不満、怒りを表明することってそれなりにインテリじゃないと無理なんじゃなかって思った。
タイトルにある通りなんですけど、最近すげえ思うのが、
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何かに対する不満だったり、何かに対する怒りって、ある種のエビデンスがないと成立しない感情なんじゃないか。
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感情はエビデンスがなくたって勝手に湧き上がってくるものだからしょうがないことだと思うんだけど
いざそれを言葉なり、文章なりに起こすとなるとそれなりの理由、理論が必要になってくると思っている。
なんでそう思ったのか、どうしてそう思ったのか、いつそう思ったのか。。。
のように、5W1Hじゃないけど、それに当てはめて説明して初めてその不満や怒りという感情を形にできると思うんだな。
そうなると、喜びや悲しみにおいても同じことが言える。感情を伝えるには言葉が必要。
その言葉を組み合わせて意味の伝わるものでないといけない。
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今このように文章を書いている時にもよくあることなのだが、感情的に思ったことをいざ文章にしてやる!と意気込んで書き始めると、
あれ、書いてはみたけど別の角度から見たらこうも考えられるよな、とか、待てよ、この不満てこうやったら解決するよな。という自己完結が起こってしまって、文章にする意味みたいなものがなくなってくることがある。
文章にするにあたっての語彙力や言い回し力、構成力、、
どれもも乏しい私にとって、感情や感じたことを文章にするってインテリでないといいものも作れないんだなって悲しい気持ちになるのだった。
noteで文章を書くにあたってはやるからにはそれなりにフォロワーもついて欲しいし、いいねもできるならたくさんもらいたい。そういう文章を書くにはどうしたらいいのか。
何百何千といいねがついている文章と私の文章では何が違うのか。もちろん劣っているということは大前提のもと、そういった分析もしながら徐々に良い文章を書けるようになれれば良いなと思いつつ、
あまり上をみすぎると絶望して文章を書くこと自体をやめてしまうことにもなりかねないので、そこれはバランスに気をつけながらやっていきたいと思う暴風雪のクリスマスであった。
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