#推薦図書 礫川全次(2014)『日本人はいつから働きすぎになったのか―〈勤勉〉の誕生―』(平凡社新書)の紹介

昨年にラジオj-waveで著者の礫川全次(こいしかわ ぜんじ)氏が出演していたのを聴いて購入しました。新書ですが論文のような読み応えがありました。書名の問いに対する答えとしては,「江戸時代には既にそういう人がいた」となるでしょうか。本書では書名の問いについて,江戸時代の頃からの日本人の様子を,文献を辿って明らかにしていきます。
本書の最後に礫川氏は,「なぜ人間は,『勤勉』でなくてはならないのか,なぜ『怠惰』ではいけないのか,ということを,私たちは,まず問うべきである」と述べています。私はこの視点が好きです。勤勉であることは望ましい,美しい,かっこいいという風に言われます。しかし,勤勉でなくてはいけない,とまでは言えないと思います。休んでたっていいじゃないですか。動いてると疲れるし。なのに,休んでるのを怠惰だとか,俺はもっと働いてるぞとか,そういうことを言う人いるじゃないですか。だから休めなくなると思うんですよね。
本書でも事例が挙げられていますが,過労死・過労自殺する人は,自ら進んで残業を行っている場合があります。そして最悪は自ら死を選ぶ。これを本人が勝手にやったことだとか言うのは暴論です。上からこれとこれとこれをやれ,納期を守れ,利益を上げろなどと言われれば,残業しろなどと言われなくても残業はすると思います。あるいは仕事を辞めるか。そういう人が休む,怠惰になるという選択肢をとれるような世の中にしたいものです。

大して本書の内容について書いていませんので,以下,本書で挙げられた仮説14個を並べておきます。これが本書の概要ということで。

仮説0「人々を勤労に駆り立てるものは,その社会,あるいはその時代のエートスである」
エートス(Ethos)とは,マックス・ウェーバーの用語で「道徳的な慣習・雰囲気」です。
仮説1「日本では,江戸時代の中ごろに,農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた」
仮説2「江戸期の日本では,すでに勤労のエートスを導くような文化が成立していた」
仮説3「江戸時代の中末期,浄土真宗の門徒の間には,すでに勤労のエートスが形成されていた」
仮説4「日本人の勤勉性の形成にあたっては,武士における倫理規範が影響を及ぼしていた可能性がある」
仮説5「明治20年代以降,少なからぬ日本人が,二宮尊徳の勤勉思想から,勤勉のエートスを学び,勤勉化していった」
仮説6「浄土真宗門徒における勤労のエートスは,日本の近代化に積極的な役割を果した」
仮説7「明治30年代に入ると,日本の農民の多くが勤勉化した」
仮説8「大正時代の農村には,すでに,働きすぎる農民があらわれていた」
仮説9「大正時代の農村には,なお,勤勉でない農民が残存していた」
仮説10「戦時下,産業戦士と呼ばれていた労働者が置かれていた状況は,今日の労働者が置かれている状況と通ずるものがある」
仮説11「日本人の勤勉性は,敗戦によって,少しも失われなかった」
仮説12「高度成長期に,日本人労働者は働きすぎるようになり,その傾向は,今日まで変化していない」
仮説13「近年の過労死・過労死自殺問題には,日本人の勤勉性をめぐるすべての難問が集約されている」

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