6のワンペアで$12,000ポットを獲得した。
ビッグポットから一息つく間もなく、AJs < Q8o(40str), AQo < 33(60str) のプリフロップオールインで、立て続けに$5,000を失った。3ハンド、ほんの1時間で$10,000マイナスである。その後も、ちまちまとチップを失い、結局その日は頂点から$15,000(≒135万円)負けてしまった。
気がつけば空が白み始めていた。僕は放心状態のまま一人帰路についた。

大敗後

翌日、目を覚ますともう外は暗くなっていた。大敗した翌日はだいたい爆睡してしまう。昨晩は人生で一番負けた夜であり決して夢ではなかった。

家でのんびりしながら昨晩の出来事を反芻する。
金額こそだいぶ違うが、昨晩の大敗はかつてレートを上げたタイミングで負けた時と本質的には何も変わらないはずだ。$1/3で初めて$300溶かした日、$2/5にレートを上げた直後に$2,000マイナスを食らった日、$5/10で初めて$4,000マイナスを食らった日。どの日も辛かったのを思い出した。
プレー面についても振り返ってみた。プレーは悪くなかった。いや、むしろ集中力が高くいつもより良かったと言える。撤退ラインを決めてリスクを取りにいったのだ。問題はない。なにより高いレートに挑戦したというのは良い経験だったと感じられた。

一通り振り返ると気持ちは落ち着き、もう一晩寝たところでいつもの精神状態へと戻った。
そこからシドニーのラスト一週間、プレーが悪くなることもなく、淡々とポーカーをすることができた。観光も楽しかったし気持ちを切り替えて次の街メルボルンへと向かった。


Sydney Harbour Bridge下で年越し花火

怒涛の連敗

メルボルンにはオーストラリアで最も大きなポーカールームがあると聞いていた。オージーミリオンという世界的にも大きなポーカーのトーナメントそこで開催されるという。どんなポーカールームなのか、日本で旅程を練っている時から楽しみにしていた。
しかし、いざ到着してみると、想定よりも卓数は少なくポーカー熱はそれほど高くはなさそうだった。オージーミリオンも今後は開催されないとのことだったし、キャッシュゲームに関してもプレー時間に制限があった。ポーカーに打ち込むことが難しそうだったため、観光メインでポーカーは軽くプレーする程度にすることにした。


しかし、短い稼働期間、信じられない速度で負けることになる。
1月はライブポーカー人生で最もAAとKKが配られた月だったのだが、それらのハンドが尽く破壊された。SPRの低い状態でセットやツーペアを引かれるし、そもそもプリフロップでのオールインさえも勝てない。
メルボルンに来てから、気づけば11日連続で負けていた。フィリピン・オーストラリア用に持ってきていた手持ちのお金がいよいよ底をつきかけていた。

メルボルンに来てから12日目、僕は一緒に旅をしていた友人と同卓した。彼は僕の2つ隣の席に座っている。着席してすぐ僕にKKが配られ、その彼とプリフロップオールイン対決になった。彼はAKsを持っておりボードにAが落ちて僕は負けた。その2ハンド後、今度は僕にAKsが来て再びオールイン対決。彼はKKを持っていて僕は負けた。

僕は、反射的に、AKsをテーブルに叩きつけてしまった。周りから「アンビリバボー」やら「オーマイゴッド」という声が聞こえる。慰めの言葉は欲しくなかった。キャッシャーで換金するチップすらない。僕はその場を立ち去った。

この時点で僕は有り金を全て使い果たした。

破産記念:最後の$1チップ



遠征開始からこの時点まで150時間程度プレーしていたが、セッション勝率は33%に満たなかった。カジノに3日行くと2日は負けて帰っていることになる。そして初めての破産。帰り道、胸が締め付けられ吐き気がした。

メルボルンでのポーカーは良いところがなく終わった。

初めての別室送り

オーストラリアの後はアメリカだへと向かった。アメリカへのフライトの中で先月の出来事を振り返っていた。かなりの不運に見舞われたが改善すべきところがあるかもしれないと思ったからだ。
運動・食事・睡眠といった健康に関する習慣に乱れはなかった。迷惑だったとは思うが、友人に愚痴をこぼすことで感情を溜め込みすぎることもなかったし、遊びにでかけることで気分転換をすることもできていた。幾日かの休暇を除けば日々のハンドレビューも継続できていたし、プレーが劇的に悪くなっているということもなさそうだった。

