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去年の自分に感謝する3月

ちょうど、茨城に帰ってきたのは去年の今頃だったなあ。

それを思ってこの1年を振り返ると胸がきゅんとして大抵いてもたってもいられなくなって感謝のLINEを唐突に送りそうになる、または泣きそうになる。
嬉しい・感謝・楽しい・好きが混ざったなんとも言えない気持ち!

世の中の大部分の人がきっとこれを「感慨深い」と表現するんだろうけど、それじゃ全然足りっこないのです。


出会ったたくさんの人の中からわたしはどうしてこの人の手を選べたのだろう?その人たちとの関係がわたしにとって気持ちの良いものだということをわたしは知っていたからだろうか?

答えがないようなそんな問いについて、割と真面目に考えることもあるのは、この暖かい空気と春の匂いのせいにしてしまいます!


いずれにせよこの1年を振り返って自分を自分で褒めてあげたい気持ちになっている、珍しく

なぜかというと理由はこれ。
数えきれないほどの出会いをひとつずつゆるりと見極めて紡ぐことで、わたしにとって居心地の良い環境を未来の自分に用意してくれていたこと。

特に意識したわけではないけれど、無意識のうちに何か感じ取っていたのかもしれないなと思うんですよね、今思い返せば。


そして、今後のことについて何かと悩みがちなこの時期でも、人の温かさをふとした時に感じてます、ありがたいいい

温かさ、をもっと砕くと、はっとした時に出る隣人愛みたいなものです

いつも「さきちゃんこれあげるよ」ってお菓子くれることとか
遠出するといつもお土産買ってきてくれることとか
長らく家を空けていると部屋の机に貼ってある「おかえり」の付箋とか
特にこれといったこと話してないけど続くLINEとか
食べたもの見た景色の写真を送ってくれるLINEとか
わたしと話したりあそんだり出かけたりすることに割く時間とか

そういうのぜんぶ、結局は愛がないとできないとおもいます

そして、人と人との距離は大きくなったけど、その分できる愛の表し方も増えた気がしてます


男女の間だけじゃなくて、友達同士、職場の同僚同士、先輩後輩同士、親子同士、そのほかいろんな関係があると思うけど、それぞれ温かさとか愛とか感じられる瞬間てたくさんあるんだなあと、しみじみおもいます


ただ、必死に働いてると、勉強してると、就活してると、部活やってると、その感度が下がってしまう

だからどんどん何かが足りなくなって、いつも温かさをくれている人に当たってしまったり、もやもやしてしまったり、しまいには自分のこと否定し始める(わたし)


常に感度を上げた状態でいるのは正直難しい。無理。

それでも、もやもやしてしまった時に、その人の笑顔を思い出すことならできそうです。ありがとうって電話することももしかしたらできるかも。

そうやって、ちゃんと他の人からの隣人愛を感じて感謝するだけでもなんか満たされる気がするな〜心をすり減らしすぎず自分のしあわせ時間を自分で増やしていきたいなあ


そんなことを考えられるようになった自分進歩だし、その気づきを与えてくれた今のつながりには本当に、感謝してもしきれないのです

春だから、春から、ほっこりしていきましょう🌸





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