この世界に揺るがないものなんてあったかしら
ようやく起き上がって普通の生活ができるようになった年度はじめ。
こんなに体調悪いとか聞いてないし未経験すぎる。
24年生きてるとまだまだ経験してないことたくさんあるねえ。
これも経験経験、と思っておく。
会社を休職→退職したということと、年度末の体調不良が重なり、仕事をしない時間が思ったよりも長い。
健康でいて、外を出歩けて、多少無理ができる体力があるということがどれだけ幸せなことか、と今とても感じている。
車を運転できるのも幸せである、ありがたい。
ちょっとずつ社会復帰したのに合わせて、思ったことがある。
まだわたしはもやもやの「気持ちいい」アウトプットができずにいるということ。
んん?なんかそれって違うんじゃない?と思った時、何も言えずに黙り込んでしまう。頭の中でいろんなことを考えているからだ。
まず、その言葉はその人なりに考えた結果であること。
そして少なからずその人がやりたいことであったり、正しいと思ってることであったりと、その人の正義が含まれているということ。
それを前提にしたとしてもなんだかもやもやするのは、おそらく自分のやり方や常識との違いなんだと思う。
今回それを感じたその人は、自分で仕事を作り出せる人。
自分が上に立って全体を見回して指示することで、仕事を進めていく役割に立ちたい人。
でもわたしは割と手を動かしたい人。
なんのためにこの作業をして、どんな人に届けたいのか。いつまでにそれをやればこれがうまく進んで、全体がグッと進んでいくのかをわかった上で自分のやるべき作業をしていたい人。
そういうわけで、わたしはとにかく手を動かしてみないことには始まらないし、それを経験した上で全体に指示を出せるディレクションみたいなことをするんだと思ってる。し、それが正しいと思ってる。
何言ってもこれは「わたしの」正義でしかない。
正義というのはひとつのように見えてひとつではない。人の数だけある。
常識というのも同じだ。
わたしは相手の0から10までの行動と経験を見てきているわけではないので、全部はわからない。その相手もいつかどこかで苦くてつらい経験をしてきているのかもしれない。
そういう意味で、真実はひとつではない、ということも言えるのかもしれない。(コナンくんごめん)
正義。常識。真実。
どれも揺るがないものとして知られてるけど、全然そんなことないじゃん、とわたしは感じてる。
そうだったそうだった、
わたしが20代前半で得たこんな大事な知見を危うく忘れるところだった。
新年度も気を引き締めて。
まずは心身の健康から。
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