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「人生のどん底で"蜜蜂と遠雷"」~子供が産まれたと同時に難病になった喜劇作家の入院日記11

某月某日

(妻との電話での会話から)

……もしもし? 聞こえる? ごめんね。声がもう、ほとんど出なくなっちゃった……いや、原因は分からないって。ステロイドのせいかもしれないし……精神的かもしれないし……聞きづらいよね?

……大丈夫。痛みはないよ……で、今いい? ○○(息子の名)は寝た? ……そう。……え? 電池切れそう? ああ、じゃあちょっとだけ。

……今、ある本を一冊読み終わって、で、すごい興奮というか、こんなのめったにないっていうか……人生でもしかしたら、1番かもしれない読書体験だったから、話したくなっちゃって。

……まあ、入院中って言う環境が影響したのかもしれない……そう、小説。え? ……先週も言ってた? 『みかづき』か。人生の応援歌って感じで良かったね……学習塾の歴史を縦軸に、親子三代の物語を綴ってくっていう、舞台の構成に使えそうだった……いやいや、でも違うの、今話してるのは。

……もうね、昨日の夕方から、夜も徹夜で読んで、今日も朝から読んでた。すごい分厚いんだけどね、残り少なくなってくると、読み終わちゃうのが嫌で、ずっとその世界に浸っていたい……聞こえてる? ああ、ごめん。タイトルね。

……『蜜蜂と遠雷』っていう小説。恩田陸さん。なにがいいって、うーん、もうね、始まりから終わりまで完璧なものを読んじゃったって感じ。

……天才ピアニストの少年少女たちの物語なんだけど。『チョコレートコスモス』は芝居の話だったでしょ? その音楽版。……ギフトっていって才能を与えられたが故の葛藤とかライバルの存在とか。まずその物語に感動。

……技術的にもすごいなと思ったのは、途中で演奏される音楽を全部、言葉で表現しようとしてんのよ。音楽を聴いて浮かぶ情景や世界を描写するの。しかも演奏家ごとに、同じ曲でも違う絵を描き分けて……クラシックに詳しかったらもっと楽しめたと思うな。

……メインになる4人のキャラクターもそれぞれ個性的で魅力的。天才ぶりにゾクゾクするのよ。憧れって言うのかな。一番? 一番はねえ……でも、自分はやっばり、天才じゃない……今は奥さんがいて働きながら、それでもピアノが好きでコンクールに出てるっていう男性がいるんだけど……そこにもう感情移入しまくりだったかな。

……自分の人生まで、考えさせられちゃったっていうか。見つめなおせたっていうか……そう。とにかく今、これを読めてよかった。この本と出会えただけでも入院して良かったと思ったよ……あ、そうだ。途中、読んでて涙が出てきたとこ、暗誦していい? 待ってね。

 もはや後戻りはできない。昨日までの自分はもういない。
 これまでとは比べ物にならないくらいの困難が待ち受けているだろう。しかし、これまでとは比べ物にならないくらいの歓喜もまた、どこかで私たちを待っていてくれるはずなのだ。
 私たちはそのことを知っている。誰もが確信しているのだ。これからの自分が、自分の人生に対して、力強く「イエス!」と叫ぶであろうことを。
(『蜜蜂と遠雷』恩田陸 p419)

……もしもし? まあ、ここだけ読んでもあれだけど……。でも、この文章にぶち当たったとき、震えたんだよ。……そう大満足。あ、一つだけ、欲を言えば、ラスト……終わり方がその……コンテストの結果が出るんだけど……それでいいのかな? ってちょっと……でも、まあ、あれはあれでいいのかな。

……で、でね。読み終わってすぐ、○○(妻の名)ちゃんに電話したのは、自分は今、どん底かもしれないけど、また希望を持ってね……一つ一つまた階段をのぼっていって……その……人生にイエス! って言えるような、アハハ……もしもし、聞こえてる? ……あれ? 切れちゃった? 

……NO……


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