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京都の魔法 雨の日

二条城に行った日も、朝から雨が降っていた。

大阪府の京都寄りの端っこに住んでいて、京阪電車で数駅行けば京都府だから、おでかけは京都になりがちで、どういうわけか、おでかけの日に雨が降りがち。

でも、京都にかんして言えば、はっきり言って雨のほうが良い。京都の雨は瞑想的で、体の奥まで潤してくれる気がするから。

京都の町。それ自体が寺のようなもので、傘をさして自分の世界に入り込めば、深海にいるような精神状態が訪れる。

倉敷の古書店「蟲文庫」で買った古本、宮本常一(民俗学者)の「私の日本地図 14 京都」をひらく。この本は、昭和50年の初版発行。今からだいたい半世紀前の本ということになるのだけど、宮本の小さな頃の思い出なんかが随所に挟まれていて、約百年前の京都の雰囲気も伝わってくる。

宮本は「もともと京都は無防備に近い都市であった。そして武士である足利氏がここに幕府をひらいた時も足利氏は特別の防衛設備はつくらなかった。日本の首都にはそういうものは必要ないと考えられたのであろう。」と書いている。

織田信長も、尾張から入京してきたが京都に城は作らなかった、秀吉も京都に聚楽第は作っても城は作らなかった、城は伏見に桃山城を建てた、と。

はあ、そう言われてみればそうかあ。と思う。京都のイメージは今でも、東山らへんの、みやびで、はんなりしていて、いけずな感じ。いかつい城は、似合わない気がする。

ところが徳川家康はそんな京都に慶長八年、二条城を建てた。幕末、十四代将軍徳川家茂が二条城に来て長州征伐の指揮をとり、戦争の半ばに、この城で死んだ。十五代将軍徳川慶喜は、慶応三年に二条城で大政奉還を上表して武家政治の終止符を打った。

宮本は、「昔からこの町に住んでいる人たちの中には二条城はなお近づき難いものがあるということを話してくれた人がある。京都市民は武家文化に対しては容易になじめないものを持っていたようである」と書いている。

ふーん。

私は小学生の時には埼玉に住んでいたので修学旅行は日光東照宮で、そのド派手建築が徳川家のイメージだったのだが、東京の高校の修学旅行で二条城を訪れた時には、えらくしぶい城だな、徳川も京都では控えめにしたんだなと思った。

それでも京都の人には、城という存在自体にめっちゃ違和感があったのかもしれない。

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雨なので、職員の人が靴を入れるビニールぶくろをくれる。傘は鍵つきの傘立てに。

中に入るといきなり虎の襖絵。背景はすべて金色。
あ。やっぱり中は派手じゃんか。
日光ほどではないにしても。
私が地方の大名で、この部屋に案内されたら、落ち着かなさすぎてうろうろしてしまいそうだ。
竹、梅、松の巨大な襖絵。

部屋が広い。
さすが徳川。
がらんとしている。
大政奉還が上表された部屋に等身大の武士人形たちが置いてある。
一段高いところに将軍の人形、そのバックに金背景の松が一本。
すっきりした絵。
将軍が座って、松と一緒になったところで、一つの絵が完成している。
諸大名たち(の等身大人形)は、座って、浅く腰を下り、両手をグーにして床について控えている。

大政奉還なんて重大なこと、なんで江戸城で発表しなかったのかな。
というか、天皇に政治を返すのなら、自分が朝廷に行ってお返しするものなんじゃないかな。
といった素朴な疑問は、家に帰ってからゆっくり調べることにする。

天井が天平風というか皇室趣味。
ところどころ修復できていない。
二条城は京都市の管理と聞く。お金が潤沢には使えないのかもしれない。
きゅ、きゅ、と鳴る廊下を歩く足がつめたい。

城は、要塞であり、家であり、政治の場だ。
多目的すぎるし、一つ一つの目的が大きすぎる。
私が将軍なら、城の横に狭いひみつの小屋が欲しい。

大政奉還しても、着物や建物は江戸時代のままで良かった気がする。
足がつめたいけど、ヒートテックや床暖房で、寒さはなんとかなった気がする。
良い具合に腹の出た年配の男性には袴の方が似合うし、年増の女は着物の方が綺麗に見える。

