「父と息子 ★ロマンティックじじいの背中(後半)」~子供が産まれたと同時に難病になった喜劇作家の入院日記9
その日は、不肖、私の結婚記念日で、午前中から生後4か月になった息子を連れて妻がお見舞いに来てくれていた。
1ヵ月ぶりの再会。泣きもせずパパの膝上で小一時間ほど戯れてくれた。途中ブリブリとうんちもして……。この生命力の塊のような存在にパワーをもらった。
家族と別れて病室に戻ると、いつも開いているカーテンが閉められ、その中からヒソヒソと話すロマ爺の声が聞こえた。
「ちゃんと仕事してんだったら安心だよ」
「へへ。今はネットビジネスもやってるからよ」
瞬間的に、息子さんだと悟った。今まさに、カーテンの向こうで30年ぶりの再会が行われている!
私は、一昨日から始まったリハビリ担当者が来ないことを祈りながら、固唾をのんで親子(CV:緒方賢一&山口勝平)の一言一句に耳を澄ませた。
「じゃあ結婚もまだまだか」
「へへ。とらわれたくねえからさ」
「今日はあれか、大阪にとんぼ返りか」
「何かと忙しいんだよ、これでも。へへへ」
年齢は私と同じくらいか。調子のいい息子さんのキャラもあって、弾んだ会話になってはいたが、本音で語り合ってるとは言い難い。
それぞれ30年の思いはあるんだろうが、実際会うとそんなものなのかもしれない。
唯一、共感しあったのは互いの趣味だという釣りの話。川より海がいい。雨の日が釣れるみたいなことで盛り上がっていた。その時にロマ爺が言ったのだ。
「俺は雨は嫌い。でも、雨の音は好き」
*
時間にして30分くらいか。今後の生活のことについては、具体的な話を切り出せないまま、息子の方が「そろそろ」と帰り支度を始めた。
「これ持ってくか? 折り紙で折ったんだ」
「へへ、子供じゃねえんだから」
「そっか。あ、小遣いやるよ」
「え? へへへ。いいのか?」
「5千円しかねえけど……ほら」
「助かるよ。へへ。交通費も馬鹿になんねえから」
「中学以来だな、え?」
「また連絡するよ」
その日の午後のロマ爺はかつてないほどご機嫌だった。ありとあらゆる人に「30年ぶりの再会があってさあ」と語り掛け、少しでも相手が食いつくと延々と息子の話を続けた。
「あいつはちっちゃい頃、体が弱くてさ。外で遊べないから、俺が折り紙を折ってやってたんだ」
*
それから2週間。
息子さんからの連絡はない。2~3度、ロマ爺の方から電話をかけていたが、繋がることもなく……やがて自ら話すこともなくなっていった。
(その後も、退院するまで、ついぞ息子さんが来ることはなかった。)
「仕事で忙しくなったかなあ」
ある夕方、ロマ爺が独り言をつぶやいていた。
気になってカーテンから覗くと、いつもと違って壁の方を向いてうつむいている。その小さな背中が悲しかった。折しも、外は雨で、それが余計に哀愁を誘った。
もうあの親子が会うことはないのだろうか。もし自分と息子がこうなったら……勝手に想像して胸がキューっと締め付けられた。
ロビーでお茶を2本買って、部屋に戻る。今だ背を向けているロマ爺に初めてこちらから話しかけた。
「お茶どうですか? この前のチューリップのお礼に」
「ん?」
雨の音に交じって、パチンパチンと音が聞こえた。ロマ爺がゆっくりと振り返る。新しい獲物を見つけたような喜々とした顔。彼は、背中を丸めて、ただ足の爪を切っていただけだった。
「雨の日の言葉が一番、本音が出るんだよ」
長い夜のはじまりだった。
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