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【試し読み】発売中『結び目』より湊人の一節

 朝の授業前。机上に乗った成績表を見て、湊人は一人、絶句していた。

 〈志望校判定〉と印刷された紙に書かれた値を見て、頭が痛くなっていくのを感じる。現役時代だった去年と何ら、成長していない。

 努力をしなかったわけではない。勉強において、去年より理解が進んだ実感もある。なのにどうして、判定結果が伸びないのか。湊人はため息をつき、予備校の硬い椅子に深く沈み込んだ。

 湊人は要領が良い方ではない。それは自分でも自覚していて、この予備校の高卒コースに入ってからは特に、がむしゃらに頑張ってきた。湊人は机に突っ伏したまま、高卒コースに入学したときのことを思い出す。最初の授業で、予備校のドアは定時でロックがかかること、電車の遅延以外で遅刻した時は教室に入れないことを告げられた。「教室に入れない、もしくは欠席した時にノートを見せてくれる友達を作るように」と担任からアナウンスされた時、内気な湊人は友達を作るよりも皆勤で予備校に通い詰めることを決意したのだった。そんな不器用な湊人を尻目に、要領のいい男たちがそれをダシに女の子に声をかけていたのを思い出した。あの時、女の子に声をかけた奴らは、女の子と楽しそうにランチを共にし、美しく読みやすいノートを借り、現在グングンと成績を上げている。

 結局、と湊人は思った。駄目な自分はどこまでいっても駄目なんだ。親の勧めで東京の私立の中高一貫の男子校に進み、大した夢も持たず、なんとなく大学受験をして失敗し、進学率ほぼ百パーセントの環境下で高卒という経歴で終わらせる度胸もなく、親に甘えて浪人している。そんな中途半端な人間が一年浪人したところで、さほど成績が伸びるはずがない。湊人は絶望していた。このままではただ去年と同じことを繰り返すだけだ。

 あははは、と楽しそうな笑い声が教室の入口から聞こえてきた。湊人が突っ伏したままそちらに視線だけ投げると、笑い声の主たちはちょうど湊人の隣の席に着席した。

「…だからさ、普通、GMARCH以上には受からないとやばいじゃん?浪人しといてさ」

「いやマジそうなんだよな、普通それ以下はやばいよな」

 普通。ふつう。フツウ。

 湊人はその会話をひっそりと嘲笑した。今更『普通』を気にしたところで、僕たち浪人生は現役生にとって既に『普通』じゃない。

 だからかもしれないな、と湊人は思う。『普通』を外れた僕たちだからこそ、もっと『普通』から反れていくのを恐れている。有名な大学に入って、「その大学なら浪人してもしょうがないね」と世間の免罪符を手に入れて、なんとか『普通』の人生への道を軌道修正しようとしているのだ。実際、湊人の両親を始め、親戚や同級生、近所の人たちは「浪人したのだから、普通に、偏差値の高い名の通った大学に行くのだろう」と勝手に思い込んでいる。

 ──『普通』って何だ?

 湊人は不貞腐れた。そもそも、自分は何者になりたいのだろう…。



試し読みはここまで。
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【全体のあらすじ】
親が作った弁当を一人で食べている浪人中の湊人。
無意識に自分の人生を諦めてしまっている幸子。
かつて夢を持っていた就活中の裕貴。
大切な人を失ったことを受け入れられないすず。
自分より大切にしたい人を見つけた旭。

あなたの人生が、日々、いろいろあるように、あの人にも、その人にも、実は、いろいろある。
人生は等しく劇的で、素晴らしい。御茶ノ水を舞台に、出会い、語り、泣き、笑う。
どこにでもありそうで、どこかにあったらいい、そんな物語。


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