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Macintosh誕生にみるUIの起源

これは株式会社RevCommアドベントカレンダー2022 23日目の投稿です。

はじめに

初期MacintoshのStart Up Screen

 こんにちは、株式会社RevCommデザインチームの三浦です。コミュニケーションデザインの分野でデザインディレクターをしています。私はMacユーザー歴30年、Appleの歴史や開発秘話が大好きで、信者としても多くのApple製品を長く愛用してきました。
 Apple製品のUIは昔から非常に優秀で、MacやiPhoneなどのOSを初め、iTunesやKeynoteなどソフトウェアにおいても多くの革新的なUIを生み出してきました。
 今回は1984年に登場したMacintoshが今日のUIの礎を築いたお話を書いてみたいと思います。

アラン・ケイのダイナブック構想とPARCのAlto

Alan Kay, A Personal Computer for Children of All Ages [picture of two kids sitting in the grass with Dynabooks] ©Alan Kay

 今日ではMacと呼ばれるコンピュータ「Macintosh」。1984年に登場した当時はまだまだMS-DOSなどのCUI(Character User Interface)が主流だった時代に先進的なGUI(Graphical User Interface)を搭載し、センセーショナルなデビューを飾りました。

リドリー・スコットが撮った伝説的CM「1984」はジョージ・オーウェルのSF小説「1984」が元ネタでNFLの優勝決定戦であるスーパーボウル中に1度だけ流れました。

1984 (広告) Wikipedia

 コピー機でオフィスワークに革命を起こしていたXerox社が次のオフィス革命を目的に設立したパロアルト研究所 (PARC)において、パーソナルコンピュータの父と呼ばれるアラン・ケイの「ダイナブック構想」を元に開発中だった「Alto」にGUIが初めて本格的に搭載されていました。
 「ダイナブック構想」とはデスクトップサイズPCが一般的だった時代に、PCは将来A4サイズ程度の片手で持てるような小型のコンピュータで無線ネットワークを備え、タッチディスプレイのインターフェイスであるべきと唱えたもので、現在のiPadはこの構想に一番近い端末と言われています。

 「Alto」はCUI全盛期でキーボードのみの操作が一般的だった時代にマウスを装備し、Smalltalkと呼ばれるOSはウインドウやメニュー操作、アイコンなどUIを持ち合わせ、WYSIWYG(What You See Is What You Get 見たままが得られる)を搭載したエディタが動き、その先進性は シリコンバレーで有名な存在でした。
 70年代にApple IIで商業的に成功し、パーソナルコンピュータを世に広めたApple社が、次世代機「Apple III」に失敗したことで、次の手を模索していたスティーブ・ジョブズはその噂を聞きつけ、Apple社の株の購入権で交渉してPARCにて開発中だったAltoの見学を実現します。
 GUIという先進的なUIに感銘を受けたジョブズは、あまりAltoを評価していなかったXerox経営陣に、「なぜAltoを製品化しないのか」と問い合わせたが、まったく理解を示さなかったといいます。それなら自分で世に出そうと思い立ち、すぐにAppleの若手エンジニアを引き連れて、再びPARCを訪れます。

