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若林恵さん、佐久間裕美子さんのお話を伺って

アカデミーヒルズの読書会「66ブッククラブ」、ポッドキャスト「こんにちは未来」の公開収録と、久しぶりに若林恵さんからお話を伺う機会がありました。「こんにちは未来」は佐久間裕美子さんとの対談です。お二人はエディターとライターという立場を取りながらも、今どきのジャーナリズムを体現されているように思うのです。

アメリカのいま:民主主義

 ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のインスタグラムが騒がしい。公式アカウントにアップされた広瀬すずらをアジア人と認めると、すかさず「コロナウィルス!」と罵る欧米人たち。それを放置する企業のスタンスに非難が集まるという構図からは、日本人の差別に対する意識が低いと言われる理由が透けて見える。つまりこれまで、いかに差別が表面化しにくい文化に生きてきたことだろうか。「マイノリティにならないと気付かない」とは、アメリカに長く暮らす佐久間さんが、若林さんに対して以前に言われたことのある言葉だ。

 NFLスーパーボウルのハーフタイムショーでシャキーラ(Shakira)が歌ったことは、ニューヨーク・タイムズ誌も取り上げるほどに、アメリカでは大きな事件だったという。NFLの選手は7割が黒人。一方でヘッドコーチはほとんどが白人だ。これが何を意味するのか。

 トランプ大統領が壁を築こうとするメキシコの先、中南米コロンビア出身のシャキーラはステージで、カリビアンを主張しつつも、得意のベリーダンスでアラビアンまでをも展開する。若林さんによれば、シャキーラは南半球を代表するシンガーなのだそうだ。実際、2010年のサッカーW杯南アフリカ大会では開会式・閉会式の両式でフィーチャーされている。そんな彼女だからこそ、スーパーボウルの場で多様性を表現することができたのだ。

中国のいま:社会主義

 未だにこんな話題の尽きないアメリカを後目に、いよいよ中国型の統治に期待が集まるのも仕方がない。意外と民族多様性の高い中国に暮らす人々は、アメリカ国民よりも幸福度が高い。それは自由度の高さから来ているという。中国経済学者・梶谷懐さんは、政治を批判しない限り、生活もビジネスも自由が許される中国を「幸福な監視国家」と称している。

 この監視の裏側にはテクノロジーがある。個の力を象徴するインターネットは、当然のようにアメリカ的な民主主義を拡張するものと信じられてきたけれど、実は中国にこそ馴染んだのだ。歴史を振り返っても、過去より中国は、一部の権力者とそれ以外のフラットな人民という構造を維持し続けている。ルイ・ヴィトンの問題を例に、インターネットの唯一の失敗を無統制に見出せば、その機能を共産党が担うことで理想的な空間が出来上がる。

 ジャック・マー(Jack Ma)はそこまで分かっていたのだろうか。アリペイ(Alipay)はQRコード決済と小口融資をフラットにスケールさせることで、地方の個人商店に力を与えるともに、結果的に中国監視社会を礎を築いた。やって良いことと悪いことの忖度ができる人々にとっては、目の前に、開かれた社会があらわれたのだ。

 では、ウイグル自治区で行われる弾圧をどう捉えるべきなのか。いわゆる見せしめとしての一面はあるだろうけれど、若林さんも、佐久間さんも、中国の真意は計りかねるそうだ。中国人はたとえ反権力に象徴的なヒップホップ・ミュージシャンであっても、政治思想に関してはもちろん口をつぐむ。梶谷さんもどうやら皮肉を込めて「幸福な」と呼んだようだ。

これからの日本:分散主義

 インターネットをオープン化の産物、すなわち中央集権に対する分散と捉えると、統制は必ずしも一極化が望ましいとは言えない。様々なアイデンティティを排除することなく、インクルーシブな社会を実現するためには、より市民に近い位置での分散統制を模索する必要がある。これをバチカンの教区制に照らし合わせ、100年前に提唱された「分散主義」と結びつけてしまうところが若林さんの卓越したセンス。佐久間さんが言うところの、歴史の中で見事に宗教色を洗い流した日本においては、地方行政の機能が鍵となる。

 一方でそこはテクノロジーから最も離れた場所。紙と印鑑の世界。だからこそ、可能性が残されているのだ。スマートシティの文脈から、トヨタ自動車が街をつくろうとする時代に、小さくて大きい政府のあり方が問われている。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「10章 有形と無形 ーお金の次の信用」において、中国の監視社会や信用スコアリングについて触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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