整理がつくと、完全復調とまではいかないまでも気が晴れてきた。ここから仕切り直してアメリカでまた頑張ろう、そう前向きになることができた。



ところがここで想定外の事態が起こる。アメリカに着陸し、入国審査を受けていると、別室に連れて行かれた。別室に送られたのは初めてだったので緊張が走る。もしここで入国拒否にでもあったら旅程を大きく変更しなければならないし、今後のアメリカ入国に支障をきたすことになるかもしれない。

入国審査官に連れられてたどり着いたのは役所の待合室のような部屋だった。壁際に緑の長椅子、その対面に受付があり、室内にいるのは僕とバックパックを背負ったイタリア人の二人だけだった。

「一体どんなことを聞かれるのだろうか?」
スマートフォンを使って質問内容の予習をしたいところだったが、室内での電子機器の使用は禁止されていた。ナーバスになりすぎないよう隣のイタリア人に話しかけてみたが彼は暗い顔で頷くばかりである。陽気なはずのイタリア人のその深刻な表情が僕の不安を掻き立てる。

10分ほど待っただろうか、僕は奥の小部屋へ来るよう促された。
そこには、学校の職員室にありそうな灰色の金属製のデスクとパイプ椅子が2つ、そしてスラリと背の高い黒人男性が待ち構えていた。席にかけると、質問攻めが始まった。今回・そして過去のアメリカ滞在に関して、その期間、目的、滞在先etc.を聞かれる。また日本とアメリカにおける資産の状況、家族構成、あと、知らない女性の名前について(なぜ聞かれたのか不明)も聞かれた。各項目について根堀葉掘り聞かれる中、僕は必死に応対した。
30分ほどのやりとりの後、なんとか入国を許可された。この時ほど英語を勉強してきてよかったと思ったことはなかった。入国手続きだけでどっと疲れてしまった。


必死の登山と休息


ロサンゼルスの空港を出て、早速 The Commerce Casino & Hotel に向かった。出鼻を挫かれたがここから約一ヶ月間ポーカー漬けの毎日だ。5階の自室と1階のカジノフロアを往復する日々が始まった。

コマースでの日々はアップダウンの激しいものだった。
初日は開始2時間で$4,000負けて、セッション終わりにはプラマイゼロにまで戻した。翌日は7時間で$5,000負けてしまったが、その日の終りにはなんとか収支をプラスまで戻した。馬鹿げた負け方が続く一方でラッキーな展開に巡り合うことはない。もはや、クーラーバッドビートは一日一回起こるものなのだとさえ思うようになっていた。このころにはALL IN EVと実収支の乖離(※参考)が$20,000(USD)(≒270万円)を超えた。
勝っては負け、勝っては負けの繰り返し。連日の長時間稼働もあって精神が擦り減っていったが、
「プレーし続けるしかない。」
そう自分に言い聞かせながら毎日稼働した。


The Myth of Sisyphus


そしてアメリカでの稼働が200時間を超えた頃、ようやく遠征の収支がプラスになった。この時の達成感と満足感は格別なもので、アメリカに来てから控えていたお酒を解禁した。



しかしここにきてポーカーを打つ気力がなくなってしまった。冷静に考えると400時間近く収支マイナスの状態で打ち続けていたので精神的に参っていたのだろう。僕は思い切って休暇を取ることにした。

休暇の期間は一週間、行き先はメキシコにした。中南米は行ったことがなかったので非常に楽しみだった。
メキシコに到着してから2日ほどはプールサイドとベッドを往復するだけで終わった。案の定というかなんというか、疲れていたようで観光に行く元気もなかった。「ALL IN EVやセッション勝率のような気にしても仕方のないものに意識が向いている時点で精神状態は良くなかったんだろうなぁ」そんなことを考えながらホテル併設のプールサイドでゴロゴロしていた。

メキシコでの残り5日は観光をした。メキシコの風土や文化はこれまで経験したことのないものであり、今回の遠征で最も楽しい思い出の一つとなった。

テキーラおじさん


街中で音楽に合わせて踊る人たち
グアナファト

メキシコでの旅を終えた僕はアメリカに戻った。しっかりリフレッシュしたおかげでロサンゼルスでの残り一週間を清々しい気持ちで迎えられた。

登頂後の景色

ロサンゼルスに帰ってきたその日、$7,000(≒100万円)負けた。フリップ以上(だいたい勝率50%以上)プリフロップオールインで4連敗に、AKo<KK。3bet potでフロップトップツーペアでトリプルバレルオールインをしたらターンで上のツーペアを持たれていた。必死に登った山から転がり落ちるのは一瞬だった。



