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墨の匂い幸福論

 私の仕事は神社神職なので、祝詞、おふだ、朱印など、筆文字で書くのがデフォルト。

毎朝、墨をするたびに、四角い墨を鼻に近づけて、墨のいい匂いを嗅ぐ。

いそぎの時は墨汁を墨池に出して書くけれども、墨汁は、かんじんの墨の匂いがしないので気持ちが乗らない。あるいは高級な墨汁を使えばいい匂いがするのかも知らんが、使ったことがないのでわからない。

去年亡くなった姑の本棚を整理しているとき、和の文具や紙やお香などを商う「鳩居堂きゅうきょどう」が監修した、日本のしきたりについての本があった。ぱらぱらめくっていると、あっさりと衝撃的なことが書いてあった。

墨はすすに膠(にかわ)と香料(龍脳りゅうのう)を加えて練り上げ、木型に入れて成形し、乾燥させて作ります。

「九鳩堂の日本のしきたり豆知識」より

ええええ。墨の匂いは香料だったのか。
知らんかった。
てっきり墨そのものの匂いかと思ってた。

生まれて初めて聞いた「龍脳」について少し調べる。

〇龍脳樹という木からしみ出した樹液が結晶化したもの。
〇龍脳樹は、ボルネオ島、スマトラ島、マレー半島などに分布するフタバガキ科の常緑大高木。最大65メートルから75メートルになる。
〇龍脳は香水に使われ、金以上の価値があった時代には、アラブの交易商がボルネオ島に押し寄せた。

ということがわかった。

わざわざ東南アジアの島で採れる樹液の結晶を、墨に練り込んでいるのか‥。
遠くの島からきて日本の煤に練り込まれて、毎朝、私のところでいい匂いを発してくれている龍脳の旅を思うと、なぜか海の匂いさえ感じるから不思議。

アラブの交易商も押し寄せるのも、わかる………。

ますます朝の墨すり時間が豊かになってしまった。

* * *

思い込みが覆されるとき、人は快感を覚える。
こういうことは、人の本棚を整理している時(あんまりないけど)や、書店をぶらぶらしている時、あるいは旅先でふらっと立ち寄る資料館や古書店などで唐突に起きる。偶然性が高いから、神の采配を感じる。

私が日々、「タイパ」とは正反対の動きをするのは、神の采配が入る余地をじゅうぶんに確保するためなのかもしれない。無駄な動きが多い、とか、ふらふらしている、とか思われがちの人々も、実は神の采配ゾーンを行き来しているのかもしれない。

* * *

思い込みを覆されるという快感には「時の積み重ね」が必要。長いあいだ、墨の匂いだ、と思って毎朝墨をすっていたという時の積み重ねがあってこその、「ええええ」がある。

「時間」は、生成AIが生成できないもののひとつ。
自分だけの「思い込み」も、個人的な「思い出」も、時間という要素が入るから、生成がむずかしいのではないか。

あとは、その家だけの「言葉」とか「へんな習慣」も、生成できなさそう。

生成AIが生成できなさそうなものについて考える。

「時間の積み重ね」によって味わえる幸福を追求する。
それが、墨の匂い幸福論。











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