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角川武蔵野ミュージアムに覚える違和感

8月に角川武蔵野ミュージアムがプレオープンしました。図書館と美術館と博物館の融合した新しいミュージアムは、松岡正剛氏が館長を務められることもあって、一体どんなコンテンツが詰め込まれるのか、とても楽しみです。一足早く公開された建物は、まさに圧巻の一言。しかし、何だか違和感を覚えることも事実なのです。

 埼玉県所沢市はサクラタウンにできた角川武蔵野ミュージアム。高さ40m、総床面積3,600坪。2万枚もの花崗岩に覆われた建物は窓もなく、それ自体がまるで大きな岩の塊のように、強烈な存在感を示す。設計は隈研吾氏。地中から迫り上がるイメージに、地殻建築とも呼ばれている。

 コンクリートと鉄に支配された近代建築に抗い、木や石といった天然素材の適用を模索し続ける隈氏は、その集大成として、代々木の新国立競技場とこのミュージアムを作り上げた。前者は木を、後者は石を主題とすることで、ある種の対を成す。新国立競技場の実装については、以前に書いたnote記事をご参照いただきたい。細かな<点>の集合が、軽やかな開放感を演出する。

 角川武蔵野ミュージアムも素材は違えど、同じ思想で作られている。すなわち、小さな石の集合が柔らかさを醸し出すのだ。人工的なコンクリートや鉄の集まりとは違って、しなやかさが際立っている。それは自然に立ち向かうのではなく、自然とともにあろうとする東洋思想に還る。いわば<負ける建築>。

 一方、この建物の隣に作られた広い水場で、石の造形には目もくれずに戯れる子どもたちを見ていると、本来、自然との調和とはもっと感覚的なものなのかも知れないと気付く。例えばこの岩肌を登ることができたのであれば、また違っただろう。しかし、ここには人を近づけない厳しさがそびえ立っている。もちろん自然は寛容ではないけれど、建築物として、わざわざそれを人が示す必要はあったのだろうか。

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 隈氏が量子力学を引き、時間の概念を建築のプロセスに見い出したとすれば、次の世代の建築家・田根剛氏は建物自体に時間を想起させる。例えば、代表作であるエストニア国立博物館は、かつてこの地にあった旧ソ連時代の軍事滑走路を再現することで歴史を再構築する。それは必然的に、自然に溶け込むことにもなった。軍用施設は一般的に目立たないように作られるものだから。

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 田根氏は新国立競技場のコンペでもファイナリストに残っている。そこで提示されたのが古墳スタジアムだ。明治神宮という鎮魂の場の外苑に、日本古来の墓を呼び起こす。それは日本らしい自然との向かい合い方の再提示でもある。ピラミッドのように石を積み上げることとは違った讃え方があったのだ。

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 なるほど、角川武蔵野ミュージアムに覚えた違和感はこれだ。積み上げられた石は、どうしても神聖なものとして、力を意識させる。それがコンクリートや鉄とどう違うのか、もう少し考えてみる必要がありそうだ。

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