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ポップコーンは買わない派です。vol.29

ブルーアワーにぶっ飛ばす

ぜんっっぜん!!寂しくなくて寂しいいい!!!

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予告編

あらすじ

30歳でCMディレクターをしている砂田は、東京で日々仕事に明け暮れ、理解ある優しい夫もいて、充実した人生を送っているように見える。

しかし最近は、口を開けば毒づいてばかりで、すっかり心が荒んでしまっていた。

そんなある日、病気の祖母を見舞うため、親友の清浦とともに大嫌いな地元の茨城に帰ることになった砂田は、いつものように清浦と他愛ない会話をしながら茨城に向かうが、実は今回の帰省に清浦がついてくるのには、ある理由があった。

田舎と都会の良し悪し

地元に帰っても何一つ変わらない風景に安心しながらもやっぱり田舎だなあとちょっと見下している節もある。

時間の感覚も都会とは違ってゆったりと過ぎていくような気がする。

だけど田舎だからこその面倒くささももちろんあって、ご近所付き合いなど小さなコミュニティの中で生活することも息苦しいところもある。

一方、寝間苦しく変化し続ける都会はとても生きずらく、本当の自分を偽って過ごす毎日、息つく暇も与えてもらえない。そんな中で疲弊していく人はめちゃくちゃ多いだろう。何しろ人間らしい生活ができていないのだから、まさにストレスそのもの。

そんな中で本作のヒロイン、砂田は仕事はできるし、理解のある旦那にも恵まれて、端からみれば青い芝生というか羨ましいというかだ。

しかし、実際問題は酷く疲弊していて、心にはいつも孤独を抱えている。

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それは誰もが。だけども干渉されすぎるのもプライベートがなくなるから嫌だ。なんともわがままな生き物である。

普段から、何不自由なく生活はできているし、物質的には満足している。
でもどこか心ここにあらずという状態が寂しい。

寂しくないことが寂しいとはなんとも矛盾に聞こえるかもしれないが、すごく共感できる。

自分もふと、一人暮らしのアパートに帰宅した時には安心感と虚無感が同時に訪れる。それは友人と飲み会があったりとか、バイトのあとなど、人との関わりがあればあるほど余計に虚しく、寂しくなる。

地元へ帰省した時も帰宅と同時に安心感が訪れるのだが、プライベート空間が限られているために同居している家族には少なからず気を使う。どこか窮屈な感じ。

そしていざ首都圏の方に帰るとなると非常に寂しくなる。
また都会に飛び込むのかというネガティブな胸騒ぎが心を苦しめる。

まあ徐々に適応していくのだけれど、その適応していくという慣れというのも非常に寂しく思う。自分が徐々に都会に染まっていく感じ、人間としての生物的な感覚が失われていく感じがして後から「うーむ」となってしまう。

きっと答えは出ないのだけど、そういった感情、情動というものを記録していくことって面白いなあって思うし、それが後々第三者的に見ることができるのは自分が自分らしくあるために必要なことなんじゃないかなって思うのです。

第三者だから気付けること

地元の良さは自分ではなかなか気づけない。

それを自分では見当もつかない視点で発見してくれるのは紛れもなくよそ者であるから。すなわち、よそ者なくして地域の発展にはつながらないのだ。

なかなか自分たちの強みというのは気付きにくいもの。


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シムウンギョンさんはまさにその役で、地元の人間ではスルーしていることに疑問を抱き、自分たちでは気づけない魅力や歴史、文化の再考につながるのではないかと考える。

シムウンギョンさんはこの度の日本アカデミー賞でも「新聞記者」で主演女優賞を受賞しましたが、この作品でも日本のメディアの在り方や存在意義を第三者的視点から追求している。日本の現状を客観的に見る上で彼女の存在は欠かすことのできない存在だろう。

2人の主人公

またシムウンギョンさんの役(清田)は主人公の夏帆さんの役(砂田)とは正反対の自由奔放なキャラクター。

自由奔放って幼少の頃には誰しも持ち合わせているものなのに、いつからかしがらみに縛られ、言いたくても本音を言えなかったりするわけで。

本当にありたい自分が目の前に現れた時にそのギャップに心が辛くなるのかもしれない。

それは主人公の理想と現実を鏡でうつしているようで、2人を対比せずにはいられなかった。

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主人公の砂田が清田を通じて地元を回ることで、これまで気に留めなかったことに対して考えるようになっていった。

それは本当に意味での自立が出来上がっていく瞬間を見たような気がした。

ブルーアワー

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ブルーアワーとは1日の始まりと終わりに一瞬だけ訪れる静寂の時間のことで、砂田はこのブルーアワーに特別な思いを抱いている。

その一瞬の時間だけは自分が無敵の状態。パーフェクトワールドなのだという。

自分に置き換えて考えてみた時に、まわりに誰もいない時、何をしても人目につかない状況の時に確かに、自分の思うように自己表現ができるから、大声出してみたり、無意味に全力疾走してみたり、狂ったように踊ってみたりしたな。田んぼ道とかで。

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でもこれって田舎でしかすることできないよね考えてみれば。そういったことって普段生活してるなかでやってたら狂ってんのかって思われちゃうよ。

一瞬だからこその至極の時間というものは誰しもあると思うし、砂田もこの時間だけは自分を解放することができていたのではないかと思う。


でも格差の中で解放しすぎるとジョーカーになっちゃうのでぶっ飛ばしすぎないようにご注意を…。

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