とある読書を通じて

人間というのは不思議な生き物で、ちょっと冷静になって考えてみると理解しがたいことをしたりする。極端な例を挙げると、我々人類のうち一部の人間は、お互いを効率的に殺害する道具の開発に余念がない。

他にも、予測できて当然の問題に対して「臭い物に蓋をする」態度をとったりする。

そういった失敗例が多数紹介されている本を読んだ。「メガトン級「大失敗」の世界史 (河出文庫)」である。
このなかに、イースター島の文明が滅んだ経緯が紹介されている。要するに我々の祖先は「資源は有限であり、増やすための方策をとらずに採取し続けると無くなる」という事実から目を背け続けたために、我が身を滅ぼしたのである。

愚かなことよ、と一笑に付すことは簡単だ。昔の人間は無知だった!
勘のいいひとならお気づきだろうが、戦後史を振り返れば、我々は同じようなことをしている。

例えば福祉年金。年金を収めていなかった老人たちが、毎月お金をもらえた。支給日になると金融機関の開店前から何人かの熱心な老人が並んだという。
この制度の成り立ちは実に素晴らしい。年金制度が整備された1961年にすでに高齢で、受給資格を満たすことができなかった高齢者の救済、というのが目的だった。素晴らしいことだ。ただちょっと考えが足りていなかったのではないだろうか?
想像するに、当時の考えはこんなものだった。「老人の数は働き手の数に比べてすごく少ないから、お金には余裕がある。それに、これから子供がどんどん生まれるから収め手には困らない」では、その働き手や子供が高齢になったときにはどうなっているだろう? まさか人口が右肩上がりであり続ける保証はない。なんせ、国土には限りがある。
この話はここらにしよう。

他にも、こんなことがある。我々は今日、石油なしでは生きていけないようになっている。ほとんどあらゆる便利なものの背後には石油がある。
この石油というものは、植物とか藻が地層のサンドイッチで長年かけて押しつぶされることによってできるらしい。つまり、石油を作ろうと言ってもよし来た、というわけにはいかないのだ。
石油の可採量については諸説あり、誰にも正解は分からないだろうが、少なくともこのことは言える。つまり、我々は限りある資源をかなり気前よく消費しているということだ。いみじくもヴォネガットが言ったように「依存症」と言っても過言ではない。

あとは花粉症。有名すぎる話だが、戦後さかんに杉を植林したのがこの問題の発端だった。今その杉がどんなふうに役立っているか、皆さんご存じの通り。
もっともこれには明るい面もあって、製薬会社に少なからぬ利益をもたらしているはずだ。

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