などと思いながら、すこし歩いて、神泉苑の一角にある香雲亭で庭を見ながら、料亭から運ばれてきたお食事をいただく(予約制)。
雨の庭園もまた風情。

インドのお弁当入れのような丸いお重(取手付き)に京料理が入っている。
湯葉の一人なべ。
湯葉の揚げたのが最高に好きだ。

料亭の若い料理人が3名。お運びの年配女性2名。
料理人は3人とも長めの坊主頭、眉毛を剃って整え、メガネでおしゃれをしている。

すでにこの春限定イベントは14回目らしく、料理人の話も流暢。
こういう時、文化財を管理している人間として、アテンド側の気持ちになる。

終わって少し散策し、梅林へ向かう。
雨の中、白梅、紅梅、枝垂れ梅が咲いている。
人がいないのでここは隠れた梅の名所だ。
ライトアップの装置などもなく、雨によって幽玄さを醸し出している。

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二条城を出て、傘をさし、二条小屋という名のコーヒースタンドに行ってみる。
住宅街の駐車場の一角にある、文字通りの小屋。

小屋の周りだけ植物が茂っている。

小屋の入り口は木に昔のガラスを嵌めたドア。
傘を畳んで中に入ると、女性のお客さん1人と、奥に落ち着いた感じの男女。
カウンターで立ち飲み形式。

プラスチックのドリッパーが20個くらいぶら下がっている。
真鍮の板に、今日提供できるコーヒー豆の原産国を書いた小さい板が乗っていて、浅い、深いのチャート図のようになっているのでわかりやすい。

私は浅めのメキシコを注文。亡き父が仕事でよく行っていた気がするのでなんとなく。
アフリカ帰りの連れはエチオピアを注文。
店主が豆をそれぞれ透明のコップにじゃ、じゃ、と入れて、順番に機械でがーっ、ガーッと引いて、ドリッパーに紙を敷いて粉になった豆を入れる。
メキシコはスタンドみたいなものにかけて、高めの位置からカップに落ちるようにセット。
エチオピアは、カップの上に直接ドリッパー。

見事に無駄のない動き。勿体ぶってない。すばやい。
ドリッパーは全部同じに見えるけどもしかしたら微妙に大きさとか穴の数とか違ったりするのかもしれない。

店主がカップをソーサーの上にのせ、からのまま、両手で2客を持って、窓ぎわにある二口ガスコンロの上に直接置いて、2秒ぐらい火をつけて消す。
あっためているのか。直火で。

また両手で2客を持ってきて、カウンターの私達の目の前に置き、ドリッパーを置いてお湯を真ん中に注ぐ。
エチオピアの粉がみるみるふくらむ。
びっくりするくらいふくらむ。
そのふくらみ方のビジュアルと同じふくらみ方でコーヒーの香りもほわーとひろがる。
救済感がすごい。(雨と寒さからの)
メキシコもだいぶふくらんだが、エチオピアのふくらみ方にはおよばない。
アフリカの勝ち。(勝ち負けではないが)

デッドストックの工業製品ぽいカップに、枡酒のように縁ギリギリまで並々とコーヒーが注がれる。ここでもまた、勿体ぶってない。

甘いお菓子なしで、スーッと飲めた。美味しかった。

飲み終えたところで店を出る。
二人合わせて千円。滞在時間10分ほど。
なのにトリップ感がすごい。
将軍がひみつりに過ごす小屋にふさわしい「二条小屋」は、大政奉還をした部屋から、武士なら走って2分くらいのところにあるが、真剣に探さないと、絶対に見つからない。道に面していないから。

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歴史的な建物があちこちにある京都。出来事の構成要素「いつ」「どこで」のうち、「いつ」さえ動かせば、歴史的出来事に立ち会える。

二条城と二条小屋は、すぐ近くに存在している。時間軸さえ動かせば、将軍が二条小屋にコーヒーを飲みにくることができる。

将軍が、大政奉還を発表したあと、ここに来てコーヒーを飲み、一服している。そんな幻視ができるのも、雨の京都が発動する魔法のおかげ。






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