その晩、おかしな夢を見た。
夢の中でも僕はポーカーをしていた。僕はJd9dを持っていてBNからレイズし、BBがコール。J92のツートンボードでベットをすると相手からレイズが返ってきて僕はコールした。ターンでJが落ちた、僕のハンドはツーペアからフルハウスになった。ターンでオールイン、リバーはラグの3。ハンドを開くと自分のハンドがJd9dから82oへと変化していた。「いかさまだ!」そう声を上げたところで目が覚めた。
なんとも馬鹿らしい夢だ。実際にオールインポットから$100チップを抜かれる被害に遭ったので(その$100は監視カメラのチェックを経て取り返すことができた)、そのことが影響したのかもしれない。それにしても、あまりに馬鹿げた夢である。しかし、そんな夢を見るほどに、僕の精神はボロボロだったのかもしれない。

アメリカでポーカーをする期間は残り数日だ。厳しいがあと数日くらい頑張ろう、そう思いながら翌日からポーカーを再開した。

コマースでの最終日前日だったか、印象的なハンドがあった。
僕はBNで88を持っていた。HJがリンプ、COがレイズ、僕が3ベット。するとBBがコール、HJもCOもコールして4wayになった。フロップは982のレインボー、エフェクティブスタックは250bbだ。ビッグポットでビッグハンドをつもるの本当に久々で胸が高鳴った。僕はどうやってチップを奪いきるかを考えていた。
フロップでべットするとBBがショートオールイン、残り二人もコールした。ターンでJが落ちて僕はもう一発べットをする。二人ともコールし、SPRは1を切った。リバーは7。7である。相手が持ちうるハンドの本命、TTにもJTにもT9にも逆転される、それだけはだめだというカードが落ちてしまった。
頼むからチェックで回ってくれと願ったが、無情にもHJのプレイヤーがドンクオールインをしてきた。そしてそれに対してCOのプレイヤーが間髪入れずにコール。僕はフォールドした。HJがTTでCOがT8s、両者ともストレートを完成させていた。

「あ、ティルト(※)する」
そう思った僕は即座に離席して、真っすぐ自分の部屋に戻った。そして枕に顔を押し当て、1人叫んだ。フォールドという正しい選択を選ぶことができたのだが我慢の限界だった。

※ティルト
プレイヤーが合理的な判断ができなくなり、感情にかられた行動をとるようになってしまった状態

https://ja.pokerstrategy.com/glossary/_101/



「あんまりじゃないか…?」
そう思う自分がいた。分かっている、自分が「ザ・メンタルゲーム」で言うところの、不公平ティルト(※)の一歩手前にいることに。

君は自分でも覚えていられないぐらい何度もリバーで捲られ、クーラーに巻き込まれ、バッドビートを食らい続けて、君の頭はもう今にも爆発しそうになっている。自分がここまでアンラッキーなのが信じられない。下手くそどもは君を最悪の場面でサックアウトし、レギュラー連中は君を踏みにじり、本来なら自分が勝ててしかるべき場面がどれほどあったかを考えるとティルトしてしまい、ポーカーの神様を呪い、こんな目に合う理由なんてどこにも無いはずだと感じ、いつになったら幸運の公平な分け前が自分にも回ってくるんだと疑問に思う。(中略)
ここは我慢の時だ。そのうち自分にもいいことが巡ってくるはずだと。だが君の「ポーカー正義メーター」の針は、全く逆の方向に大きく振れていて、君はそれと闘い続けた挙げ句、ティルトを起こしているのだ。

ザ メンタル ゲーム ──ポーカーで必要なアクション、思考、感情を認識するためのスキル



過去のセッションを見返せば「ポーカーってこんなに簡単だったっけ?」と感じられるほど勝ち続けた期間があった。昨年のWSOPで3位になった時なんてとんでもなく上振れていた。自分に有利に働いた幸運のことはおそらく見逃しているのだ。
そもそも分散の大きさはこのゲームの一部だ。そしてそのおかげで僕はポーカーで生計が立てられている。分散は愛さねばならない。
もっと言えば世界中を周る生活を送れている時点で物凄くラッキーなのだから自らの幸運に感謝すべきだ。この世界のどこかにはもっと不幸な人がいる…

そう考えることで、気が楽になるのであれば、どんなに良かったか。この心が、痛むことを知らないものだったらどんなに良かったか。
理性で制御しようとしても苦しいものは苦しいのだ。


ヨーロッパに場所を移してからも状況は変わらない。いつしかオールインEVと実収支の乖離は$30,000(≒4,000,000円)を超えた。人は都合よく記憶を捻じ曲げる生き物なので、割り引いて考えた方が良いとは思う。しかし少なく見積もっても$25,000は乖離しているはずだ。

