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学歴コンプレックスについて掘り下げ、その脱却法を探る


今日は学歴コンプレックスについて話していきたいなと思っています。
なぜ、学歴コンプレックスについて話そうと思ったかというと、私自身が19から27、8歳ぐらいまでずっと抱えてきた問題だからです。また、上場企業にお勤めの若手の方々のうちの 4 割から 5 割が学歴コンプレックスを抱えていることを示す統計もあるので、これについて語ることは声なき声を代表している側面がある気がしています。


そもそも、学歴コンプレックスってすごく定義が曖昧で色々な文脈で語られるわけですよね。
それだけ、学歴コンプレックスを持っている方が、世の中に色々な形で、一杯いると思うのです。例えば、勉強をしなかったから希望のところに行けなかった方とか、勉強したのに希望のところに行けなかった方とか、そもそも勉強する機会に恵まれず進学できなかった方とか、あるいはそこまでコンプレックスを抱える必要がないような高学歴をお持ちなのにも関わらず、学歴コンプレックスを抱えている方も、いらっしゃいますよね。つまり、学歴コンプレックスとは、捉え方の問題、かなり主観が関わるということが言えるわけです。


今回の主題は、「目一杯勉強したにもかかわらず希望の大学に行けなかった人」に対象を絞ろうと思います。

ちなみに、私は大学時代を、慶應義塾大学で過ごしました。私の学歴は、もしかしたら客観的に高学歴の部類に入るかもしれません。ただ、大学時代、私は全然、晴れた気持ちで学校に通えなかったわけです。
なぜならば、進学校の高校に通っていた私にとって、大学受験は、「私だけが落ちた」という気持ちと「得意なことで上には上がいて足元にも及ばない」と身をもって体感する苦い経験だったからです。高校3年生の時、部活のみんなで東大を受けました。私は模試の結果も絶望するほど悪いわけではありませんでしたが、蓋を開けてみたら結果私だけ落ちたのです。そのあと、浪人してもまた落ちるわけです。そこで一回絶望しました。

その絶望は、曇ったガラスのように、なかなか拭えないのです。
そもそも、受験勉強で失敗するのなんて、結局全部私が悪いわけですよね。だって、やり方決まっているわけですから。そうなのだけれども、どうしてもそこには吹っ切れない思いがあるわけです。「どうして自分だけ」と。合格していった人もいる中で自分は何が劣っていたのだろうかと。それが常に自分の中で引っかかっているわけですね。もしかしたら、自分に何か欠陥があるのかなと不安になってみたり、あるいは、合格していった人たちを見返そうとして、何かに躍起になってみたり、そういう、渇いた20代を過ごしてきました。


今の私の中には全然そういうコンプレックスはありません。振り返ってみて、そこから脱却する過程で、色々な運もあり、人の出会いもあり、たくさんの失敗もあり、応援してくれる人もいたり、色々な偶然が重なったから、考え方を変えることができ、学歴コンプレックスが脱却できていると思うのです。


ただ、世の中には学歴コンプレックスを脱却できていない人が一杯いるとも思います。だから、私の脱却プロセスが、部分的にでも何らかの再現性があるのではないか、と思ってこのコンテンツを執筆するに至りました。
現代の精神病と言われる学歴コンプレックスに悩んでいる方、「やりたいことが見つからない」と悩んでいる方、「自分に自信が持てない」と悩んでいる方、皆様にとって有益な情報となるようにコンプレックスの正体をできるだけ掘り下げ、それを脱却するための行動の指針となるコンテンツに仕上げました。

多数ある世の中の学歴コンプレックスに対する考察は、それを抱えている者の視点に立って書かれていないように思います。学歴コンプレックスは、その人の生き方に関わるずっとずっと根の深い問題です。その負の感情を、本書はできるだけ体系化することを心がけています。少しでも、学歴コンプレックスに精神を削られずに悩める若者が前向きに生きるきっかけになる考え方を提供できれば、と願っています。


学歴コンプレックスの正体とその脱却法

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