世界初 GUIを搭載し、商業的に成功したMacintosh

初期MacintoshのUI

 Altoの先進性に感銘を受けたジョブズとAppleのエンジニアは早速、開発中だった「Lisa」でGUI搭載を決めます。ジョブズの娘の名前がついたこのコンピュータはMacintoshが発売される1年前に世に出ますが、10,000ドル超えの価格から商業的に大失敗となってしまいます。
 しかし、Lisaがリリースされるだいぶ前に数々の問題を起こしてプロジェクトから外されていたジョブズは、Apple社内でシンプルで使いやすく、安価なコンピュータをひっそりと開発していたジェフ・ラスキンMacintoshプロジェクトをみつけ、乗っ取るとLisaで実現できなかった真のGUI搭載パーソナルコンピュータの開発を進めます。ラスキンは元大学の先生でこのプロジェクトには元教え子のビル・アトキンソンがいました。
 彼はMacintoshのGUIを実現させた重要なグラフィックAPI「QuickDraw」をほとんど一人で書き上げた伝説的なプログラマーです。
 アトキンソンはジョブズに連れられ、PARCのAltoを見学したエンジニアのひとりで、マウスで画面上に自由に描いたイラストが複製や移動を実現していたり、ウィンドウ同士が重なり合うインターフェースを目の当たりにして大きな衝撃を受けたといいます。
 しかし、1度だけデモンストレーションを受けただけなので、実はAltoでは重なり合ったウィンドウの処理が完璧ではなかったことなど知らず、アトキンソンはAltoが実現できなかった完璧なウインドウの重なりを目指し、ついには先に実現させてしまいます。
 そんなアトキンソンをジョブズは大変重宝していて、ある日通勤途中にビルが意識を失うほどの大きな交通事故を起こした時、ジョブズは一目散に病院に駆け込みます。意識が回復したアトキンソンはジョブズに「大丈夫スティーブ、リージョン(QuickDrawの特別なデータ構造)はまだ覚えているよ。」と言った有名なエピソードがあります。
 この時、アトキンソンが記憶を失っていたら今日のUIは誕生していなかったかもしれません。

発売時にバンドルされたアプリUIの始祖MacPaintとMacWrite

MacPaint

 初代MacintoshにはGUIアプリが数えるほどしかなかった時代に、お手本としてお絵かきソフトの「MacPaint」とワープロソフトの「MacWrite」が付属していました。この2つのアプリのUIは既にその後のGUIアプリの基礎となる完成度を持っていました。
 特にQuickDrawの開発者ビル・アトキンソンがほとんどひとりで手がけたMacPaintは、左側にツールボックス線の太さや塗りのパターンを選べるパレットなどグラフィックソフトの基本的な部分は既に出来上がっていたのです。
 また、選択範囲の表現に詰まっていたアトキンソンは、ビールの看板に光が点滅して滝が流れているように見えるギミックをヒントに点滅する選択範囲を生み出しました。この表現はOS自体のUIにも採用されるほど普及します。
 ツールボックスに入っている「角丸長方形ツール」は長方形や楕円ツールに比べてマイナーな用途な印象を受けますが、アトキンソンがQuickDrawの楕円描画機能のデモをおこなった際にジョブズから「角丸長方形は?」と問われ、アトキンソンが処理が複雑でそもそも角丸長方形はそれほど必要性を感じていないと発言した瞬間、ジョブズはアトキンソンの腕を掴んで外に飛び出し、駐車場の標識などそこら中にある“角丸”長方形を指さし、「これもこれもみんな角丸長方形だ、これでもおまえは角丸長方形が必要ないというのか?!」と言い放ったそうです。曲がり角2つぐらい差しかかったところでアトキンソンが折れて「わかりました、QuickDrawに角丸長方形の描画機能を追加します」と言ったそうです。そしてその角丸長方形の描画ルーチンを元にMacPaintにおいて角丸長方形ツールとしてツールボックスにラインナップされました。
 MacPaintではテキストツールで打ち込んだ文字列はビットマップ化され、再編集が不可能となりますが、実はアプリのリリース前、再編集可能になっていたといいます。しかし、同時リリースされたワープロソフトであるMacWriteとユーザーが混同する可能性があるからという理由でアトキンソンは結局元に戻し、再編集出来ないようにしました。