テーブルのメンツを見れば、「自分が負けることはないはず」と思っていた。しかし、今や何をしたら勝てるのかすっかり分からなくなってしまった。

私生活においても悪いことが続いた。渡西の飛行機の中でCAさんにワインをぶっかけられるし、地下鉄でスリに遭う(取られずに済んだが)し、知人の訃報まで届いた。

自信・意欲は粉々に打ち砕かれた。こんなことならメキシコから帰ってこなければよかったし、ヨーロッパにも行かなければよかった。そんなことさえ考えるようになってしまっていた。

登頂後の景色はオーストラリアで経験した以上の下り坂だった。

振り返り

何が辛かったのか?

今回の遠征はポーカーという文脈において初めてのこと尽くしだった。遠征で負け越して帰ってくるのは初めてことだし、一晩で$15,000ドル以上負けたのも初めてだった。2週間近く毎日負け続けたのも初めてだったし、オールインEVと実収支がこれほど乖離したのも初めてのこと。短期間でこれほどのスイングの激しさ($10,000以上の下山×2、5,000ドル前後の下山×3)を経験したのも初めてだった。200時間打って収支がマイナスだったのは初めてではなかったが、専業ポーカープレイヤーを始めた最初の月以来のことだった。
初めての経験というのは往々にして大げさに見えるものだ。このあたりは精神的に少なくないダメージとなっていた気がする。

勝てない期間の長さも辛かった要因として挙げられるだろう。特定の期間で区切ることの無意味さは承知の上だが、お金を生むと思っていた活動が、4ヶ月半に渡って、無給どころか資産を減らす結果で終わったことは少なからぬショックだった。

よかったこと

今回の遠征中、常にAゲーム(※)を続けられていたかというそうではない。しかし基本的にBゲーム以上を続けられていたと思う。

Aゲーム(訳注:ポーカーに限らず、スポーツ等のスキルゲーム全般で、自分の能力を最大限に発揮出来ているようなプレイを続けている状態を「Aゲームをプレイしている」と表現することがよくある。それに対して、そこそこ平均的なゲームを「Bゲーム」、能力を十分に発揮出来ていない状態を「Cゲーム」などと呼ぶ。)をプレイ出来るかどうかは偶然に左右される。

ザ メンタル ゲーム ──ポーカーで必要なアクション、思考、感情を認識するためのスキル

これはかつての自分の経験が生きた。ほぼ毎日、ハンドレビューないし座学をすることで進歩感を作り出し、健康管理(食事・運動・睡眠)にも気をつけ、ポーカー以外の活動をすることで精神のバランスを取った。もっとついていなかったときのことを思い出して目の前の不運を相対化したりもしたし、迷惑だったとは思うが遠征仲間に感情を吐き出すこともした。

それらのおかげでティルトしてCゲームに陥ることはことはほぼなく損失を拡大させずに済んだと思う。
なんだかんだ自分の中に積み上げてきたものというのは裏切らないものだ。

反省点

人の感情の揺らぎは往々にして過度の期待から生まれる。例えば、「自分の方が努力してきていて相手より上手いはずだから勝ちが与えられてしかるべきだ」と考えている者は、その期待故に負けた時に苛つくのである。
あらゆるものへの期待を下げておくことが心穏やかに生きるコツだと思うが、それが行き過ぎてしまうことがあった。

アメリカ滞在の中盤あたりから、「自分は不運な人間であり、きっと今日も悪いことが起きるにに違いない」と思うようにしていた。そうすることで、クーラーやバッドビートを食らっても気落ちすることはないはずだと考えての策である。

しかし、この思い込みはまずいものだった。「今日も不運に見舞われるに違いない。」と思いながら過ごす毎日は想像以上に憂鬱でつまらないものだった。大きな精神的ショックを避けることはできるけれど、慢性的に不幸な気分に囚われる。そして不幸な気分は集中力を妨げAゲームを阻害するし、思考は後ろ向きになる。座学意欲も減退する。「テーブル上で考え抜くことにも座学することにも意味なんてない。どうせ何も考えていないラッキーなやつに負けるんだから。」そんな悪魔の囁きが頭の中をこだますることがあった。

得たもの

散々な気分を味わった今回の遠征だったがそこで得たものもある。

①これくらい負け続けることがあると知れたこと
シンプルだが、「これくらいの期間、勝てないことがある」と知れたのは一つ収穫だった。常に時給10bb/hを叩き出すような強者ならこんなことにはならないのかもしれないが、せいぜいポーカー好きの旅人程度の僕にはこのようなことが起こりうるのだろう。
今回の経験は、今後、負けが続くことがあった時にきっと心の支えになるだろう。

