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繊維産業に見るこれからの<定番>

新しい日常は生活様式を大きく変えて、消費よりも、丁寧に暮らすことに重点を置かれる方も多いのではないでしょうか。ファッションの動向には、すでに定番への回帰という流れが表れています。でもその定番とは、これまでとは少し違ったものになる気がするのです。

 外出機会の削減を余儀なくされた社会において、ファッションは<定番>に回帰しつつあるようだ。秋の訪れを前に、カルチャー雑誌は『POPEYE』も『Pen』もスタンダードを特集した。シャツやニット、デニムなど、着回しの良い服は何シーズンにも亘って楽しむことができる。それはユニクロなどのファストファッションブランドが経営効率化のために作り出した流れの先に、ファッションに対する支出の抑制、環境保護の観点からも必要以上にモノを買いたくないという消費者の意識が作用した結果なのかもしれない。

 長く付き合うための衣類に求められる要件は、着心地が良く、痛みにくいことだろう。古くから続く伝統的なブランドを手に取れば、これが約束されている。故にそれらは<定番>と呼ばれている。「MACKINTOSH」のコートだったり、「SAINT JAMES」のカットソーだったり。今のファッションはヨーロッパを起源とするのだから、その多くをアメリカを含めた西洋諸国のブランドが占めていることに違和感は覚えない。西側の流儀にならって、世界で活躍するデザイナーの中には高田賢三氏のような日本人もいるけれど、彼らのブランドは<定番>とは違ったポジションをとる。この度の氏の訃報を受けて、フランス大統領府は哀悼の声明を出している。

 日本の繊維産業は明治初期以降、国の近代化の礎を築いた。1872年に操業した富岡製糸場は日本初の工場であったし、1930年代には綿工業が「世界の工場」とも呼ばれた英ランカシャーを凌ぐ勢いで外貨を稼ぎ出した。当時、それこそ日本中で盛んだった衣料品生産は第二次世界大戦によって壊滅的な状況に追いやられるものの、高度経済成長期の復活を経て、今なお一部に地域産業として受け継がれている。

 山形県寒河江市では大戦中から羊の飼育が奨励され、最盛期には50社以上のニットメーカーが存在していたという。その中の一社、1951年に創業した奥山メリヤスが数年前から注目を集めていることをご存知だろうか。3代目社長の奥山幸平氏が2013年に始めた「BATONER(バトナー)」というブランドが国内外で人気なのだ。その地に残された紡績、染色、編み立て、縫製、加工という一連の技術を活かし、昔ながらの手法で丁寧に作られる製品は繊細にもかかわらず、何年も着ることができるという。大手のセレクトショップが挙って別注をかけることで、その名が広く知られるようにになった。

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 ニットの産地で言えば、和歌山の方が歴史は古い。大正時代にスイス製の吊り編み機が持ち込まれると、当時、紀三井寺の周辺では国内の生地生産のほとんどが担われていたと言われている。吊り編み機は生産能力が低い一方、ふっくらと、耐久性に優れた生地を編み上げる。ヴィンテージスウェットに残るこの特徴を活かすべく、未だ吊り編み機を使い続けているのは、1920年創業のカネキチ工業だ。他社は1980年代以降、24倍もの生産能力を持つシンカー編み機に切り替えている。このこだわりが、伝統的なスエットを志向する「LOOPWHEELER(ループウィラー)」のような人気国産ブランドを支えている。

 さらに昔、江戸時代の機屋(はたや)の文化を今に繋げる広島県福山市も忘れてはいけない。備後絣(びんごかすり)の生産地として栄えたこの地では、その技術を活かして、1970年頃からデニム生地が作られている。中でも1893年創業のカイハラの生地は、50%以上の国内シェアを誇るだけではなく、リーバイスなどの本場米国のジーンズブランドにも納入されている。新旧技術の融合による安定した高品質が世界で評価されているのだ。それはもちろん「upper hights」や「RED CARD」といった日本発のデザイナーズブランドにも真っ先に採用され、圧倒的な存在感を示している。

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 今さら「Made in Japan」の礼賛は、懐古主義と一蹴されるかもしれないけれど、テクノロジーの分野では米国、中国企業のトップダウンによる大規模投資の前になす術もなかったことを考えれば、現場の技術力をボトムアップで活かせるファッションやデザインの領域にはまだまだ可能性を感じられることだろう。都市への一極集中が見直され、地方の活性化が期待されるこのタイミングで、伝統産業を振り返るのは面白い。そして何より、本当に心地よく、着続けたい服がある。ここに、いくつもの新しい<定番>の芽が出ている。

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