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「退院」~子供が産まれたと同時に難病になった喜劇作家の入院日記13

某月某日

退院前日の朝。ここ一週間ほど考えていたことを実行に移す。

――病院脱走計画。

3ヵ月弱に及ぶ入院生活。自分でいうのもなんだけど優等生な患者であった。消灯時間(夜9時!)の10分前には自ら電気を消し、起床時間(朝6時)の30分前には起きて、その日飲む薬を自ら準備する。

コレステロール値が高いと言われれば、飲むもの全てお茶か水にし、自主的な歩行訓練を勧められたら、朝昼晩と病院内を歩いた。

そんな優等生が起こす卒業間近の小さな校則違反。病院内の窓ガラスを叩き割って逃亡するわけじゃない。徒歩5分のところにあるコンビニに黙って行って帰ってくるプチ逃避行だ。

目的はアメリカンドッグを食べること。買い食いだけだと、良心が邪魔して途中断念しそうだったので、手紙を自宅宛に郵送するという大義名分をメインに据えた。妻への感謝の手紙。

   *

午前6時半、予定通りに決行。朝食が配られる7時半までの間が一番、抜け出しやすいと把握していた。
病衣から普段着に着替え、何食わぬ顔でナースセンターを横切る。目にとめる看護師はいない。階段で1階に降り、最難関と目していた警備員窓口に人がいないのを確認して、裏口からするりと外へ飛び出した。

風を感じる。とても心地がいい。
不意に、背後から声がかかった。

「行ってらっしゃい。戻ったら声かけてくださいね」

振り返ると、巡回帰りの警備員が立っていた。あまりに笑顔な対応に、逆に冒険心が萎えかける。こんな簡単に許されるなんて……。

気を取り直して、朝の道をゆく。
思った以上に息が上がる。今までならなんとも思わなかっただろう少しの坂道に抵抗を感じる。廊下を歩いてただけでは分からなかった感覚。日常に戻るってこういうことだよな。

5分と目算していた道のりを、15分かけて踏破した。さっそく、アメリカンドッグをイートインで貪る。


めちゃくちゃ、うまかった。

これまでの我慢や禁断の果実を食してる背徳感が、より味覚を刺激する。ドッグの下端のガリガリを齧り取りながら、不覚にも幸せを感じてしまった。

食べ終えて気がつく。手紙を置き忘れてきてしまった。なんのための大義名分だったのかと自己嫌悪になったが、満足感の方が勝った。復路もゼエゼエとしたが辛いとは思わず、意気揚々と帰った。

病室に戻り病衣に着替えていると、年配の看護師が飛び込んできた。

「どこ、行かれてたんですか?」

不在を知られていたことに焦ったが、笑顔で「自主的なリハビリに」と返す。どうやら、今朝は特別に「免疫抑制剤の血中濃度を測るために朝食前の採血が必要」だったらしい。聞いてないよ~なんて反発心を見せながらもすぐに応じた。

「置手紙されてるのかと思って見ちゃいました。ごめんなさい」

ベッドサイドの机に目を向ける。ぐげげ……妻への手紙だ。しまった、書きっぱなしの置きっぱなしだった。なんたる不覚。血を採られながら、血が逆流するのを感じる。顔は既に真っ赤っかだ。
察したのか、看護師が話題を変える。

「明日、退院ですね。おめでとうございます」
「ええ。出たらまず、念願だったアメリカンドッグを食べようと思って」

声がまだ音にならず、「え?」と聞き返されたが、二度嘘をつく気にはなれず、黙した。

   *

こうして、私の入院生活は幕を閉じた。

※退院時のプレドニン量は40mg。エンドキサンパルスは5回(あと3回は外来での通院時に行う予定)。難病との付き合いは今後もつづく。


前略、○○へ。

退院日の前日にこの手紙を書いています。
~(中略)~
ここまで腐らずやってこれたのは、ひとえに、○○さんの明るさ、笑顔。そしていつも顔を合わせるたびに言ってくれた「大丈夫」という言葉。それに支えされてたんだって心底思います。本当にありがとう。

そして、今年はさらに、□□君の存在。
希望の彼がいることで、前むきな気持ちで、いろいろなことに向かっていける心境になります。

突然の病気、のように、一生を左右するかもしれない予想だにしない事態が、これから先、また家族を襲うかもしれない。
でも、そこで絶望するのでなく(一瞬は落ち込むかもしれないけれど)、その先にはきっと、それでも家族で笑っていられる絵が見える……その光景を信じられる。○○と□□となら、自分の人生に、家族の未来に、希望をもって頑張っていける。

○○さん。あなたのおかげです。
こんな自分と一緒にいてくれて、本当にありがとう。
あなたをもっともっと幸せにするからね。恩返しはもう少し待っててね。頼れる夫、強い父になるからね。

草々




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※退院した喜びのわずか一年後……


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