追悼 イェルク・デムス氏 (1)
イェルク・デームス(Jörg Demus, 1928年12月2日 - 2019年4月16日)は、 オーストリアのピアニスト。日本では、パウル・バドゥラ=スコダとフリードリヒ・グルダとともに「ウィーン三羽烏」と呼ばれる。ザンクト・ ペルテン出身。(Wikipediaより。冒頭写真も)
今日12月2日は、クラシックピアノ界のレジェンドが生まれた日である。
昨年春の訃報には、正直ショックを受けた。
演奏の気魄、デムス氏本人が放つ矍鑠(かくしゃく)たる生命力からは、とても逝去の気配は感じられなかった。リサイタルのたびにドイツと日本を一人で往復し、重厚なプログラムを惜しげなく聴かせてくれた。
ベートーヴェン、バッハ、モーツァルト、シューマン、シューベルト、ブラームス、ドビュッシーなどを得意とし、名演の録音はLP時代から数多くのこしている。
複雑なフーガでも、いつだってさらりと弾ける超人だったが「暗譜をするのは、頭をしっかりつかって自分の健康を維持するため」だと聞いた憶えがうっすら残っている(この時点でデムス氏の記憶力に私が及ばないのは明らか)。
歌曲についても、ものすごく造詣が深かった。作品や作曲家について一旦口を開けば、あたかも同時代を生きてきた音楽や文学の同志との思い出話のように滔々と、ありありと語られた。演奏者の立場から歴史を紐解き、また作品の演奏に反映できるようにという後進若手への配慮にあふれた名演説の数々だった。
歴史に名を馳せたたくさんの音楽家たちがすむ世界に旅立たれて1年少しが経ったが、今頃は彼らとともに更なる音楽談義や共演を重ねているのかもしれない。
名演奏がなんたるかを教えてくれた氏を想いつつ、5年ほど前に開かれたピアノ・リサイタルを振り返ってみる。
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イェルク・デムス リサイタル
2015年3月27日(金)
於/芦屋 山村サロン
以下、関西音楽新聞2015年5月号「見聞録」掲載記事 書き起こし:
“ウィーンピアノの伝承者 音律に生命吹き込む” イェルク・デムス リサイタル
14歳でウィーン楽友協会のコンサートでデビューして以来、70年以上も現役ピアニストとして活躍しているイェルク・デムス。日本では「ウィーン三羽烏」の一人として知られ、歴代の芸術家との交流や数々の功績については今さら列記する必要もないだろう。
この日の円熟の音世界はウィーンの純粋な伝統をたたえ、ピアニスト自身の厳格で繊細、それでいてチャーミングな人となりをそのまま映し出していた。呼吸にも似た自然な音楽的発露は、得もいわれぬ光彩に縁どられ、朝の森林浴のような清々しい余韻をいつまでも残してくれた。
はじまりの拍手を拍手を制するように、バッハ《パルティータ》第6番トッカータのアルペジオが奏でられると、一瞬にして場が調った。同じ調性によって書かれた組曲は、ともすれば冗長になりがちだが、デムスは手なりの作法のように軽々とすべての声部を弾き分ける。和声進行と旋律の躍動に生命を吹き込む役割に徹することで、バッハが意図した緊張と安らぎの妙を紡ぎ出していた。
続くベートーヴェンのピアノ・ソナタ《ワルトシュタイン》は、意気揚々たる中期作品群の傑作の一つである。デムス本人の、少年のような感性と探究心が最も端的に顕れるレパートリーなのかもしれない。深い洞察とほとばしる情熱に裏打ちされた明朗な演奏だった。
自作品のソナチネ「私の好きな日本の生徒のために」は、それまでの堅牢なドイツの空気とは一転。全ての音符に指遣いを書き込み、カデンツが一つでも終止しなければ間髪入れず雷が落ちるレッスン(私も何度か一触即発の現場を目撃したことがあるが)で有名なデムスだが、そうでない時は冗談の尽きない、人一倍人懐こいキャラクターの持ち主でもある。繊細にして諧謔的、孤高にして稚気あふれる楽曲の雰囲気は、まさにデムス本人そのまま。人生と音楽の師範からの心に染み入る応援歌のように響いた。
ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタ作品111は、まさにデムスの真骨頂だった。おそらくこのソナタを、デムスは長い演奏キャリアのなかで幾度となく弾き続けてきたに違いない。その軌跡の確かさと作品への畏敬の念の深さに、聴くもの皆が心奪われていた。2楽章が進むにつれ、音楽は次第に小節線から解き放たれていき、シンプルなハ長調にすべては集約され、時間芸術はやがて時間の無い原初の世界へと還っていく。その神秘の変容を目の当たりにし、気づけば自分自身の心も解き放たれていたのだった。
偉業を成し遂げたマイスターは、終演後何事もなかったかのように観客の一人一人と談笑していた。米寿少し手前の巨匠のバイタリティのすごさにも驚かされつつ、ピアノ芸術の神髄のお裾分けをいただけたことに深く感謝あるのみだった。(取材・文責 渡里拓也)
→「追悼 イェルク・デムス氏(2)」につづく
https://note.com/t_watapy/n/n94e94794e222
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