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『発酵する日本』から『遅いインターネット』へ

青山ブックセンターの出版プロジェクト第一弾として、発酵デザイナー、小倉ヒラク氏の写真集が発売されました。装丁はアートブックなどで人気を集める藤原印刷株式会社。そこに表現される日本各地の美しい光景は、本書のテーマが「発酵」であることを忘れさせるほど、多様性に富んでいます。今の社会を一様に急ぎすぎと捉えるならば、発酵は新たな視座をもたらしてくれると思うのです。

 とどまるところを知らないウイルスの勢いを後目に、同じ微生物でも似て非なる「細菌」のブームは、ここ数年にわたって静かに続いている。ウイルスが他者に寄生することでしか自己を複製できないことから「無生物」に分類される一方、細胞分裂で自ら繁殖できる細菌は「生物」だ。彼らに愛情を持って向き合おうとする人々がいる。それは例えば、乳酸菌による「発酵」という形にあらわれて。

 三大微生物といえば、細菌の他に、かび(糸状菌)と酵母が含まれる。共に発酵をもたらすことが特徴だ。発酵デザイナーを名乗る小倉ヒラク氏が3月に発刊された写真集『発酵する日本』を見ると、これらがいかに日本人の生活に根付いているのかが分かる。1000年前に生まれたともいわれる発酵技術は、北は北海道から南は九州、沖縄にまで広がり、その土地土地の多様な郷土料理となって、私たちの心と体を支えてきたのだ。

 元来、食料品の長期保存を目的としていた発酵は、日本に特有の技術ではない。パンにだって、チーズにだって、ワインにだって、発酵の手法が使われている。それでも文化と呼べるほど日本に定着した理由は、おそらく、その副次的な効果である「旨味」の醸成にあるのだろう。5つの基本味のひとつに数えられる旨味は、日本人だけが古くから言語化を果たしてきた。1908年に池田菊苗氏が昆布出汁から発見した旨味が世界的に認知され、今の基本味に加えられたのは2000年になってからだ。英語に訳そうとしても、味を意味する「taste」や「flavor」に落ち着いてしまい、最近ではそのまま「umami」でも通じるそうな。 

 テクノロジーの発展、すなわち長期保存や短時間輸送の実現によって、失われてしまうことの危惧された発酵食品は、旨味という価値が見出されたからこそ、今でもしっかりと受け継がれている。それどころか、効率ばかりを追い求めた社会からの反動として、いま再びその地位を高めつつあるのだ。

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 中目黒のレストラン「kabi」は、その名のとおりに発酵をテーマとし、2017年のオープン以降、世界中の美食家から注目を集め続けてる。コペンハーゲンで腕を磨いたオーナーシェフの安田翔平氏らが、日本の発酵技術に優位性を認め、世界基準で再構築したことが大きいのだろう。 北欧デンマークは日本と同じように漬物などの発酵食品が根付く国であり、世界一との呼び声も高いレストラン「noma」も近年ここに着目している。

 小倉ヒラク氏とも親交のある情報学研究者ドミニク・チェン(Dominick Chen)氏は、インターネットのコミュニティをぬか床に例え、情報社会と発酵の関係性について論究されている。情報の鮮度を品質と捉え、次々と新しいものを追っていこうとする態度が、フェイクニュースに代表される居心地の悪いインターネットを形作っているとすると、情報を育て、味わい、手入れする仕組みこそがこれを是正するだろう、というのだ。これは批評家、宇野常寛氏が提唱する『遅いインターネット』という思想にも通ずる。

 チェン氏がメディアに着目しているとすると、そこに載るコンテンツに課題を見出すのが宇野氏だ。ひたすらに消費されるのではなく、5年でも10年でも読み継がれる上質なテキストがインターネットに流通することを目指している。そのために「書くこと」と、その前提となる「読むこと」に重きをおく。誰もが発信できる時代に、正しく読み書きができる社会の醸成が必要だと説くのだ。それは従来、子どもの頃から両親や身近にいた大人に習ってきたこと。そう、まさにぬか床や郷土料理のように、受け継がれるべき習慣だったりもするのだ。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「11章 はやさと深さ ー経済的発展からの脱却」において、はやさに代わる価値のあらわれとして、発酵について触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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