MacWrite

 MacWriteフォントの見本を確認しながら選択でき、WYSIWYGに対応した初のワープロソフトでした。Macintoshは登場から何年かは画面を解像度72dpiに固定して、今と違って画面上の100%表示は原寸大となっており、実際に画面に定規を当てて測ると、ほぼ正確なサイズでした。そしてApple純正のLaserWriterを用いることで、画面と全く同じサイズの書類を出力する真のWYSIWYGを実現していました。これはMacintosh登場の翌年である1985年に出たページレイアウトソフト「Aldus PageMaker」によってMacintoshで書籍のデザインをおこなうことが可能になり、DTP(DeskTop Publishing)が誕生しました。ここからデザイナーがMacintoshを使ってデザインワークを行うようになっていきます。PageMakerはちょうどMacWriteとMacPaintを掛け合わせたような機能とUIを持ち、現在ではInDesignに引き継がれています。この二つのアプリケーションの誕生がいかにその後のUIに影響を与えているかが伺えます。

ジョブズがデザインした電卓アプリ

初期Macintoshに搭載されていた電卓アクセサリ

 Macintosh開発チームのデザイナー、スーザン・ケアはMacintoshの各種アイコンやモノクロ画面での見え方を考慮したスクリーンフォント「Chicago」などをデザインしました。彼女もMacintoshの開発において、ジョブズの厳しいチェックを受けています。ある日フォルダのアイコンをデザインしたスーザンはジョブズに見せると「角が丸くない」と突き返されたそうです。紙のフォルダを手にとって確認するとたしかに角が丸い。ここでもジョブズの角丸長方形へのこだわりが出ています。
 シングルタスクOSだった初期のMacintoshでは、使用中のアプリとは別に起動しておくことができるデスクトップアクセサリがあり、そのひとつとして電卓アプリがありました。電卓アプリを作っていたエンジニアのクリス・エスピノーザはデザインの修正を何度も求めてくるジョブズに対し、「ジョブズが自分で出来る電卓組み立てキット」を開発。それを用いてジョブズは納得できるまでデザインを調整したそうです。
 90年代にジョブズが暫定CEOとして復活し、数々の新製品を発表する際のスライド作成のために作らせた、専用のスライド作成アプリがあったといいます。それは後にKeynoteとなり商品化されました。

 初期MacintoshのUIを体験するのであれば、System 7.1になりますが、ブラウザ上でエミュレートして再現できるMacintosh Plusのシミュレータがおすすめです。
PCE.js - Classic Mac OS in the Browser

Macintosh版Excelの開発からWindowsへ

Windows 3.1

 Lisaの失敗のひとつに自社以外のサードパーティーデベロッパを巻き込まなかった事があります。そのため、Macintoshは開発当初からサードパーティーデベロッパと連携を取っていました。最初の一社がMicrosoftです。
 1977年に発売したApple IIが大成功を収めた一番の理由は世界初の表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク)」の登場だといわれています。その後に登場したIBM PCにおいても、同じく表計算ソフト「Lotus 1-2-3」がIBM PCの普及に大きく貢献していました。それらのことからAppleはMacintoshが成功する上でGUI版表計算ソフトの必要性を強く感じていました。そこで、Microsoftが開発していた表計算ソフト「Excel」をMacintosh発売後の早い段階にリリースさせるため、両社は連携を取りました。
 1895年、Macintosh用として誕生したExcelは、マウスによる操作性向上により、従来の表計算ソフトに比べ、劇的に使いやすくなりました。その後Windows版もリリースされ、表計算ソフトの代名詞になっていきます。
 しかし、Macintosh発表直前の1983年11月、Excelの開発に必要ないと思われる部分まで、細かくいろいろなことを問い合わせてくるMicrosoft開発陣に対し、次第にMacintosh開発陣も不信感を抱き始めたタイミングで、ビル・ゲイツはGUI OSであるMicrosoft Windowsを発表します。
 この裏切り行為に激怒したジョブズに対し、ビルゲイツは「僕たちにはXeroxというお金持ちのお隣さんがいて、僕がテレビを盗もうとその家に忍び込んだら、テレビはもう君が盗んだ後だったというようなものじゃないかな」と言い放ったと言います。
 もちろんジョブズが納得するわけもなく、その後AppleとMicrosoftはGUIの盗用について1995年まで法廷で争います。結局Appleの訴えは退けられましたが、その時登場したWindows 95はMacintoshが右側からデスクトップ上のアイコンが並び、上部にメニューバーがあるのに対して、左側からデスクトップ上のアイコンが並び、下部にタスクバーがあるという、訴訟を意識して逆に配置した配慮がうかがえます。

