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義経の母が持っていた阿弥陀像がある?【第17回】中戸山西光院 常敬寺(千葉県野田市)

来年4月に築地本願寺で勤められる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、中戸山西光院 常敬寺(千葉県野田市)
です。

ご旧跡紹介

 寺伝によると、開基は親鸞聖人の孫・唯善。唯善の父は小野宮禅念、母は親鸞聖人の末娘・覚信尼。唯善は親鸞聖人の廟所・大谷廟堂の継承をめぐって、親鸞聖人の曾孫・覚如上人と係争に及び、関東に新天地を求め下向した。

 関東での布教伝道が鎌倉幕府第7代・惟康親王の耳に入り、1282(弘安5)年、惟康親王より招請され鎌倉常盤に一寺を建立され、「弥陀本願寺」の寺号を賜った。その後、元寇による兵火に遭うことを心配した惟康親王が、下総国関宿深栖郷(現在地)に七堂の大伽藍を建立し、鎌倉より移った。

 同時に後宇多天皇より「中戸山西光院」という勅額が下賜され勅願所となった。長く本願寺と疎遠になっていたが、第6世善鷲の時、本願寺蓮如上人に帰依し、寺号「常敬寺」を賜った。江戸時代には関東七箇寺の一寺に数えられた。 

現地ルポ


 千葉県野田市は千葉県北西部の最北端、茨城県、埼玉県との県境にあります。中でも常敬寺のある関宿は、利根川と江戸川の分岐点に位置し、古くは城が築かれ、江戸時代の関宿藩は交通の要衝、江戸城防衛の重要拠点として幕府に重要視されていたといいます。

 常敬寺境内には御影堂と阿弥陀堂の両堂が建ち、御影堂の等身大・木像親鸞聖人坐像は、親鸞聖人のお墓である大谷廟堂に最初に安置されていたという説があり、また阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像は、東光坊阿闍梨が鞍馬山・奥の院に安置されていたものを常盤御前(源義経の母)に授与したものとされています。

 阿弥陀堂の天井には、狩野光信作の竜の絵がかつて飾られていましたが、現在は関宿博物館に保管されています。御影堂は1964(昭和39)年、老朽化のため解体・改修し現在に至ります。御影堂の余間には唯善と覚信尼の坐像があります。

旅ある記


星 今回の常敬寺、藤本さんはどこが印象に残りましたか?
藤 やっぱり親鸞聖人の末娘・覚信尼さまのお木像ですかね。見たことなかったからね。
星 そうですね。親鸞聖人の妻・恵信尼さまとの書状のやり取りがきっかけになって、大正時代に親鸞聖人の存在が証明されたという、歴史的に重要な役割を果たした方ですけど、お木像はあまり聞かないですね。
藤 そうなんですよ。
星 私は阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像が印象に残りました。浄土真宗では阿弥陀如来の坐像を用いないので、普段は、坐像を拝めないそうです。秘仏ですね。また手の印の結び方が変わっているところも興味深かったです。
藤 鎌倉時代のお木像ですからね、親鸞聖人も手を合わせることのあったご本尊に近いものだったんじゃないかと想像が膨らみますね。
星 あとこの辺は、将棋の十三世名人・関根金次郎を輩出したことで……。
藤 星さん、その話長くなる?
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!
〒270-0215千葉県野田市中戸379
電話04-7196-1310
築地→(東京メトロ日比谷線・北春日部行き)→春日部→(東武アーバンパークライン・柏行き・築地から合計750円)→川間→(徒歩1分)→川間駅南口→(千葉県野田市・まめばす・北ルート・関宿中央ターミナル行・100円)→羽貫→(千葉県野田市・まめバス・関宿城ルート・関宿城博物館行き・100円)→諏訪橋→(徒歩9分)→常敬寺
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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