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noteのおすすめ記事に選ばれたことを母に報告してみた。
先日投稿しました「私の料理が美味しくなるまで」について、当事者である母に、たくさんの方に読んでいただいたようだ、と報告しました。
「えっ!? 何書いたん!!」
と、話し始めた最初はよくある「あんたまたいらんことして!」的なニュアンスで責められかけましたが(これでも私はもうそこそこええ歳なんですが……)、私が昔は自分の料理が美味しくなかったことを知っている母でしたので、美味しくなったきっかけについてざっくり説明したところ、ふんふんと聞いて、
「ふーん。そお」
という相槌を打ってくれました。
以上。
……以上、なんです。
そういうドライな人なんです。
本心はどう思っているかわからないし、意外と照れ屋で本当のことを言うことは多分ないと思うので、ここからは想像です。
母は母で、自分の料理が美味しいとは思わない人です。
何故なら、自分が味付けしたので味がわかるから。味の予想がつくから別に美味しいとは思わないというのですね。
その理由には多分長く果てしない道のりと個人的な事情も含むので割愛しますが、母にとって、日常というより業務の一部になったのが料理なのだと思います。
いつも一生懸命に私たち(私には妹がいます)に料理を作って食べさせてくれた。
凝ったものもあったし手抜きもあった。
美味しいものがあり、そうでないものも時々あった。
気分じゃない、食べたくないと残してしまったことも山ほどあった。
それでも毎日ご飯を作ってくれる。
忍耐強さや責任感という言葉では推し量れないそれを何と呼ぶんでしょう。多分愛情だけだなんて生易しいものじゃない。見えない何かと戦っているようでもあったと思います。
荒川弘先生の『銀の匙』3巻。
良い味覚をしているという主人公・八軒が「なんでですかね? 遺伝か何か?」と話すと、同級生・御影のおじいさんがこんな風に返します。
「君らが子供の頃から
親がちゃんとしたもの
食べさせてくれてたんだべ」
「美味しい」感覚は育ててくれた人がくれる、最初で、最も大きなプレゼントなのでしょう。
母の戦いの結末は、わかりません。
ただ、私が作ったカレーを「美味しい」と食べているのだから、悪い戦いではなかったのだと、思います。
今日の進捗。
・サイト更新(なろう・カクヨム含む)
・書き物作業(2h)
・note更新。
・インスタ更新。
今日嬉しかったこと。
・アイスクリーム美味しい。
・まだ二日目だけど毎日更新できていてえらい。
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