②思い込みの効果
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
正直に言うとこういった類の言説があまり好きではなかった。
僕が不可知論者よりの人間であることも影響しているとは思うが、そもそも生存者バイアスかかりまくりの思い込みだとしか思えないからだ。災害で命を落とした人はどうなるのか?虐待で亡くなった子供はどうなるのか?
辛い試練を乗り越えた人から発せられる、他意のない励ましの言葉だと理解はできるのだが、どうにも「いい加減な思い込みだよな」と思ってしまう。

でも、仮に根拠がなくても、困難な状況にある人の心を支えるのであれば、その思い込み、その言葉には大きな価値があるのではないか。今回の遠征を通してそのように思い始めた。

反省点の所でも書いたが、「自分は不運な人間であり、きっと今日も悪いことが起きるに違いない」という思い込みを持っていた僕は不幸な気分に囚われていた。
ヴィースバーデンでポーカーをしている途中から、その思い込みは止めた。代わりに、「自分ならやれる」、「明日はきっと良くなる」、そう自分に言い聞かせて思い込んでみることにした。
すると、それ以降の方が明らかに日々の幸福度が高く、精神状態が良いが故にパフォーマンスも上がった。
どうせ思い込みを持つならば自己効力感が上がる思い込みを持った方が良さそうである。信仰って、案外こういうところから始まったのかもなと夢想した。僕の場合、その位置に神様を置くことはないけれど。

悔しさ
ここのところ、ポーカーで負けて悔しいと思うことはほとんどなかった。短期的な結果に振り回されないことはプレイヤーとしての成長でありそれ自体は喜ばしいことなのだが、稼働や座学に向かう自分の中の原動力を一つ失ってしまった感覚があった。勝敗に執着し、一生懸命プレーしたり座学したりする、そんな日々はもう戻ってこないのかと思うと少し寂しかった。

しかし今回の遠征で久々に悔しいという思いをした。
果たして自分はやれることを全てやったのか、今はそんな感情が湧いてきている。


結び

しかし、よくもまぁこんなに長々と不幸自慢ができたものだ。自分で書いた文章を読み返しているが、まったく恥も外聞もないと呆れるばかりである。この世界にはもっと高いレートに挑戦し、もっと大きな負けを経験している人だっているのだ。振り返りという体で書き始めたが、その実「誰かに自分の話を聞いて欲しい」という感情が抑えきれなかっただけなのかもしれない。

とはいえ、思い返しながら書くという作業は僕にとってポジティブな結果を生んだ。
まず、今回の遠征の良い部分を思い出すことができた。
メルボルンでは数年来のランゲージエクスチェンジパートナーと初めて会えたし、シドニーでは世界遺産のブルーマウンテンをハイキングすることができた。アメリカでは藍園さんのLAPCメインイベントのロングランを応援できたし、バルセロナでは新たなスポーツ、パデルも始められた。リスボンではアーセナル vs スポルティング・リスボンの試合を観られたし、ヴィースバーデンでは素敵なカジノと出会うことができた。マジョルカ島ではスペインで最も美しいとされる村に行くこともできたし、サンセバスチャンでは久保建英選手の勇姿を見届け、美味しいピンチョスを食べまくった。正直、総評で言えば良い遠征だったと言わざるを得ない。

リスボン


ヴィースバーデンのカジノ


フォルナルッチ村


久保選手:レアル・ソシエダの試合


フォアグラのピンチョス@サンセバスチャン



何より「悔しい」という感覚を思い出せたのは大きな財産だ。負けるということに慣れてしまっていたが、すべきことをしないまま結果も出ないと後悔が残ることが分かった。天才ではないのだから、やるべきことはたくさんあるはずだ。

この投稿をもって、しばらくの間SNSとお酒をやめることにしようと思う。とりあえずは手近なところとしてそのあたりから始めてみたい。なんだかんだで、note更新のタイミングでSNSを開いてしまったり、飲みに誘われたらついていってしまう気もしているが、まぁその時はその時だ。


冒頭の引用のようにこの先まだまだ落ちるのかもしれないし、逆に良いことがおきるのかもしれない。そんなことは分からないし気にしても仕方がないことだ。
であるならば、素敵な思い出を胸にしまって、久々に抱いたこの「悔しい」という感情を糧に、今年の残りいっぱいポーカーに真剣に向き合っていこうと思う。


おまけ

戦利品①マグネット(だいぶ溜まってきた)
戦利品②ユニフォームと現地新聞

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