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小説が持つ意味

このコロナ禍において、国内政治の不透明さが目立ちます。世界基準で見れば、情報開示の度合いが国の成熟度を映す中、私たちは引き続き国への働きかけを強めると共に、新たな手段を探す必要もあると思うのです。それは必ずしもテクノロジーに限らず、例えば小説のように人間的なものでも良いのかも知れません。

分からなさ

 アベノマスクしかり、特別定額給付金しかり、接触確認アプリしかり、新型コロナウイルス対策として、矢継ぎ早に打ち出される日本政府の施策を何とも不可解に感じるのは、その決定プロセスが非公開だからに他ならない。他国のトップが今を戦時と捉え、自ら陣頭指揮を取る中、官僚主体の日本は組織という曖昧なものに責任を擦りつけている。日本は一体いつから、こんなにも不透明な国に成り下がってしまったのだろうか。

 2012年より東京都知事を務められた作家・猪瀬直樹氏は、近著『公』において、昭和初期を振り返り、勝ち目のない米国に戦を挑んだ当時から今へのつながりを指摘する。データやファクトを脇に置き、民意という雰囲気に流されていく日本がある、と。敗戦後、焼き払わなければならない議事録が残されていただけ、当時の方がまともだったのかも知れない。第二次世界大戦の前後で違う国とも思われがちな日本だけれど、本質的には何も変わっていないのだ。

 猪瀬氏と対談共著もある政治学者・三浦瑠麗氏も、このことに気が付いていたのだろう。徴兵制という強行手段を持ち出してまで、戦争を阻止しようとされている。国民一人ひとりが自分事と捉えなければ、民意は正しい方向に動かない。

 密室での舵取り、いわば権力の暴走を牽制するのがメディアの役割だとすると、新聞各社がテレビ局やラジオ局と系列を成す日本においてはそれが機能しない。公共の電波を利用する放送事業が免許制である以上、企業は国の顔色を伺わざるを得ない。「忖度」などといった政治家の居直りを流行語として、面白おかしく報道している時点でこれは疑いようもないのだ。それに付き合わされる国民は、正しい判断材料を与えられていない。

 アメリカ大統領選挙やブレグジットの国民投票では、デジタルマーケティングによる感情操作が行われたとされている。以降、FacebookやTwitterは新しいメディアとして、中立性の維持に頭を悩ませている。一方の日本は古参のメディアですらも国に忖度している現状がある。

小説という解

 だとすると、何が国民に事実を伝え、民意を正しく導くというのだろうか。猪瀬氏はかつての文芸誌の立ち上がりを説き、そこに掲載されてきた小説に解を求める。元来、小説はフィクションとは限らず、時代に抗う手段だったという。しかし利益を追い求める中で、社会、人間関係、恋愛と主題を移り変え、すっかりとその立場をエンターテイメントに寄せてしまった。メディアが役割を果たせない今、小説はもっとリアルに、クリエイティブに、公器であるべきと叫ぶ猪瀬氏がいるのだ。

 魅力的な物語が人を惹きつけ、心を揺さぶることは言うまでもない。登場人物に自分を重ね、そこに描かれる社会を生きてみれば、自ずと求める世界も見えてくる。ミカド三部作から日本の近代史を学んだ方も多いだろう。

 テクノロジー雑誌『WIRED』は、最新号でSF小説を特集している。それは決してファクトに基づくものではないけれど、誰もが未来を予測できない今にあって、唯一の拠り所として機能する。いくら突飛な世界を描いたとしても、どうせ小説だからという言い訳が立つのであればクリエイティビティが発揮される。でもこの背景にあるのは実社会への憤りだったりする訳だから、リアリティを持たせるために徹底した取材がなされていたりもする。

 実際、本誌に掲載されている未来はどれも、今とのつながりを意識させる。もうフィクションのような世界に生きているのだから、ノンフィクションを信じてみるのも悪くない。それは決して現実逃避ではなくて、一人ひとりの物語が民意を作っていく。

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