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ポップコーンは買わない。vol.109

桐島、部活やめるってよ

かつて運動部だった私はその当時、運動部に所属することが当たり前であり、みんながそうする、かっこいいことなんだということだと認識していた。

けれども、それは違ったんじゃないかと思っている。今となっては文化的な活動(音楽やら芸術やら演劇やら映画やら)に取り組むことも必要だったと感じている。

勉強、運動、ルックス、これらが学校における全てだと思っていた。

もちろんそれらは重要なのだが、それ以上に自分の好きなこと、趣味などを通しての自己表現、および自己実現の重要性をひどく感じている。

まわりがどう思うかということを気にしているとやりたいと思うこともできないという人もいると思う。私もそのひとり。でもそれは絶対に後悔するやり方。

それがたとえ趣味の範囲であっても、遊びであったとしても、好きなのだから誰にも文句を言われる筋合いはないのだよ。

それを象徴するシーンが本作のクライマックスに詰め込まれている。

映画部の前田くんとこうたくんが絡むシーン。

観た人は分かると思うが、あそこで前田くんが自分の好きを振りかざしたときに、なんでもこなせるこうたくんを超えた瞬間があった。

どうせ人間はいつか死ぬ。

仕事とか、結婚、出産、やる意味なくないか?といういわば実存主義に陥る場合がある。

人生でこなしていくタスクは山のようにあるが、そんなこと、いずれは死ぬのにそんなことやっててもしょうがなくないか?

なんでもこなせる器用な人間はいくらか存在する。そんな人ほど何かに突出したり、没頭したりすることは少ないと思う。故に自分を見失い、路頭に迷うのではないか。

本作ではいろんなロールモデルが登場する。

中でも度々登場する野球部の先輩。彼自身はきっと野球があまり上手くない。

でも自分のやるべきこと、目標地点が明確で、(ドラフトまでは引退せずに練習し続ける)プロにはなれない、でもそのスポーツをすることの意味はプロ選手になることだけが全てじゃないという別のベクトルを示してくれた。

本作の公開が2012年だったとは…わたしはその当時中学2年生。この頃にこの作品と出会っていたら理想の自分になれていたのかなぁ、とか野暮な妄想を膨らませてしまう。

そうやって昔を回顧する中で、自分が没頭するものの中に何かを作り上げるということをしたことがないことに気がついた。何もかも消費することばかりに気を取られて自分で作ることは何もしてない。

本作に出てくる映画部の前田くんをはじめとしたメンバーたち、吹奏楽の沢島さんなど、彼ら彼女らは何かを作り上げるクリエイターの動きがある。

そして彼らは本作の中でいくらか失恋をする。その失恋から受けた感情を映画制作や演奏という形で昇華させた。


私自身、極端な言い方をすれば、運動部でやってきた事実なんか今となっては要らなかったかもしれないと思っている。そんなことよりも、自己表現できる何かを見つけたかった。

今、ここで文章書けているのはその反動からきているものであるが、学生時代に取り組むことにおける精神への刻まれ方は比べものにならないと思ったりもする。

今思うと、運動部に所属することに何ら違和感を覚えない感覚、それは元より親からの教育、そして自分の中での運動における小さな成功体験の積み重ね、全く分野のことなるものへの興味のなさ、踏み込む勇気のなさがあったに違いない。

とまぁ、こんなように昔を思い返すといろいろと後悔することがある人も多いと思いますし、本作に出てくる人物たちも皆がそれぞれにコンプレックスを持ち、生きている。今更嘆いても仕方がない。

本作を観て、今やりたいこと、好きなことに取り組むことに疑いを持たなくていいんだと自信になった。

ある意味今、新鮮な気持ちで観れてよかった。

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