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私の料理が美味しくなるまで

パックから取り出した鶏もも肉を一度流水で洗い流し、水気を切る。
肉を適当な大きさにぶつ切りし、二重にしたビニール袋の中に放り込むと、塩、胡椒、中華スープのもと、醤油、酒を入れる。時々これにガーリックパウダーや生姜を入れるけれど、匂いがきつくなるので今回は省略。明日も仕事だから。

袋の口を縛って、もみもみする。袋越しに冷たくて柔い肉の感触がある。冷蔵庫から出したてのお肉は冷たいけれど、きちんと外に出して解凍したものはふかふかという感じがする。

一通り調味料が行き渡ったと思ったら、冷蔵庫に入れて三時間から半日漬け置く。

十分漬け置いた鶏肉をボウルに開け、小麦粉と片栗粉をまぶす。
小麦粉が気持ち多め。肉が真っ白になるまで粉をつけてよし。

これを熱した油で焼き色がつくまで揚げ、一度取り出し、しばらく冷ましてから二度揚げする。

香ばしい塩風味唐揚げの出来上がりである。

……そんな風にして料理が好きだと気付いたのは、恥ずかしながら大学卒業後のことでした。
台所に立つ気も回らない娘ではありましたが、休日にする料理が「もしかして楽しい?」と思ったときには、わりといろんなものを作れるようになっていた気がします。

ただ、自分の作ったものを「美味しい」と思ったことがなかった。

食べた家族は「美味しいよ」と言ってくれるのですが、果たしてそれが本当のことなのかわからなかった。
自信がないわけでなく、これは本当に美味しいと呼べる味なのか?
作る人の好みですよ、と教えてもらいはしたものの、自分の好みもわからない。
「私の好きな味」って、なんだろう?

少なくとも給食ではなかった。みんなが続々とおかわりするのを、不思議に思いながら眺めていました。
ファストフードを引き換えにすれば大体言うことを聞く子だったらしいけれど、あれはお菓子のようなものなので別物だと思う。
外食は好き。でも「私の好きな味」かと考えると何か違う。


いつかの昼、家族みんながまったり過ごす休日のこと。
妹が「おにぎりが食べたい」と言い始めました。
やれやれと思いつつも、姉馬鹿なので、ボウルに炊きたての白米を冷ましながら、ぎゅっぎゅっと握りました。
お皿に並べたそれを出して、食べた妹があははっと笑ったのです。
「お母さんのおにぎりと全然違うね」と。

母に比べて私は手が大きいのです。
その手で力を込めるので、飯粒がぎゅっと詰まって、硬くなってしまっていました。
塩気も強すぎるのと弱すぎるのとばらつきが出ていました。

母のおにぎり。
母の作った、小さな、俵形と三角のおにぎり。

しっかり握られているのに、口に含むとふわっと飯粒がほどけるおにぎり。
塩気もほどよく、塩気とお米の甘さのバランスがよくて、ふとしたときに「食べたいな」と思わせる、あのおにぎり。
何も食べる気が起きないとき、食事を遠ざけて一人転がっていると、母が「おにぎりあるよ」と作り置いてくれた、おにぎり。
それを食べながら、この世の理不尽やままならなさに泣いた記憶は、数知れず。

あのおにぎりを作ってみたい。
そう思ったときに気付きました。

給食が好きでないのは家で食べるご飯の方が美味しいから。
ファストフードも外食も、たまに食べるから好きだと思うのであって、母が作るフライドポテトもみんなで作る手巻き寿司も大好きだった。
でもたまにいまいちな料理が出てきて「何にしようか考えてたら中途半端になっちゃった」って言われるんだよなあ。

「私の好きな味」、それは母の作ったものの味。

それがきっかけになったかどうかはわからないけれど。

カレーや唐揚げ、うどんのだしにいたるまで。
母の味を思いながら「これはこの味の方が好きだな」「塩少なめの方が美味しいよな」と調整をするようになりました。
そういう試行錯誤の中で「まずい、美味しくない」ものが出来上がったこともあります。

多分、自分の作る「美味しいもの」と「美味しくないもの」の味を知ったからでしょう。気付けば、自分の料理が美味しいかどうか判別できないという症状はなくなっていました。


塩は少なめに。まんべんなく。
自分の手よりも小さくなるようにご飯を掴んで。
ぎゅっと握らず、表面だけに力を込めるように。

母の味を意識して作ったおにぎりを食べた妹は「だいぶ近くなってきたよね」と笑います。
それでも、私は未だ「母のおにぎり」以上に美味しいおにぎりを作れたことがありません。


今日の進捗。
・書き物作業(2h)
・サイト関連作業(0.5h)
・note更新。
・インスタ更新。

今日嬉しかったこと。
・予定があるっていいもんだ。
・お昼に作ったごろごろ野菜のにゅうめんが美味しかった。

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