Windows 95(左)とMacOS 8(右)アイコンの位置とメニューの位置が逆になっている

 基本的な部分は現在のWindowsとさほど変わりは無いですが、下記のサイトにてWindows95のUIを体験できます。
Internet Archive - Windows 95 emulated in the browser via DOSBox

 Windowsの最初のバーションは2年後の1985年11月に発売され、3.0までは完成度が低く、実用的ではありませんでした。ウィンドウの重なりが実装できず、その実現にはWindows 95まで待たなければなりません。自分が初めて触ったWindowsは3.1だったのですが、フォルダの中にあるフォルダを開いても上位のフォルダの外へ出すことが出来なかったことに非常にびっくりしました。Windows 95が登場した当時、Macユーザーが10年前のレベルにやっと追いついたという意味で「Macintosh 84」と揶揄していたのを覚えています。

 フォルダの中のフォルダがウィンドウを出ることが出来ないレガシーなUIを体験したい方はブラウザ上でWindows 3.1をエミュレートするこちらを試してみてください
PCjs Machines - Microsoft Windows 3.10

 Windows 3.0のアイコンをデザインしたのはMacintosh開発メンバーだった前述のスーザン・ケアなのですが、個人的にはあまり出来のよいデザインでない印象があり、ジョブズのディレクションはクォリティに大きく関連していたのだなと感じました。

誕生時に既に完成度の高かったMacintoshのUIは、その後のUIの起源になった

Macintosh 128k

 初代Macintoshは8MHzのCPU128KBのメモリ400KBのフロッピーディスクで起動するGUI OSでした。ダイナブックと比較されたアラン・ケイが「1/4ガロンのガソリンタンクしか持たないホンダ車」と評したとおり、GUIが動くギリギリのスペックで、本格的にGUI OSが一般化する時代が来るには、それから10年かかりました。
 しかしながら、UIはほぼ完成の域に達しており、その後のGUIOSの普及において、常に大きな影響を与え続け、現在まで引き継がれています。
 パロアルト研究所のAltoもまだ実現していなかったような機能を実現してしまったMacintosh開発チームの血のにじむような努力は主要開発メンバーのアンディー・ハーツフェルドによる「レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏」に詳しく描かれています。既に廃版の本ですが、この記事でご興味を持たれた方は是非、中古でのご購入をお勧めします。

右から2番目がビル・アトキンソン、左から2番目がスーザン・ケア

 Macintosh発売後、Appleを追い出されたジョブズは新たにNeXT Computerを設立し、NeXT STEPというUNIXベースのGUI OSを開発。90年代後半にAppleに買収され、現在のmac OSとなりました。
 元ペプシ社長ジョン・スカリーがPDA(Personal Digital Assistant - 電子個人秘書)のコンセプトとしてナレッジナビゲーターを1988年に発表し、90年代に初のPDA端末Newton MessagePadを発売、後にiPhoneやiPadに繋がっていきます。
 最近はMacintosh関連の書籍が発売されることがありませんが、Macintoshの登場は革命的で興味深いエピソードがたくさんあります。現在、私たちがデザインしてるUIにはこういった歴史があると思いながらデザインすると、ちょっと気持ちが変わってくるかもしれません。
 また機会がありましたら続きを書いてみたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

<参考文献>
アンディー・ハーツフェルド著,「レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏」, オライリージャパン, 2005年

<キャプチャー画像は下記のサイトのエミュレーターにて作成しました>
PCE.js - Classic Mac OS in the Browser - James Friend
PCjs Machines - Microsoft Windows 3.10

https://system7.app/ - Mihai Parparita
Internet Archive - Windows 95 emulated in the browser via DOSBox

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