イエローモンキー

街頭調査で「イエローモンキーとは何ですか」という質問をしたところ、以下のような結果になった。

吉井和哉氏がボーカルをしているバンド:32%
日本人の蔑称:43%
分からないorその他:25%

……というのは嘘だが、実際のところどんな数字が出るか気になる。

ということで、話は蔑称としてのイエローモンキーから始まります。

〇明治維新後、日本は欧米に追い付け追い越せで頑張り、東アジアに対しては優越的立場をとるというスタンスだった、と思う。
これを外国人からみると、同じような顔をしたサルの中で1匹だけ、自分は人間だと思い込み、他のサルにえばっているように見えた。それで「イエローモンキー」と呼ばれたりしたわけだ。

〇この言葉、残酷なユーモアがあって言いえて妙だと思ってしまう(国粋主義者諸賢へ――どうか火炎瓶を投げつけないようお願いします)。それどころか、今でも「イエローモンキーっぽさ」を感じることがある。

〇例えばフェミニスト(?)の人が「欧米ではこうだ」とか「街中で見かけたヨーロッパ人がレディファーストをしていて素晴らしかった。日本の男は見習え」とかSNSで投稿しているのを見かける。
きっとその人にとっては欧米人は見習うべき存在で、その人のなかで欧米人が理想化されているのだろうな、と思う。この種の言説でアジア人を称賛するものは見たことがない(フェミニストの方へ――SNSで炎上させたりするのはご勘弁ください)。

〇また、例えばLGBTQの問題。
今、えらい人たちが性の多様性についてあれこれやっている。私のようなひねくれものは、「性の多様性を認める先進的な自分たち」が欲しいだけだろうと思っているのだが、もう一つ「欧米では性の多様性が認められているから」という欧米崇拝もある。結局は白人様の猿真似じゃないか。

〇先日「多様性を認めなければ国の活力が失われる。我々は、どの政党よりも多様性や多文化共生に取り組んでいる」と優等生的意見のような発言した議員がいる(こういう、具体性のないうえに反論されにくいことが予め分かっている発言ってどうなのかと思う。安全なところから石を投げているみたいで卑怯だ)。
では多様性を認めている国に活力が実際にあるのだろうか? というか、日本に活力がないとして、それは多様性を認めていないことだけに原因を求めていいものなのか?(この馬鹿な発言をした方へ――活力のある国をちゃんと研究したらどうですか?)

〇日本に活力がないとしたら、その原因は金がないからであり、将来への不安に満ち満ちているからであり、将来を担う存在への投資がちゃんと行われていないからである。
中国はウミガメ政策で科学技術を急速に発展させた。そして今、中国人が日本の企業を買い付けに来ている。メディアの取材に対して、ひとりの中国人が「日本は安い」と答えていた。

〇猿真似をするのはいい。うまくいっている国のやっていることを、上手に取り入れるのは利口な方策だ。ただ猿真似をする相手をちゃんと選ぶ必要があるんじゃないでしょうか?


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